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2011年市民フォーラムレポート

2011年大賞受賞/アン・チュリアン氏

アン・チュリアン氏により市民フォーラム
タイトル
民間信仰から見たアジアの稲作社会~カンボジアの村落から~
開催日時
2011年9月18日(日)/13:30~16:00
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
対談者
石澤 良昭氏(上智大学アジア人材養成研究センター特任教授)

第1部は、アン・チュリアン氏の講演および上智大学石澤教授との対談を行いました。アニミズム(精霊信仰)や仏教などが複雑に絡む民間信仰儀礼などを手がかりに、固有な民族文化を解き明かしてきたアン氏。そこから見えてくるアジア稲作社会、ひいては日本の姿にも触れながらお話しいただきました。

第2部では、カンボジアの伝統音楽、クメールクラシックの演奏。福岡ではめったに聴くことができない、カンボジアでもトップクラスの演奏家4人による優雅な調べに、観客のみなさまを悠久のカンボジア世界へと誘います。

満員御礼の会場
満員御礼の会場
司会進行・石澤良昭上智大学教授
司会進行・石澤良昭上智大学教授
特別演奏・クメールクラシック
特別演奏・クメールクラシック
“カンボジアに根付いたネアクタ信仰”

そもそもアニミズムとは、宗教が入ってくる前の民間信仰儀礼のひとつで、精神的な抽象概念という意味では、日本の「神道」と似たところがあります。もちろん、カンボジアと日本との直接的な文化的関連というわけではありませんが、ここではカンボジアの「アニミズム」について詳しくお話するとともに、日本との共通点についてもみていきたいと思います。

市民フォーラムで講演するアン・チュリアン氏

まず、アニミズムについてよく知っていただくために“ネアクタ信仰”についてお話しましょう。

“ネアクタ”とは、カンボジアで見られる土着信仰の精霊であり、稲作を行っている村人の間では今も強く信じられています。時に木に、時に岩や石にと“ネアクタ”が宿るものは様々ですが、精霊が宿った“ネアクタ”を村の中心に安置し、目に見えない大地のエネルギーを具現化したものということではみな同じです。

“ネアクタ”はその土地すべてを象徴しているため、逆に“ネアクタ”に何かをすれば、それが村全体に影響します。そのため、雨乞いの儀式や五穀豊穣を願う儀式などで象徴的に使われてきました。

ネアク=人、タ=ご先祖様、ご老人という意味からわかるように、祖霊崇拝的な意味をも有しているこの“ネアクタ信仰”ですが、重要なのは“ネアクタ”が神そのものというわけではないということです。その村の、その土地のエネルギーを象徴しているということです。特定の神様がいるわけではなく、経典や神官がいるわけでもない「アニミズム」が宗教とは大きく異なるのは、その点でしょう。

“カンボジアのネアクタ信仰と日本との共通点”

ここで、日本との共通点をみていきましょう。“ネアクタ信仰”において重要な要素のひとつにお酒があります。“ネアクタ”の儀式において無くてはならないもののひとつで、儀式のためだけにつくられたお酒を持ち寄り“ネアクタ”にかけ、それを皆で分け合います。これは単なる飲酒ではなく、より神に近づくためのテクニックというかプロセスのひとつであります。お酒を飲むことで一種のトランス状態におちいり、“ネアクタ”と交信するのです。ちょうど日本の御神酒のような役割でしょうか。

日本の農村社会でも、後に「神道」と繋がるであろう土着の儀式が数多く執り行われています。注連縄や御神酒、田植え前に苗に行ったお祓いなどもそうです。また、以前沖縄の竹富島に行った際、“御嶽(うたき)”という場所を訪れました。石を中心に村人が集まり、それに御神酒をかけて、みなで分かち合う・・・まさに“ネアクタ信仰”そのものです。ある特定の誰かというわけではない神の抽象性、またお酒を飲むことでその神に近づこうとする思考・・・このような日本のアニミズムをみると比較せざるをえないカンボジアとの共通点に驚かされます。

アン・チュリアン氏と石澤良昭氏による対談

東南アジア史、特に東南アジアの文化遺産、アンコールなどを研究しておられる上智大学の石澤教授との対談は、会場からいただいたみなさまからのご質問をアン氏にお答えいただく形で進みました。

