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1990年授賞式レポート

1990年(第1回)福岡アジア文化賞授賞式

開催日時
1990年9月3日(月)14:00~15:30
会場
福岡サンパレス
参加
約1,500名

1990年(第1回)福岡アジア文化賞創設特別授賞式が福岡サンパレスで行われました。

第1回の創設特別賞受賞者は、作家の巴金氏(中国)、映画監督の黒澤明氏(日本)、中国科学史研究者のジョゼフ・ニーダム氏(イギリス)、作家・政治家のククリット・プラモート氏(タイ)、社会科学者・アジア地域研究家の矢野暢氏(日本)の5名が選ばれました。

式典は14時から、在日アジア各国大使御夫妻、留学生及び学術・教育・芸術・文化関係者、市民等約1,500名の参加を得て行われ、受賞者の栄誉を讃えました。

創設特別賞受賞者によるスピーチ

尊敬する福岡市長桑原先生、御来賓の皆様、私は本日ここで私の父・巴金に代わりまして福岡アジア文化賞を受賞できることを大変光栄に思っております。私の父・巴金もこの受賞を大変喜んでおります。

父は1984年に日本を訪れてからもう6年あまり国外に出ておりません。今回も彼は自ら福岡に来るつもりでおりましたが、健康状態がよくないため、願いはかなえられませんでした。彼はこのことを大変残念がっておりまして、私から主催者にお詫びするように申しております。

私の父・巴金は1929年、巴金のペンネームで処女作を発表して以来、既に60数年の創作生活を送っております。彼は、数百万字にのぼる作品を通して、歪んだ不合理な社会への怒りと美しい理想の追求を著してきました。今回、彼が心血を注いだ作品がまだ人々に忘れられておらず、中国、アジアその他地域にまだ彼の作品の読者がいることは、彼に大きな喜びを与えております。さらに、彼が長年そのために戦って追い求めてきた理想の一部が、既に実現されつつあることも彼に大きな喜びを与えております。そして、この理想の中にはまさに日中両国の国民が友情で結ばれることも含まれておるのでございます。

父は、福岡市から福岡アジア文化賞創設の初年度に、特別賞を与えられることに対して大変感動しております。彼は、この受賞を彼個人の事業に対する評価ではなく福岡市民の皆様の長い伝統と歴史を持つ中国文化に対する尊重と中国人民に対する友情の表れであると考えております。

また、彼は、福岡市が福岡アジア文化賞を創設したことを非常に賞賛しており、この賞がアジアの文化の発展とアジア文化の世界における地位の向上をもたらすことに大きな役割を果たすことを確信しております。

健康状態と高齢のため、父は現在あまり執筆をしておりません。しかし、彼は彼の旧い友人・中島健蔵先生のように、日中両国民の友情の一層の発展を促進することを彼の生涯の最後の事業にすることを決めております。

ここで、私は父・巴金に代わりまして福岡市が彼にこのような崇高な名誉を与えて下さったことに対して、心からのお礼を申し上げたいと思います。

(代理・李小棠)

創設特別賞受賞者によるスピーチ

どうもありがとうございます。本来ですと父・黒澤明がここに来てお礼の言葉を申さなくてはいけないのですが、あいにく今、「八月のラプソディー」-"Rhapsody in August"-という作品に入っておりまして、題名のとおりこの夏を撮り逃すわけにはいきませんので。夏の光ですとか、夏の雲ですとか、そういうものは映画にとって非常に重要な題材ですので、どうしてもここには来れず残念がっておりました。皆様によろしくと申しておりました。

来年の5月には、この作品が発表になると思います。黒澤明というのは、映画しか撮れない男ですので、映画の中で皆様にお礼を申すと思います。ぜひその辺のところを分かっていただきたいと思います。

どうもありがとうございました。

(代理・黒澤久雄)

創設特別賞受賞者によるスピーチ

私は、今日の受賞者の中でも、御列席の皆様の中でも最も年寄りだと思います。そういう観点から申し上げたいと思います。今、本当に心からの感謝を福岡の皆様方にこの賞を私に授けて下さったことに対し、お礼を申し上げたいと思います。

こう申してもよいのではないかと思います。つまり、このような賞を授けるという仕事は特に、今回の賞は、東洋のことを西洋の人々に伝えるという役目がこの賞にはあると思います。
そして、私自身、実際、中国の科学史についての著作を書くようになってからずっとその仕事をしてきたつもりでございます。

