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2002年授賞式レポート

2002年(第13回)福岡アジア文化賞授賞式

開催日時
2002年9月19日(木)/14:00~16:00
会場
アクロス福岡シンフォニーホール
参加者
約1,200名

会場ロビーにおいて福岡西陵高等学校管弦楽部による演奏で出迎えられるなか、受賞国大使館関係者をはじめ、留学生、国際交流団体、経済団体、大学、地域団体の代表者及び市民など約1,200名の参加を得て行われた。

式典では、映像での受賞者紹介や主催者による賞の贈呈のほか、来賓の西村六善外務省特命全権大使及び麻生渡福岡県知事の祝辞が述べられ、受賞者の業績をたたえた。その後、4人の受賞者がそれぞれ受賞の喜びを表し、市民に対するメッセージなどを語った。

また、特別演奏として、チェン・ミン氏による二胡の演奏が行われ式典に花を添えた。

大賞受賞者によるスピーチ

皆様、こんにちは。

福岡を訪れ、福岡アジア文化賞大賞を受賞する機会を得ることができましたことを、大変うれしく思います。また、このような栄えある賞をいただき、誠に光栄に思っております。

これまで、アジア文化賞の中国人受賞者として巴金氏、費孝通氏及び王仲殊氏がおられますが、いずれも非常に優れた私が見習うべき方々です。彼らに比べれば私はまだまだ未熟です。

今回の福岡アジア文化賞の受賞は私にとって一つの励まし、一つの新しいスタートであると思っております。

一人の映画監督として、私は自分の仕事に強い愛情を持っております。この仕事自体が人と人、国と国の文化の交流を促し、通いあわせるものです。私の願いは、よい映画を撮り、それを通じて世界の人々に中国を理解してもらい、さらには中国の映画を世界文化に、とけ込ませることです。

福岡アジア文化賞は、私たちに互いに文化を交流し、学びあう機会を与えるものであり、世界各国の文化の融合を促すものです。

この盛大な式を通じて、中国と西側の文化が一層とけあうことができますように、そして、福岡アジア文化賞が回を重ねるごとに、充実したものとなっていきますよう願っております。

最後に、今回の受賞に改めて感謝申し上げ、長年、私に寄せてくださいました御支持に対しても感謝の意を表したいと思います。

今後もっと優れた作品をたくさんつくり、皆様にお見せできるよう頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

学術研究賞受賞者によるスピーチ

まず、このたび私にこの賞を与えてくださった福岡アジア文化賞委員会に心よりお礼申し上げます。大変栄誉なことでうれしく思います。そしてアジアの学術世界での最高峰である歴代の福岡アジア文化賞受賞者を目にしたとき、この喜びはことさら大きなものに感じられてなりません。私はスリランカから初めての受賞者となります。同時に南アジアからこの賞をいただく2人目の歴史学者であることにも気がつきました。

スリランカ人である私は、長く、そして素晴らしい歴史を有する一方で、混乱の歴史も抱える国に住む一市民です。近年、スリランカは対立の絶えない国としてしばしば話題にのぼります。特にこの70年あまりは、対立問題ばかりが注目され、スリランカの誇る歴史や業績の優れた点に目が向けられてきませんでした。しかし、対立を抱えながらも、スリランカはアジアでも非常に安定した民主主義国家の一つであり続けています。国民は1931年の総選挙を皮切りに今日まで選挙権を持ち、政治形態も独立以来、2政党制を堅持してきました。このような歴史を有する国は、アジアの中でもそれほど多くはありません。社会福祉国家という点でも、南アジアの中で独自の立場を保っています。

私は大学教授として、生涯をかけて、自国の歴史を研究し、それを書物に表してきました。これまでの人生すべてを、自国の歴史を振り返り、それを教えることに費やしてきました。建国の頃から現代までの国の歴史を書くというのは、非常に中味の濃い、そしてやりがいのある体験でした。今日の、そして過去数世紀におけるスリランカの諸問題を書き記すことは、たいしたことではないかも知れません。