---まずは、ネアクタについて。これは誰がいつ始めたのでしょうか?
アン氏:基調講演でもお話しましたが、ネアクタには神官も経典もありません。職業としての神官はいませんが、ネアクタを取り仕切る人はいます。村人から尊敬を集めている男性や長老がやることが多いですね。ただ、何をやるにしても誰かが勝手にやるということはありません。すべてみなで話し合って決められています。
石澤氏:民主主義にも通じますね。
アン氏:そうですね。ただ、行政上の根幹があってという意味での民主主義ではありません。
---村で宗教儀式を職業として執り行う「アチャー」との違いはなんでしょうか。
アン氏:“ネアクタ”を取り仕切る人がアチャーと兼任してる場合も多くあります。しかし、あくまでアチャーとして“ネアクタ”を取り仕切るわけではなく、コミュニティーのなかで尊敬されている人として執り行うということです。
---クメールルージュの時代、アニミズムは迫害されたのでしょうか?
アン氏:“ネアクタ信仰”は農村を中心として根強く息づいています。しかしながら、一時期それを表に出すことが禁じられた不幸な時代がありました。クメールルージュです。
石澤氏:クメールルージュの兵士はその多くが貧しい農村の生まれでしたね。
アン氏:そうです。つまり稲作農家の出身者たちです。もちろん、その子たちも、子供の頃から“ネアクタ信仰”に基づいた生活を行ってきたでしょう。それゆえ誰よりも“ネアクタ”を信じていたはずです。ただ、アニミズムを含め宗教全般が禁じられていたため、その一時期は誰も実践する人がいませんでした。
---では、なぜ今も“ネアクタ”は人々のなかに生き続けているのでしょうか。
アン氏:それは“ネアクタ”が物理的な影響を超えて存在するものだからです。さきほどの話にもあったように“ネアクタ”には秩序だった組織化されたものはありません。まるでジャズバンドのように即興で執り行われる側面が非常に強い儀式なのです。重要なのは物理的な儀式ではなく人の心です。ひとの心にある記憶、信仰心は誰にも消すことはできないのです。

カンボジア伝統音楽「クメールクラシック」特別演奏

Khmer Traditional Music for you~クメールクラシックをあなたに~

クメールクラシック特別演奏

今回のために特別にカンボジアからお招きした、クメールクラシックの名手たちによる伝統音楽の演奏が、式典の最後に披露されました。王立芸術大学を卒業後、現在は講師などをされ、王宮とともに来日するなどカンボジアでもトップクラスの演奏者による異国情緒たっぷりの調べに、時の経つのも忘れるほどでした。

クメールの伝統音楽は他の国々と同様にいくつかの種類があります。仏教寺院などで演奏されるものは「プンピアット」と呼ばれる合奏音楽。精霊信仰における祈りでは「プレーン・アラク」、結婚式では「プレーン・カー」。そして日常的な楽しみのために演奏される「モハオリー」などのアンサンブルの種類があり、使用される楽器もそれぞれ異なります。

今回のフォーラムでは時間もたっぷり、計18曲にもわたる様々なジャンルの曲を演奏いただきました。歌付の曲や竹笛のソロなど授賞式では聴けなかったバラエティーあふれる曲ばかり。なかでも日本の楽曲「シナの夜」には、観客のみなさまも目を閉じてうっとりと聴き入っておられました。

2011年学術研究賞受賞/趙 東 一(チョ・ドンイル)氏

趙 東 一(チョ・ドンイル)氏による市民フォーラム
タイトル
韓国文学から見た東アジア文明
開催日時
2010年9月17日(土)/17:00~19:30
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
モデレーター
稲葉 継雄氏(九州大学大学院人間環境学研究院教授)
パネリスト
伊藤 亜人氏(早稲田大学アジア研究機構教授)
パネリスト
松原 孝俊氏(九州大学韓国研究センター長)

文化的通貨ともいえる漢字と儒教がつくりだした東アジア文明圏。それらは共通なものを媒体にしつつ、固有かつ多彩な文化を相互に尊重しあい、影響しあってきました。

単に韓国古典文学だけでなく、中国大陸の中心部から周辺部にいたる文学比較の分野で健筆をふるってきた趙氏が、文明史の観点から「東アジアが再びひとつになる」ための思いを語ってくれました。