トインビーが、ギリシャや他の西洋文化には機械論的な一面があると言っていますが、中国ではどうか、私の研究ではこの点について深く追求したつもりです。
例えば、石油の掘削のように地中を深く掘る技術は、中国では既に紀元前1世紀前から使われております。これは運動論の研究とも関連のある技術分野の業績です。機械というものは決して西洋だけの産物ではなく、中国人も極く早い時期から機械をたくさん造ってきているわけであります。

これ以上長々とお話ししても御退屈でしょうから、心から福岡市の皆様方にお礼を申し上げて受賞の挨拶に代えたいと思います。

創設特別賞受賞者によるスピーチ

私にこのような機会を与えていただきまして、タイの卓越した文筆家、政治家、そして民衆的価値を擁護してきたククリット・プラモート氏の代理をつとめさせていただきまして、福岡のアジア文化賞授賞式に出席できたことは非常な喜びでございます。ここでプラモート氏のメッセージを読ませていただきます。

最初に私が個人的にこの重要な式に出席できなかったことを、心からお詫びさせていただきます。長患いのために福岡に私自身が来ることができないのは、非常に不幸です。私自身、福岡の文化的背景や今日の発展のありさまを見たかったからです。しかし、私はこのような素晴らしい福岡アジア文化賞の創設特別賞を受賞いたしますことを感謝すると同時に、面映ゆい思いがします。というのは、経済発展の急速な今日において、我が国タイの文化は、経済的な発展と近代化によって浸食されています。これは取り返しのつかない損失です。

日本と同じようにタイもユニークな文化と、われわれ独自の文化を持っています。これは寺院とか歴史的な史跡によって明らかです。日本とタイの密接な交流の証は、アユタヤにあります日本人街の遺跡で最近発見されたいろいろな遺跡にも明らかです。歴史をひもときますと、日本の侍たちがアユタヤに住み着いて、アユタヤの王様のために勇敢果敢な兵士として働きました。そこで侍の大将の一人がタイの南部の広大な地域を治める責任者-ガバナーになったということです。

タイ王国で使われている武器の一つに日本の刀、ロイヤル・ジャパニーズ・ソウドというものがあります。また食べ物について、タイのウドンのようなものは日本のスキヤキの中身がすべて含まれています。同じように、タイの食器なんですが、それが日本の日々の生活に使われているのをお気づきでしょう。蓋がついている中型のドンブリです。ドンブリというのは、タイのかつての首都の名前です。それから漆器。漆の中に日本名でチンマイという都市の名前。これは北部の町ですが、それが思い起こされます。これは漆器の中心ですが、日本でもチンマイというような漆器の名前があるということです。

実は、日本とタイは文化を守り、保存することに関して同じ問題に直面しています。日本の経済発展はタイのそれよりも早かったので、問題もそれなりに大きいかと思います。タイは最近になってやっと気がついたことがあります。非常に大切な古代の遺跡の犠牲のもとに近代的な進展、発展があるのだということを気がつき始めました。それと同時に、日本は伝統文化の保存には素晴らしい成績を収めているということも知っています。ですから日本から学ぶことは大きいと思います。新しい世界、古い世界の二つを生きる正しい方法を学びたいと思います。

どの国の文化でもそれを保存するということは、その国の人の心の中に保存することだと思います。その意味で日本は素晴らしい業績を収めました。文化とか信仰は今でもわれわれタイ人の心の中にありますが、新しい考え方や価値観によって、今はそうした旧いものが危機に直面しています。人の心に新しいものを取り入れるときには、古い風景や旧い価値なしに入れると、幸福や満足にはつながりません。私は文化的惨事を恐れおののきながら今、生活しています。この心を癒すには、友達の慰めが必要です。心を同じくし、志を同じくする皆様方の力づけが必要です。現代を生きる私のために、心と精神の求めに対して、皆様方の温かい心と励ましをお願いいたします。

(代理:タイ王国特命全権大使ピラポン・カセムシー)