しかし、スリランカを学ぶ中で南アジアと東南アジアの歴史のエッセンスを学ぶことができるということを認識するならば、そこには、スリランカという島国を越えて広がる視点を得ることができます。スリランカの歴史を書くということは、特に過去5世紀にわたりスリランカの各地域、もしくは全土に及んだ植民地支配の中で、政治、経済、文化に多大な力を及ぼした歴史の役割について書くことに他なりません。同時にこの小さな島国の文化が、共に仏教という面で強いつながりをもつ東南アジア、ひいてはより広い地域に及ぼした影響について書くことにもなるのです。この文化は日本とスリランカを結ぶものでもあります。

民族対立というスリランカの問題を考えた私は、何人かの同僚と国際民族問題研究センターを設立しました。ここで、スリランカだけでなく、世界が抱える民族問題を研究しようとしたのです。今年で20年を迎えますが、お陰で我々の業績が、広く国際的な評価を受けるまでに成長しました。私の人生の中で最もやりがいを覚えた仕事の一つであったと思っています。

最後に、一人の歴史学者として、そして民族対立や民族問題の研究者としての私の業績を評価し、このような栄誉を与えていただいた福岡アジア文化賞委員会に対し、あらためて心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました。

学術研究賞受賞者によるスピーチ

アジア研究者にとって、このような栄えある席で福岡アジア文化賞をいただくのは、まことに光栄なことです。

アジアは、多様な伝統文化・現代文化がちりばめられた世界の宝庫です。息絶えようとしている、もしくは滅んだも同然の文化もある一方で、脈々と根をはり、ダイナミックに変化をとげる文化もあります。福岡アジア文化賞がその13年の歴史の中で顕賞することができたのは、このような多様な文化的伝統、芸術の様式、そしてラット氏のマンガや張氏の映画のような新しい表現のうちのごく一部にでしかありません。

それゆえ私のような、アジアの芸術や学術を生まれもって身に付けず、外側から観察をしてきた研究者たちにも賞を授与してくださる福岡アジア文化賞委員会はまことに寛大な心をお持ちです。これまで、ほぼ2年ごとに、私を含め、アメリカ人4人、オーストラリア人2人、イギリス人1人、アイルランド人1人がこの賞をいただきました。私たちは皆、1つ、もしくは複数の分野でアジアの文化や社会を研究し、その成果を、俗に言うアジア人ではない読者や学生のために英語で執筆し、教壇に立っています。私達はアジアの文化を文字にし、解説することはできますが、張芸謀氏やラット氏のように、映画やマンガの形に作ることはできません。それゆえ、よそものの物書きに対してもこのような評価をいただけることは殊のほかありがたく、光栄なのです。

私が今「俗に言う」といったのは、この「アジア人」という言葉自体がすでに時代遅れだと感じたからです。英語はアジアでもっとも広く、そして創造的に使われている言語の一つになっています。アジアの人々は古くから、世界の中でそれぞれ独自の社会に属すると考えてきましたが、今では地球村の市民という要素が濃くなり、アジア人、オーストラリア人、日本人などの区別が難しくなっています。最近福岡アジア文化賞を受賞した「アジア人でない受賞者」ベネディクト・アンダーソン氏はアイルランド人ですが、中国で生まれ、インドネシアとタイで暮らし、研究を行い、アメリカで教壇に立ちました。スタンレー・ジェヤラジャ・タンバイア氏の場合は、スリランカで生まれ育ち、研究は東南アジア、そしてアメリカで教えています。王賡武氏や私は、2人とも胸を張って自分達はオーストラリア人だと言います。でも、生まれたのは別の場所です。王氏はインドネシア、私はニュージーランドです。王氏がマレーシアやオーストラリアや香港で教えたのに対し、私は、マレーシア、オーストラリア、アメリカで生徒の前に立ちました。そして2人とも今は偶然にもシンガポールで働いています。私はこのように国境が自由自在に交差し、移動する時代に生まれ、文化がこのように変化に富み、混在する場所に身を置くことができることがうれしくてたまりません。

福岡アジア文化賞は、他に例を見ないほど寛容で創造性に富んだ歩みをされています。私は、若い時に自分の人生でもっとも強烈な学習体験の場の一つとなった日本で賞をいただけることを特にうれしく思います。18歳の学生だった頃、兄と一緒に、ニュージーランドから日本の鉄くず運搬船で初めて日本を訪ねましたが、この3週間の船旅で、言葉の大切さと、理解力や文化の壁をこえてつくられた人間の絆がいかに強いものかを学びました。以来、何度となく日本を訪れ、今も日本の友人から生活や文化を学びつづけています。

