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2003年市民フォーラムレポート

2003年大賞受賞/外間 守善

タイトル
沖縄学の深さと広さ、そして沖縄の未来へ
開催日時
9月20日(土)14:00~16:00
会場
アクロス福岡イベントホール
講演者
松本 泰丈(千葉大学文学部教授)
講演者
又吉 栄喜※(作家)
講演者
波照間 永吉(沖縄県立芸術大学付属研究所教授)
コーディネーター
田尻 英三(龍谷大学経済学部教授)

※注記:又吉栄喜氏は台風の影響により、出席できませんでした。

「アジアの中の日本、日本の中のアジア」を考えるときに、沖縄研究は重要な位置を占める。その沖縄の言語・文学・文化研究をもとに「沖縄学」を大成し、その普及にも多大な貢献をした外間守善氏による市民フォーラムが9月20日、アクロス福岡で行われた。

田尻氏は冒頭で、沖縄の歴史や文化に触れながら外間氏の功績を紹介するとともに、「沖縄の伝統的な文化から新しい文化の流れをとらえることが、同時に沖縄の素晴らしさを考えることになる」と語った。

第1部:基調講演

沖縄は深くて広い。これは物理的な意味ではありません。その深くて広い沖縄からは、日本が見えます。アジアが見えます。そして世界が見えます。ところが残念ながら、日本からは沖縄が見えないのです。

沖縄は日本にとって、いつでも切り離すことのできる地域でした。例えば、昭和21年に日本国憲法ができて、第9条により、日本国民は平和という幸せを受けることができるようになります。ところが、ものの10年と経たないうちに、講和条約七原則、講和条約、日米安全保障条約、日米地位協定などが、いかにも予定の行動であったかのように沖縄を呪縛しました。沖縄だけではなく、日本が呪縛されたのです。

そして、国際法的に実際に考えることのできない潜在主権があります。潜在主権というのは法律学的にも極めて曖昧で、だまし飴と同じです。飴をしゃぶらせて、沖縄を基地化して、朝鮮戦争やベトナム戦争が行われましたが、それらは沖縄を守るためではありません。どこを守るためなのか理由がわからないままです。沖縄は常に日本にとって、そういう存在でしかありませんでした。日本から見て、沖縄は見えないのです。しかし、沖縄からは日本が実によく見えます。

沖縄は自然科学、社会科学、人文科学における宝の山

自然科学でいうならば、沖縄の自然風土の中で、生物、植物、動物などの原種がよく発見されます。しかし、この原種も珍しいけれども、沖縄では原種から変化をした亜種がどんどん生まれています。沖縄にある亜種の数の多さは、世界でも稀な例です。ダーウィンの進化論を学問的に証明できる場として、沖縄の生態系の中にある原種と亜種の問題を取り上げることができます。

人文科学になると数限りなく出てきます。まず言語学でいうと、日本語の歴史の中で、ハ行子音が、P音からF音、F音からh音へ変わっていくのには、1千年以上かかりました。奈良時代以前はP音、平安、鎌倉、室町時代にはF音、そして江戸時代になってからh音に変わりました。

しかし、現在の沖縄を見てみると、北の方では「鼻」のことを「パナ」、真ん中の地域では「ファナ」、南の方では「ハナ」と言います。日本語の歴史では1千年以上かかった「P→F→h」という変化のプロセスを、現在の沖縄では同時に見ることができます。変化そのものは言語学では簡単な理屈ですが、こういう変化のプロセスが一つの島の中で同時に見られるということは、言語学の場からは大変稀な珍しい例です。

もう一つの例は、動詞の変化の仕方です。もともと名詞から次第にいろいろな品詞が出てくるのですが、動詞の基本語幹だけで十分に用は足りていました。ところが、基本語幹から後になって、未然形・連用形・終止形・連体形・命令形というパラレルな関係で体系を持った動詞が生まれてきます。

今の私たちは、これは当たり前だと思っていますが、私は沖縄の『おもろさうし』を見て驚きました。沖縄の古い言葉には連用形しかないのです。終止形は未熟であり、2つの語例だけしかありません。私たち日本人は、動詞は終止形を中心にして、未然形・連用形・連体形・命令形と考えますが、沖縄の古い言葉は、連用形を中心にして他のものが広がっていきます。

私はこれを40歳のときに発見して論文に書きましたが、当時の日本の国語学界からは問題にされませんでした。これが間もなく問題になったのは、日本の一番優れた日本語学者である大野晋さんが、日本語は連用形が大切だということを言って、『万葉集』の中での連用形のことを中心にした論文を書いたときでした。