創設特別賞受賞者によるスピーチ

今回の福岡アジア文化賞の受賞は、私の人生におきまして忘れがたい思い出になりそうであります。私は過去30年以上もアジア研究に携わってまいりました。それだけに本日ここで「アジア」という名の付いた賞をいただいたこと、そしてアジアの文明を担う世界の英知とともにこの栄光に浴したことは、私の感動を幾重にも深めることになりました。このようなアジアの尊厳を強く世界に印象づける賞を設立されました桑原福岡市長様ほか各位の御見識に対し、心から敬意を表したいと思います。

過去30年、私はアジアと関わってまいりましたアジアと関わるということは苦しいことでもあります。ときどき、どうしようもなく深い孤独に追い込まれることもあります。アジアとの関わりが辛く苦しいというのは、特にこの日本の風土においてそうであるように思えてなりません。そのような状況であるときに、福岡市がここに立ち寄るだけでアジアに関わる日本人の心が安らぎ、慰められ、そしてアジアとの関わりに誇りを持てるような、そのような場を設けられたということは、日本の歴史において画期的なことだと思います。

特にこの福岡アジア文化賞が世界の英知というよりは、アジアの存在を世界に知らしめる英知を探し当て、そしてアジアが地球の上で尊厳ある文明であったということ、今なおそうであるということを世界中に知らしめる、そういうものとして始まったことはこれまた画期的であると思います。

今、日本の歴史がアジアとのかかわりにおいて大きく変わり始めております。それだけに、福岡の責任は重いと言えましょう。福岡は歴史的にもわが国のアジアに対する窓口として、大きな役割を果たしてきました。そして福岡は西日本、特に九州を代表して今後ともアジアとの交流拠点として抜きん出た役割を果たすことが期待されます。

私は、最後に当たって、三つのメッセージを福岡の方々にお伝え申し上げたいと思います。
まず、第一に日本がアジア世界から生まれたという厳粛な事実を認識し、併せてこの福岡が古代から現代にかけてアジアとどう関わってきたかという歴史認識を深めていただきたいということであります。歴史はすべてであります。それを踏まえてアジア世界を特徴づけている歴史的由緒と現実的苦悩との落差について、深い理解と共感とを持っていただきたいと思います。

第二に、歴史的背景と文化の多様性に富んだアジアの国々が、それぞれ十分に国有な発展を遂げるよう、福岡は多様な貢献を心がけねばなりません。その際、急速な経済発展に伴って都市化の問題や環境破壊の問題、併せて南々問題などが発生しております今のアジアの現実を、ぜひ直視していただきたいと思います。従って、アジアとの関係を経済的な貢献だけで済ませてはいけません。

第三に、アジアのそれぞれの国が実にふくよかな歴史と文化を持っており、しかもそれぞれ実に豊かな人間性と社会的エトスを満たしているという事実に目を向けていただきたいと思います。国家は経済的営利だけを行う単なる経営体ではありません。そして国家の尊厳を支えるのは経済ではなく、むしろ文化やエトスであると考えていただきたいと思います。

要するにアジア世界は、福岡が一段と高い成熟に達するために取り組むべき試練に満ちた実験場でありましょう。福岡はもはや、アジアとの真剣な取組みから逃れられない立場に立ちました。国際社会の一員として、私たち日本人がすべてこの福岡を拠点に画期的なアジアとの交流に向けて着実な一歩を踏み出すべきであります。

何はともあれ、これからの福岡においてはアジアとの関わりを大事にする、あるいは「アジアとともに生きる」ということが言葉の上だけで語られる時代は、もう終わりにしなくてはならないように思います。

今日は本当にありがとうございました。

1990年(第1回)福岡アジア文化賞祝賀会

開催日時
1990年9月3日(火)18:00~19:30
会場
ホテルニューオータニ博多「鶴」の間

 栄えある5名の創設特別賞受賞者を称える祝賀会は、授賞式に引き続き、会場をホテルニューオータニ博多「鶴」の間に移して行われました。

受賞者御夫妻及び在日アジア各国大使館御夫妻、留学生、学術・教育・芸術・文化関係者、市民代表約500名の参加によるこの祝宴は、アジアの交流拠点都市・福岡にふさわしい、交歓と親睦、相互理解の場となりました。

式では、川合辰雄財団法人よかトピア記念国際財団理事長、受賞者5名による挨拶が行われました。

福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

福岡アジア文化賞授賞式の様子や各種イベントのレポートを含めた1990年度の事業報告書を、PDF形式でダウンロードいただけます。

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各種イベントレポート

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