モデレーター・稲葉継雄九州大学教授
モデレーター・稲葉継雄九州大学教授
パネリスト・松原教授(左)と伊藤教授(右)
パネリスト・松原教授(左)と伊藤教授(右)
熱心に講演に耳を傾ける市民のみなさま
熱心に講演に耳を傾ける市民のみなさま
“文明圏と共同文語とのつながり、および文学史への影響”

長年の研究成果として『韓国文学通史』全6巻を2005年に完成させることができました。それまでの文学史は、その国における文学史の特殊性を明らかにしたものがほとんどでしたが、『韓国文学通史』は韓国文学史の一般性から導きだされた東アジア文学史、世界文学史の一般性を解明しようとした画期的なものでした。また『韓国文学通史』は、口承文学から漢文学へ、そして民族語記録文学へと昇華したことが韓国文学史のプロセスであることを明らかにしました。この考え方は、様々な国に取り入れられ、今も世界各国の文学史にも影響を与えています。

講演会での趙 東 一氏漢文を使用している国は、中国、日本、韓国、ベトナムですが、中国以外の国では「漢文」と呼んでおり(読み方は違いますが)用語としての統一はできています。しかしながら中国では漢代文、古文、文芸文、後漢語などさまざまな呼ばれ方をしており、同じ東アジアでも統一できていません。ですから私は、中国漢文を「共同文語」という呼び方に言い換えることを提案しています。東アジア全体として漢文を一緒に論じるためには、まずは用語の統一を図ることが最も重要なポイントだからです。

それでは文明とのつながりについて考えてみましょう。漢文はラテン語、アラビア語、サンスクリット語と並んで世界4大共同文語といえます。「共同文語」を共有している地域は、同じ文明圏に属し、宗教の教典にもその地域の「共同文語」が使われています。東アジアの「共同文語」である漢文も、東アジア文明圏と儒教・仏教を共有しています。

韓国文学通史は、口承文学、漢文学、民族語記録文学を対等に扱うという基本理念をもってますが、他の多くの国ではそうではありません。例えば中国文学史においては漢文学を主流に、日本文学史においては民族語記録文学を主流に扱うというように、文学史はそれぞれの国でそれぞれの特徴があります。これらは、東アジア文明圏の中心を中国と考えたきに、韓国やベトナムを中間部、日本を周辺部と捉える考え方が、文学史にも反映されているといえるでしょう。中心部で形成された共同文語文学は、中世の間、最高の権威と価値を誇りました。中心部へ行き見聞を広げ、認められることが、中間部、周辺部の文人たちにとって、とても重要なことだったのです。しかしながら周辺部の人にとっては、物理的金銭的にとても難しかったため、共同文語文学よりも、よりオリジナルな民族語記録文学を尊重する独自路線に移っていきました。一方中間部では、努力すれば何とか叶うという思いを捨てきれず、変化することを恐れ民族語記録文学への移行が結果として遅れることになります。

“通文の中心は北京、通語の中心は博多”

東アジア各国は、儒教を共有の理念とし、漢文を政治的・文化的交流に利用することで、ひとつの文明圏を築きました。しかしながら、漢文は文字を使った文章であり話し言葉ではないので、民間レベルで互いに交流するためには、言葉として通じるいわゆる「通語」が必要でした。東アジアがひとつになるための「通文」は国家的な努力で可能ですが、コミュニケーションとしての「通語」は人々の交流のなかから自然発生的に形成されていきました。

中国と韓国は「通語」のための専門家を国が用意し、ベトナムでは中国との交渉を華僑に任せていました。それに対し、日本では民間の商人だちがその役割を担いました。九州博多の商人はアジア各国を精力的にまわり様々な言葉を学び「通語」を取得し発展させていったのです。つまり「通文」の中心が北京であるならば、「通語」の中心は博多といえます。

“国境を越えた学問共同体を”