これは沖縄から見た日本語の一つの例で、他にもたくさん例を挙げることができます。

次に音楽の話をします。沖縄ほど音楽の豊かなところはないと思います。

私たちは学校教育で、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどの系譜から、1オクターブが「ドレミファソラシ」の7音で構成されている音楽と出会います。だから、音階は7音で構成されているものとばかり思っていました。また、そういうふうに育ちました。

しかし、沖縄の音楽は5音階の構造でできています。1オクターブのバランスをとるのに、5音階でバランスをとります。このような5音階構造の音楽というものはアジア全域にあります。

例えば、インドネシアのバリ島のガムラン音楽の中には、1オクターブをほぼ均等に5分割したスレンドロ音階と、1オクターブを不均等に5分割したペロッグ音階という2種類の5音階構造の音階があります。これを聞いたヨーロッパの人は非常に驚いたそうです。

 しかし、優れた音楽家チャイコフスキーはシンフォニーを組み立てるときに、7音階のバランスのほかに、初めて5音階を試みました。フランスで演奏しましたが、フランス人が聞いて、「こんな音楽はない」と言ったそうです。

ところが間もなく、5音階の入った音楽に、美を感じる人間の心が寄せられるようになっていきます。日本の音階も5音階です。日本の音楽は神楽、催馬楽、長唄、小唄、それから演歌に流れてきます。演歌は日本人の心をくすぐります。音の美を感じ、ほっとする安らぎを感じます。それが「ドレミソラ」の5音階です。「ファ」と「シ」が抜けます。西洋人は「ファ」と「シ」を入れなければ、音階の美を感じません。しかし、日本人は「ファ」と「シ」が抜けた「ドレミソラ」の5音階のバランスに非常に気持ちが安らぎます。

アジア全域にこのような5音階があるのですが、沖縄では5音階にこだわりません。また、沖縄の最近の音楽家は7音階にもこだわりません。一つの曲の中に、5音階と7音階が混じり合っているのです。

昨日の授賞式で、BEGIN(ビギン)が歌った曲の出だしのところは沖縄的です。学校教育の音階ではなく、沖縄音階です。優しく入ってきて、いつの間にか7音階になっています。見事な音のバランスです。1オクターブの中に音階を入れていくのですが、そのバランスが実に巧みです。

沖縄の人は、本当に国際的な感覚を持っているのではないかと思います。音階にこだわらずに、自分の音感、皮膚感覚で感じる音、それを美と思ったときにパッと表現します。新しい21世紀の音楽は、沖縄から生まれる可能性があると思います。

文学の話をします。世界の文学は三大ジャンルと言います。劇文学と叙事文学と抒情文学です。これは主にヨーロッパの文学のことを言いますが、ヨーロッパには祈りの文学はありません。しかし、沖縄には祈りの文学があります。大昔の文学ですが文学の原型になるのは、この祈りなのです。日本文学にもかつてありましたが、なくなってしまいました。ヨーロッパでもなくなってしまいました。今、祈りの文学があるのは、アフリカ、パプアニューギニア、沖縄です。奄美、沖縄、宮古、八重山です。

折口信夫さんは「文学の原型は祈りの文学にある。これは文学の原型だ」と言いました。これは理論的仮説として言ったのですが、私はこれを学問的に証明しようと努めました。まさに沖縄には祈りの文学があります。世界でも呪祷(祈り)、叙事(ことがら)、抒情(こころ)の3つのジャンルを持っているのは非常に珍しい例なのです。

作家の又吉栄喜さんが『豚の報い』という小説を書きました。『豚の報い』は、まさに祈りの文学を深層に敷いて、それが現代に蘇ってきます。これは大城立裕さんの文学にもしばしば表れます。沖縄の人には、大昔の文学の原型が心の中深くに流れているから、現代に蘇らせることができるのです。沖縄の文学は、かつての文学が持っていた呪祷も、叙事も、抒情も持っています。竹富島という小さな島には、劇も、呪祷も、叙事も、抒情もあります。世界でも稀な例です。

このように沖縄にある一つ一つは、もともと日本民族が持っていたものです。九州の福岡を原点にして生まれました日本文化です。しかしその後、弥生文化が日本文化を覆いました。弥生文化の特徴である稲作、土器、鉄文化などもまた、この福岡から生まれて、南の沖縄や北の関東へ流れていったものです。しかし、非常に古い時代のものは、現在もそのまま沖縄に残っています。また島社会の新しいものも生まれます。

