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2003年授賞式レポート

2003年(第14回)福岡アジア文化賞授賞式

開催日時
2003年9月18日(木)/14:00~16:15
会場
福岡国際会議場メインホール
参加者
約1,000名

秋篠宮紀子妃殿下をはじめ、大使館関係者、留学生、国際交流団体、経済団体、大学、地域団体の代表者及び市民など約1,000名の参加を得て行われた。

式典では、映像での受賞者紹介や主催者による賞の贈呈のほか、来賓の美根慶樹外務省特命全権大使及び麻生渡福岡県知事の祝辞が述べられ受賞者の業績をたたえた。

受賞者によるスピーチでは、4名の受賞者が受賞の喜びを表し、市民に対するメッセージなどを語った。

また、特別演奏として、沖縄出身のバンド、BEGIN(ビギン)の演奏が行われ、式典に花を添えた。

大賞受賞者によるスピーチ

私の専攻している学問は沖縄学といいます。耳なれない学問でしょうが、日本学、シナ学、エジプト学などと並べて沖縄学といっています。生まれて今はちょうど100年目です。その沖縄学に「福岡アジア文化賞」をいただいたことは思いがけないことでした。個人としても身にあまる光栄だと思っております。

福岡アジア文化賞というのは、2000年以上アジアの文化交流につくしてきた福岡が、新しい時代にふさわしい創造性を加えて新しく設けられた賞だそうです。文化の栄えた国は政治も経済も豊かであったことを歴史は教えてくれます。

14世紀から16世紀にかけてアジアの国々は動乱の歴史を経験しました。動乱の中から各国民族は、民族的自覚に目覚めて国家の自立、独立を図り王朝が生まれました。日本は室町幕府、朝鮮半島は李氏王朝、中国は明王朝、タイランドはアユタヤ王朝、インドネシアはマジャパイト王朝、マレーシアはマラッカ王朝、そしてそれらの王朝と王朝をつなぐ役目を果たしたのが琉球王朝でした。王朝の生まれたところではそれぞれ個性的な文化が生まれて輝いていました。

その時代から500年位たった今、アジアはふたたび懸命に民族的自立、経済的豊かさを求め、平和的な時代を迎えようとしています。また、アジア中が平和な21世紀を迎えなければなりません。ヨーロッパでは21世紀に向けてヨーロッパ連合を作りました。アジアもアジア連合を作るべきだと思います。そのための心の支えに文化は必要なことです。アジア問題は文化問題だと思います。

福岡市と財団法人よかトピア記念国際財団がアジア文化賞を設けたのは14年前だそうですが、21世紀を先どりした優れて知性的な才覚だったと思います。福岡市ならびに財団法人よかトピア記念国際財団に心からお礼を申し上げます。

最後に、今日の授賞式のために秋篠宮妃紀子殿下をはじめ福岡市長、財団法人よかトピア記念国際財団理事長はじめ、たくさんの方々が授賞式においで下さいましてまことに有難うございました。お礼を申し上げてご挨拶と致します。

学術研究賞受賞者によるスピーチ

は、1965年、18に、めてフィリピンを機会があり、祖母一緒に、10日間日本ねました。そのはこの自分人生転機になろうとはいもしませんでした。当時、私は大学生で、技術工学専攻していましたが、日本たもの、体験したことにすっかり魅了され、マニラにった技術工学勉強をやめる決心をしました。かわりに大学のりの期間をアジアの歴史文化ぶことにしたのです。

38った、私はアジア研究でもっとも名誉ある国際賞けるためにここ福岡市にきています。工学勉強をやめて、アジアの歴史文化研究するきっかけとなったのが日本へのだったのですから、このはわたしにとって、ことさらきな意味っています。

にとって福岡アジア文化賞は、アジアの芸術家研究者顕彰してきたというで、ない賞賛されるべき特徴をもっています。がアジア研究めた当時は、自国ちの研究者国際的評価けることはほとんどありませんでした。場合もそうです。博士課程んだ1967年には、東南アジアの歴史ぶために、アメリカへかなければなりませんでした。指導者東南アジア研究草分けでしたが、2ともイギリス大英帝国えたたちでした。当時東南アジア研究分野活躍していたのは欧米人だったのです。自分地域研究で「成功」したかどうかは、地元のアジア研究先駆者になるのではなく、どれほど西欧知的文化方法論吸収したかがわれるという「皮肉」を理解するのにしばらくかかりました。

1960年代って、東南アジアの学生は、東南アジアの研究をするために、西洋のモデルだけに必要はありませんし、イギリスやアメリカに必要もありません。しかし、アジアの学問正当評価し、東南アジアを研究中心えるということは依然として容易なことではありません。このようなで、福岡アジア文化賞はアジアの学問をこのような顕彰し、アジアの人々どうしのコミュニケーションを強化することで、アジアを学問中心地にすることにきないできました。

福岡アジア文化賞授与していただいたというだけでなく、アジアでアジア研究をおこなえるようにご尽力いただいたことにし、福岡皆様から感謝いたします。

芸術・文化賞受賞者によるスピーチ

10年ほど前に、アメリカで暮らしている私と妹の様子を見るために、母親が訪れました。当時、私も妹も渡米して間もない頃で言葉の壁にぶつかっていました。私達が英語を話すことで議論していたところ、母が横から次のように言いました。「あなたたちは母国語を持っているでしょう。自分たちの背後にすぐれた文化と伝統がちゃんとあるの。誰の前でも劣等感を持つ必要はありません。」母は典型的な古いアジア女性で、気がやさしくて文句ひとつ言わず、よく働く申し分のない母親です。そして、自国の文化に対して高いプライドを持っています。私は母のこの言葉に感謝しています。なぜなら欧米で仕事をしていく私に自信と勇気を与えてくれたからです。