今世界には、東アジアをひとつの共同体として捉えようという動きがあります。経済の交流と発展が活発になされるなかで、その動向に注目が集まっています。しかしながら現状では国の規模、歴史認識、経済格差などで不和が生じ、とてもひとつになれるとは思えません。戦争の時代は終わりました。国家の境目を超え、共同体として今こそまとまらなければならないのではないでしょうか。そのためには、東アジア各国の研究者たちと国境を越えた学問共同体をつくる必要があります。哲学史、宗教史、芸術史、民族史などを含めた東アジア文明史を相対的に漢文で叙述し、それぞれの国の言葉に置き換えていく作業に力を注がねばなりません。争うよりもひとつになること、異質性よりも同質性をより重視し、東アジア文明の同一性を明らかにすることが最も重要なことです。

趙 東 一(チョ・ドンイル)氏とのパネルディスカッション

基調講演の後は、モデレーターに稲葉継雄九州大学大学院教授をお迎えして、伊藤亜人早稲田大学教授および松原孝俊九州大学教授を加えた4名でパネルディスカッションを行っていただきました。

---チョ先生の文学史について理解していただくために、まずは用語解説から。
松原:チョ氏の基調講演における最重要キーワードは「共同文語」。いわゆる中国語で書かれた「漢文」のことです。中世において漢文を使用してきた中国、日本、韓国、ベトナムでは「漢文」のことを「共同文語」と言い換えましょうというのがチョ氏の考え方です。そして、もうひとつのキーワードが「通文と通語」。「通文」は漢文を使った文書のことで、外交文書などが多く集まった北京を「通文」の中心と捉えています。一方「通語」はコミュニケーションのための活きた言葉のことで、アジア各国を渡り歩いた博多商人が集まる博多を「通語」の中心としています。博多には12世紀、宋の人たちを中心とした中国系の商人が集まり、いわゆるチャイナタウンを形成していました。インドネシアやフィリピン、タイまで商売に出るような人たちが使っていた、文字を使わないコミュニケーション言葉を「通語」と呼んでいます。それと対になる漢字を使った漢文を「通文」とし、相対的にセットで考えるよう提案したのがチョ氏なのです。
---文学史の移り変わりを示すなかで、文明を中心部、中間部、周辺部と分けられています。チョ氏の理論でいうと、日本はどのくらい周辺なのでしょうか?
チョ氏:文明は、古代に中心部で発生しましたが、古代から中世、近代へと移行するなかで、徐々にその目を周辺部へと移行していきます。ちょうどヨーロッパでも、その中心がイギリスからイタリアへと移っていったように。それにより先進が後進になり、後進が先進になるという新しい流れが起こりました。つまり、時代の移り変わりのなかで、その都度中心部、中間部、周辺部は変わるのです。ですから、どこを基準にいつの時代かにもよりますので、どのくらい周辺部かとは一概には言えないということです。東アジア自体もヨーロッパからみれば周辺ですし。
---では、それぞれの特徴は?
チョ氏:韓国はとても理論的な思考をもっています。それは、ヨーロッパにおける中間部であるドイツにもあてはまります。とても理論的というのが中間部の特徴ですね。また、日本はとても緻密です。日本で、木造の仏像をみたのですが、細かな細工がしてあって、とても感動しました。日本と韓国、それぞれの長所を持ち合わせて東アジアをひとつにしていければいいと思います。短所を直すのは難しいでしょう?長所を伸ばして合わせることで東アジアを強くしていきましょう。
松原:日本は論理が得意じゃないですよね。話芸やおしゃべり、映像や音楽、漫画といった感覚的なものが得意というのは「通語」の中心という話にも通じると思います。
チョ氏:例えば、日本が顕微鏡で韓国は望遠鏡だという例えはいかがでしょうか。細かいものや分析が得意な顕微鏡と、理論的体系的なことを得意とする望遠鏡です。お互い自分のものだと主張するのではなく、一緒になって研究していくことが大切なのです。
そういう意味でも東アジア学問共同体が必要なのです。ヨーロッパ共同体の根幹が経済・政治であるならば、東アジア共同体は文明を中心とした共同体です。そのなかでも学問を第一に、次に美術などの芸術を中心に据えるべきだと考えます。博多は釜山にも近いので、共同体の中心として十分機能する可能性を秘めていると思います。