沖縄学を学ぶ理由

私が沖縄学に入っていったきっかけは、正直に言って「でもしか先生」でした。「沖縄でもやろうか、沖縄しかできない」研究者になってしまいました。しかし、沖縄学をやって悔いはありません。今、胸を張り、誇りを持って沖縄学に取り組んでいます。

そもそものきっかけは、私が22歳のときの金田一京助先生との出会いでした。金田一先生は、「沖縄の方言を研究するためには、『おもろさうし』という沖縄の古典がある。外間君、沖縄の方言研究をやってほしい」と私に言いました。

私はそのときは、沖縄研究をやろうとは思っていませんでした。島崎藤村の研究をしたいと思っていましたが、琉球方言の研究に行かされました。『おもろさうし』の研究です。

そして本格的に『おもろさうし』の研究を始めたのは、29歳になったときでした。29歳までは、私はスポーツマンでした。それが29歳になって突然、金田一先生に呼び出されて、「君は勉強しろ」と言われ、本格的な沖縄学へ入らせられました。そして、東京大学の服部四郎先生のもとに行き、言語学と『おもろさうし』を本格的に勉強しました。

同じ本郷の一角で、沖縄学が歩み始めたのは、伊波普猷先生が『おもろさうし』の研究を始めた明治36年です。これを沖縄学の出発とするならば、沖縄学元年は明治36年(1903年)です。今年、平成15年(2003年)は、それからちょうど100年目になります。そして、非常に偶然のようですが、私が『おもろさうし』の研究に入ってから、今年でちょうど50年です。伊波先生の歴史が100年、私の歴史が50年です。

私は沖縄学を一生懸命アジアに拓きました。世界に拓きました。そして、それを認めてくれたのが福岡市です。福岡からはアジアが見えるのです。そして福岡市は、私にではなく、沖縄に福岡アジア文化賞をくれたのだと思います。福岡市に本当に感謝し、心を込めてお礼を申し上げたいと思います。

第2部:講演

続いて松本氏が、奄美方言を中心とした「琉球方言のゆたかさ」について講演し、琉球方言の地域差や九州方言との共通点などを、詳細に解説した。

さらに外間氏は、沖縄学の出発から100年目、自身が沖縄学に携わって50年目という節目における受賞を喜ぶとともに、沖縄学に出会った頃のエピソードなどを語り、「今、誇りをもって沖縄学に取り組んでいる」と胸を張ると、会場から大きな拍手が湧き起こった。

出演予定だった又吉栄喜氏が悪天候のため来福できないというハプニングはあったものの、沖縄に対する外間氏の熱い思いが十二分に伝わってくる充実した内容となった。

2003年学術研究賞受賞/レイナルド・C・イレート

タイトル
フィリピンの戦争から「帝国」を考える
開催日時
9月21日(日)13:00~15:30
会場
アクロス福岡イベントホール
パネリスト
池端 雪浦(東京外国語大学長)
パネリスト
有馬 学(九州大学大学院比較社会文化研究院教授)
コーディネーター
清水 展(九州大学大学院比較社会文化研究院教授)

19世紀末から20世紀初頭のフィリピン革命を中心とする歴史研究において常に先導的役割を果たしたレイナルド・C・イレート氏による市民フォーラムが9月21日、アクロス福岡で行われた。

冒頭で清水氏は、フィリピンと日本との歴史的な関係を説明し、「フィリピンの歴史を学ぶことを通して、今という時代を考えてみたい」と問題提起した。

第1部:基調講演

イレート氏は基調講演で、フィリピンにおける戦争の“記憶と忘却”について論じた。対スペイン独立戦争は、国民国家の形成の基礎となる出来事として深く記憶に刻まれたこと。比米戦争の記憶は忘却され、アメリカ人は解放者だという認識が奨励されたこと。抗日戦争はフィリピンを暗黒時代に陥れた出来事として記憶されたが、冷戦が激化するにつれて公式的な記憶からは忘却されていったこと。そして、現在のテロとの戦いにおけるフィリピン人の姿勢を「過去の戦争についての記憶の政治学を反映したもの」と述べ、「歴史学は、戦争の根本的理由を究明するためにあらねばならない」と、帝国の陰に隠された記憶を再生することの重要性を訴えた。