中国では文化大革命による伝統の破壊で、私達の世代は古い文化の教育を厳しく受けていません。しかし文化というものは、ときには生活の中のちょっとした事に対する人々の態度や受け継がれた言動のうちに生き延びていくものです。その最も肝心な部分は一種の「情」のようなもので、けっして知識ではありません。

かつて「天書」と呼ばれる「書物」を創作したことがあります。精巧なのに読み取ることが出来ません。私は1年余りかけて4000余りの「偽漢字」を彫りました。完成したとき、みんなに「すごい!根気があるね。」と言われました。しかし、ある古籍書を印刷する工場へそれを持ち込んで印刷を頼む際、私は仏教の『大蔵経』の木製原版が山のように積まれているのに強く心を打たれました。文化とはこのように逞しく生きているのかと思いました。お経の中に何が書かれているかは知らなかったですが、そこに文化の真実が内在していることを感じ取ることが出来ました。それに比べると自分が恥ずかしくなりました。私達の巨大な歴史文化の前で自分がなんとちっぽけな存在かとつくづく感じました。

近年、私は中国またはアジアという看板を出して自分を売っていると批判されることがあります。これに対し私は、中国人だから中国という看板を出さなければ、一体誰の看板を出せばよいのだろうか、と答えています。西洋文化が優勢である今日、なかには物事を見る角度や視覚に問題がある人がいます。しかし福岡の市民と文化活動に携わる方々はいつもアジア文化に対し誇りを持ち、前向きな態度で世界に向き合っているように思います。私もアジア人やアジア文化の独自性と普遍性を信じています。また、ほんとうにすばらしい文化とは、いろいろな文化が混在し、融合しているものだと思います。

最後に、このような貴重な賞をお贈り頂いたことについて福岡アジア文化賞委員会に心からお礼を申し上げます。この賞は私の今後の創作活動の励みになるでしょう。

芸術・文化賞受賞者によるスピーチ

私は、1990年に初めてのコンサート・ツアーで日本にきました。その時に、レコードショップに並んでいるアジアの音楽は限られたものしかなく、しかも「伝統音楽」とか「民族音楽」のコーナーに置かれていました。  

アルバム「マッド・チャイナマン」では、伝統と現代を過激なまでに混ぜ合わせましたが、私の意図したところは、自分が生まれ育った国シンガポールの多様な文化を構成している様々な民族の音楽をふんだんに盛り込んだポピュラー音楽を創造することにありました。そして、シンガポールの公用語である英語で歌いました。 

レコードショップにアジアのポピュラー音楽のコーナーがなかったので、私のアルバムは世界の音楽や西洋ポピュラー音楽のコーナー、そして面白いことに日本のポピュラー音楽であるJポップの棚にも置かれていました。自分の音楽が一つのジャンルにあてはまらないのを見て大変愉快に思い、強烈なアジアのアイデンティティを表現したいという自分の生涯の目標に一歩近づいたと感じたできごとでした。 

もちろん、私はアジア人ですが、同時に(マレーの血をひく)海峡生まれの中国人でもあり、シンガポール人でもあります。当時、私のアジアに対するイメージは、埃っぽく、時代遅れで、世界の変化に追いついていけないというものでした。加えて、初来日の間に日本人のアジア観も限られたもので、アジアのことをよく知らないということに気付きました。この感覚は改めなくてはいけないと思ったのです。

それまでの私は自分の音楽人生のほとんどを、自分自身を見つけ、アジア人として音楽を表現することに費やしていました。シンガポールをテーマにした作品である程度成功を収めていましたが、日本への訪問が、その模索をさらに一歩前に踏み出すきっかけになりました。私は、アジア人として自分の音楽を定義したいと思いました。そして無意識のうちにアジアの全てのもの、特に現代アジアの中に新しい流れを作りたいと思ったのです。

その後の日本ではアジアに対する興味が爆発的に高まりました。そして、私の日本での成功は、香港や台北などアジアの都市での活動へとつながりました。私はアジアの都市が急速に変化している様をまのあたりにし、自分達に対する自信を構築するために自分達のイメージを再形成することがいかに大切か、そして、近代的で前向きなイメージを世界に発信することも大いに必要だと学びました。

今日のような賞や行事は、アジアのイメージ形成や発信に大きな手助けとなっています。私は大好きな九州で、今、ここに立っていることを大変光栄に思います。福岡市と福岡アジア文化賞委員会の皆様に、私を賞に選んでいただいたことにお礼を申し上げます。とりわけ、私のジャンルであるポップ・カルチャー(大衆文化)がついにアジアのアイデンティティの発展に貢献していると認められたことを本当にうれしく思います。

皆様、心より感謝いたします。そしてこの大切なプログラムの更なるご成功をお祈りいたします。 

2003年(第14回)福岡アジア文化賞祝賀会

開催日時
2003年9月18日(木)/18:30~19:30
会場
ホテルニューオータニ博多「鶴の間」

受賞者夫妻及び同行者をお迎えして、約230名の参加により行われた。

主催者を代表して、川合辰雄財団法人よかトピア記念国際財団理事長の挨拶が行われ、来賓を代表してチュウ・タイスー在日シンガポール大使により乾杯の発声が行われた。

会場では交歓の輪が広がり、終始和やかな会となった。

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各種イベントレポート

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