2011年芸術・文化賞受賞/ニールズ・グッチョウ氏

ニールズ・グッチョウ氏による市民フォーラム
タイトル
建築保存修復から空間創造へ~アジアの現場が育てたクリエイション~
開催日時
2011年9月17日(土)/13:30~15:30
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
コーディネーター
藤原 惠洋氏(九州大学大学院芸術工学研究院教授)
パネリスト
稲葉 信子氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)
パネリスト
波多野 純氏(日本工業大学生活環境デザイン学科教授)

大学に行く前に様々な土地で様々な経験を積んでこられたグッチョウ氏。ビルマで3年ほど修行したり、日本で宮大工として働いた経験もあります。“保存”と いうのは、単に建物を残すことではなく、文化的、民俗学的、宗教的に様々なものを包括して考えなければなりません。これらの異文化体験が後のグッチョウ氏 の研究にとって非常に大きな糧となったことはいうまでもないでしょう。

そんな氏の視点からみた都市と建築の関係性について、事例を含めてわかりやすくご解説いただきました。

グッチョウ氏フォーラムコーディネーター/藤原 惠洋氏
グッチョウ氏フォーラムコーディネーター/藤原 惠洋氏
フォーラムでのパネルディスカッション
フォーラムでのパネルディスカッション
フォーラム会場にて図面解説を行うグッチョウ氏
フォーラム会場にて図面解説を行うグッチョウ氏
“保存修復の本質とは何か?”

私の父はドイツ、ハンブルグの建築家でした。その頃父が思い描いていた故郷の未来は、大きなビル群が立ち並ぶ輝かしいものでした。しかし、その後起こった戦争で美しい街は跡形もなくなります。大勢の人が亡くなり、建物は無惨に壊され、文字通り廃墟と化したのです。

グッチョウ氏市民フォーラムその戦争の後、自分たちの未来を新たに模索するムーブメントが起きました。それは、自分たちが築いてきた歴史を保存するだけではなく「再創造」するという 動きでした。歴史の喪失を補うためには、新しく創るだけではダメなのです。失った一部を回復、創造し直さなければ、取り戻すことはできないのです。

1971年に転機が訪れます。ネパール、バクタプールの歴史的建築物を保存、再生させようという「ドイツ・ネパール2国間保存プロジェクト」のメンバーの ひとりになったのです。6ヶ月ほどネパールを滞在して以来、ネパールとドイツを行き来する生活が今も40年以上続いています。

地震地帯を数多く抱えるネパールにおいて重要なのは、いかにそれに耐えうる構造にするかということです。修復にあたって、地下4メートルの深さに土台をつ くり鉄骨の柱を組み込みました。もちろん、外からは見えない構造にしたのですが、ネパールの人々は非常にそれを嫌いました。現地の技術者とは、エンジニア リングを活用するかどうかで意見がわかれましたが、東西の考え方の違いによるものなのでしょう。そもそもネパールでは、寺院は古くなったら新しく立て直す というのが基本的な考えです。神に捧げものをする神聖な建物である寺院は、古いものより新しいものの方が良いという考え方があるためです。

建築を学ぶ際「建築は機能だ」と教わりました。しかしながら、文化が違えばその機能も違います。窓は開けるためにあるのでしょうか?いいえ、違います。窓にそういう機能を求めない地域もあるのです。先入観を捨て、様々な文化を学び、理解することが大切なのです。

“賞賛すべきは、現地で代々受け継がれてきた匠の技”

他にも、現地の技術者たちと仕事をすると様々なことに気付かされます。ある寺院を修復する際、オリジナルのレンガがどうしても見つからないときがあったの ですが、写真をもとに現地の大工の方にお願いして再現してもらいました。再デザインというべきでしょうか。写真などの若干の資料をもとに、蓮の花やガルー ダなどが彫り込まれた複雑な紋様を再デザインしてもらい、見事修復することができました。現地の技術者たちは、何年も前から代々技術を受け継ぎ伝承してい ます。保存修復において重要なことは、国際的な会議や学会などではなく、現地で代々受け継がれてきた匠の技と知恵なのです。そして、それを評価することが 最も大切なことだと私は考えます。