パネル・ディスカッション

パネルディスカッションでは池端氏と有馬氏が、歴史の記憶と忘却に関する自らの体験を事例としてあげるとともに、記憶と忘却により重層的に形成された歴史観とそこからつながる政治の問題について論じた。「今後は、フィリピンにおける記憶と忘却の政治学のあり方と、我々の歴史観を突き合わせていくことが必要」との見解も示した。

最後に清水氏が、「戦後50年たった今だからこそ、戦争の加害者と被害者が対等に歴史を語り得るのかもしれない」と述べ、締めくくりの言葉とした。

2003年芸術・文化賞受賞/徐 冰(シュ・ビン)

タイトル
シュ・ビン〜天から降ってきた文字〜
開催日時
9月21日(日)16:00~17:30
会場
福岡アジア美術館彫刻ラウンジ
紹介者
安永 幸一(福岡アジア美術館館長)

1980年代から、常に中国の先鋭的なアートシーンの先頭に立ち、アジアの現代美術に対する国際的な評価を高める大きな役割を果たした徐冰氏による市民フォーラムが9月21日、福岡アジア美術館で行われた。

徐冰氏は数多くのスライドを見せながら、自らの生い立ちやアーティストとしての軌跡、さまざまな作品の制作にまつわるエピソードなどを紹介していった。

トークセッション

4年かけて4000個の偽漢字を創作した『析世鑑(せきせいかん)-天書』の解説では、「一人の人間が何年もかけて作った盛大なるジョークだ」と語りながら、制作に使った道具なども紹介した。また「自分の置かれている環境に問題や葛藤があるとき、そこからアートが生まれる」と、自身の芸術に対する考えを示した。漢字や新英文書法で外の風景をガラス窓に描いた作品や、漢字で構成された風景画など、文字を用いて表現した一連の作品については、「書・絵・詩が一体となった表現に達することができ、誇りに思う」と、中国人アーティストとしての心情を語った。さらに1990年代の代表作『新英文書法』の制作意図について、「この書法を通して、人々の慣習化された思考を揺さぶり、新たな視点でも物事を考えるきっかけにしたい」と主張した。

参加者からは『新英文書法』に関する質問が相次ぎ、関心の高さをうかがわせた。フォーラムが終了した後も、徐冰氏は握手やサインを求める人々に取り囲まれ、いつまでも交流が続いた。トークは氏の受賞を記念して開催された徐冰展会場にて行われ、参加者は引き続き、名前などをアルファベットで入力すると『新英文書法』で表示される『コンピューター・フォント・プロジェクト』を体験したり、新作の『硝子の玩具』を手にとって眺めたりなど、会場は熱気であふれていた。

2003年芸術・文化賞受賞/ディック・リー

タイトル
音楽にのせて〜アジアのアイデンティティを探す旅〜
開催日時
9月20日(土)18:00~20:00
会場
イムズホール
司会
ジェームス天願(LOVE-FM AJ)
紹介者
藤井 知昭(中部高等学術研究所副所長)

アジアを代表するシンガーソングライターであり、現代においてもっとも活力あるアジア・ポピュラー音楽の旗手として国際的にも高く評価されるディック・リー氏による市民フォーラムがイムズホールで行われた。

藤井氏はリー氏の経歴を紹介するとともに、リー氏が福岡アジア文化賞受賞することになった理由や背景などをあらためて説明した。

パフォーマンス

パフォーマンスでは、リー氏によるピアノの弾き語りとトークが繰り広げられた。1990年に日本デビューと同時に大ヒットを記録した『マッド・チャイナマン』をはじめ、『エイジア・メイジア』『フライド・ライス・パラダイス』『ナガランド』といったリー氏の代表曲や2003年10月にリリースされるニューアルバムからの1曲『セラドン』などが次々と披露された。また、リー氏は多様な文化が複雑に融合するシンガポールに生まれ育ち、自己のアイデンティティを追求し続けるなかで、西洋の模倣ではなく自らの文化を主張するオリジナルな音楽を開花させるに至った経緯などを語った。

チャリティーオークション

続くチャリティーオークションでは、リー氏の愛用品などをめぐって会場は大いに盛り上がり、5名の観客が目当ての品を落札した。収益金はリー氏の希望により、福岡国際交流協会の留学生基金に寄付された。

会場は、ラストソングが終わってもなお熱気に包まれ、リー氏との別れを名残惜しんでいた。

福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

福岡アジア文化賞授賞式の様子や各種イベントのレポートを含めた2003年度の事業報告書を、PDF形式でダウンロードいただけます。

2003年福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

各種イベントレポート

2003年度の市民フォーラム以外のイベントレポートをご覧いただけます。