このすばらしい賞を創り出された福岡の皆様に、心からの賛辞を送り、そしてここに、妻ともども参加させていただいたことを深く感謝いたします。言葉にできないほど光栄で誇りに思います。

芸術・文化賞受賞者によるスピーチ

マンガ家は絵が描けるユーモア作家です。絵というより、たいていの場合、落書きがうまいというほうがあたっているでしょう。マンガ家は、自分で描いたマンガを部屋でこっそり見ながら笑うコメディアンです。テレビや舞台やラジオには登場しません。油絵ももちろん描けますが、それよりも人の特徴を観察したがる一風変わった癖があるため、観察したものを描き、そこから笑いを引き出す芸術家なのです。自分の感情を絵で表現します。それぞれ得意分野があり、政治マンガとか、時事マンガ、社会解説、諷刺マンガ、連載マンガ、テレビアニメやアニメ映画といった具合です。

私はマレーシアのニュー・ストレイツ・タイムズという新聞の専属マンガ家として、これまで28年間、マンガを描いてきました。自宅が仕事場です。自分の部屋で一人でマンガを描きます。必要なのは、紙と、鉛筆、マジックペン、筆、インク、そして私の作品を見てくれる山のような読者です。読者はもちろん、社会の代弁者である一般の人々、一般の読者です。マンガで取り上げるのは、「現代の社会や世界に、ついていくのはとても難しい!」ということです。現代の出来事、毎日の生活、家庭、隣近所、地域、政府、経済などに目を向ける中で、マンガ家の多くが、無声の白黒コメディ映画の中でチャーリー・チャップリンが演じていた放浪者になった気分を味わっているのだと信じています。人々の様々な思いや意見はマンガを通して声となり、マンガ家と読者をつなぐ絆を形成していくのです。

マレーシアの小さな村に生まれた私は、12歳からマンガを描き始めました。このスケッチという趣味に私は夢中になりました。書きあがったマンガを鼻高々に家族や友達に見せたものです。13歳になる頃には、自分の描いた子供じみたマンガが、流行りの映画雑誌やマンガ雑誌に載るようになりました。雑誌に載ったマンガにお金は払ってもらえませんでしたが、出版社から映画の無料券がもらえました。私はそれがうれしくて、そういう自分が誇らしかったのです。それもこれもマンガが好きで、家族や近所の子供をびっくりさせたいという私の気持ちの表れだったのですが、その時にはまだ、自分がプロのマンガ家として年老いるまで落書きを続けることや、自分のマンガや自分が地球のはるか遠くまで旅をして国際社会とうれしい接触をすること、そして世界中に大勢の友人ができることなどは考えていませんでした。

というわけで、今もマンガを描きつづけています。今はフリーのマンガ家として独立独歩、自分がボスという自由を満喫しています。自分の好きなように描きます。でも、実際はどれほどの自由があり、またその自由を必要としているのでしょうか。確かに、28年間マンガを描いてきて、「何を描いてはいけないか」ということはわかります。なぜなら、私たちマンガ家が目指すのは、お互いをもっとよく理解できるように、みんなに共通する前向きの事柄を話題に取り上げ、お互いの友情をもって手を携えることであり、決して誰も非難しないということです。いろいろな民族の宗教、慣習、伝統などの話題は個人的なものですから触れる必要はありません。

福岡アジア文化賞芸術・文化賞は、福岡市が、マンガ芸術を今日の世界をもっとも効果的に結ぶコミュニケーションの方法の一つであり、国際理解を促進する特別な方法であると認めてくださった証だと思います。本当に、この賞を受賞できたことは大きな光栄です。ありがとうございました。

2002年(第13回)福岡アジア文化賞祝賀会

開催日時
2002年9月19日(木)/18:00~19:30
会場
ホテル日航福岡「都久志の間」

受賞者夫妻を迎え、約220名の参加により行われた。

主催者を代表して、川合辰雄財団法人よかトピア記念国際財団理事長の挨拶が行われ、来賓を代表してカルナテイラカ・アムヌガマ在日スリランカ大使により乾杯の発声が行われた。

会場では交歓の輪が広がり、終始和やかな会となった。

福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

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各種イベントレポート

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