ネパールに40年近くいることで、現地にどのような儀式があるのか理解することができました。ネパールの職人仲間も大勢できました。重要なのは、専門家と して関わるだけではダメだということです。もっと感情的に、情緒的に関わらなければならないということです。そうすることで、より多くのことを学ぶことが できるでしょう。

ニールズ・グッチョウ氏とのパネルディスカッション

日本近代建築史学および芸術文化環境論が専門の藤原惠洋氏をコーディネーターにお迎えして、遺産論・建築史の稲葉信子氏、保存修復復原設計の波多野純氏を交えた意見交換を行いました。

---波多野純氏からみた、真の保存修復とは
1987年からネパールで仕事をされている波多野氏ですが、グッチョウ氏とはそれ以来のお付き合いとのこと。今回の受賞に関しては、何といっても現場のプロジェクトリーダーが受賞したという事実が素晴らしいと、賛辞を贈られました。
波多野氏は、ご自身の研究対象であるパタン王宮を例に、都市構築に関するあり方を述べられるとともに、クマリやベナーレスなどネパール的思想についての解説もしていただきました。また、グッチョウ氏にも通じる現地とのつながりについてご自身の経験から次のような思いを語られたのがとても印象的でした。
最初の3~4年はゲスト扱いだったが、一緒に汗を流し共に働くうちに現地の人にとけ込むことができました。日本のゼネコンから多くの技術者を連れていけば、作業も早く終えることができるし簡単です。しかしそれでは、我々が帰ったあとに建物以外何も残らない。重要なのは、現地の人に誇りをもって仕事をしてもらうことなのです。みなが忘れてしまった過去の失われた技術を復活させたいのです。文化財として保存するための修理ではなく、現地の人の生活の中心となる生きた建物として保存させるべきなのです。
---稲葉信子氏による文化財行政の最前線~アフガニスタン、バーミヤーンを例に~
次に国際記念物遺産会議(ICOMOS)委員や日本ユネスコ国内委員会委員を務められるなど、世界遺産の最前線で活躍されている稲葉氏に、バーミヤーンを例に世界遺産の実情について語っていただきました。
2001年にタリバンによって破壊されたバーミヤーンの大仏ですが、仏教の最西として古くから多くのアジア人が住んでいました。イデオロギーの対立の犠牲として破壊された大仏でしたが、その破壊を含めた一帯が2003年「バーミヤン渓谷の建造物群」として世界遺産に登録されました。
日本を含めた多くの地域から支援の手が差しのべられ、保存修復のプロジェクトが発足していますが、そこで問題になったのが、破壊された状態で保存するのか、それとも修復するのか、修復するにしてもどこまで、どう修復するのかという問題です。いずれにしても、重要なことは、現地の人がどうしたいのかです。それが最も大切なことです。我々は現地の人の声に耳を傾けなければなりません。
---グッチョウ氏が考えるバーミヤーンの保存修復
保存修復において焦りは禁物です。何をやるにしても時間がかかるのですから、忍耐強くそのプロセスを受け入れることが大切です。バーミヤーンの再建は技術的には可能でしょう。でも、急いではいけません。再び内戦が始まるかもしれませんが、それでも待ちましょう。なせなら、我々が決めることではないからです。もちろん、パリのユネスコ本部が決めることでもありません。アフガニスタン自身が決めることなのです。ですから、バーミヤーンの大仏修復からではなく、周辺の石窟寺院の修復などもっと小さなところから始めましょう。そして待つのです。我々ができることから始めましょう。
---コーディネーター藤原氏によるまとめ
グッチョウ氏は、このフォーラムでも、先日の学校訪問や文化サロンでも共通のことをおっしゃっていました。専門家は保存修復のプロセスに参加していくだけにすぎないと。消極的な言い方ではありますが、重要なのはプロセスを現地の人と一緒につくりだしていくということです。現地の人と共に汗を流し、現地の技で修復していくことが必要なのです。今日も先生方みなさん共通で仰ったのが、決して上からの押しつけではダメだということです。そこに住む人がどうしたいのかを知り、そしてそれをどう実現に向けてコーディネートしていくのかということが、保存修復の専門家として最も重要な責務なのです。

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各種イベントレポート

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