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2012年市民フォーラムレポート

2012年大賞受賞/ヴァンダナ・シヴァ氏

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タイトル
大地の民主主義(アースデモクラシー)~未来へと続く正義と平和の文化を育む~
開催日時
2012年9月11日(火)/18:30~20:30
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
コーディネーター
竹中千春(立教大学法学部教授)
パネリスト
中村尚司(龍谷大学研究フェロー)

現代社会は、環境、経済、社会問題などさまざまな分野で深刻な危機状態に陥っています。世界中に溢れる欲望、経済至上主義による過剰な競争は、地球上の生態系や社会倫理を破壊しようとしています。

シヴァ氏は、肌の色、信条、国境を越えたあらゆる人間とあらゆる生き物が、ひとつの共同体としてつながっており、権利と尊厳が尊重されるべき大地の家族である、といいます。シヴァ氏の提唱する、この新しい考え方「大地の民主主義=アースデモクラシー」を通して、現代社会について考えてみましょう。

コーディネーターの竹中千春氏
コーディネーターの竹中千春氏
パネリストとのディスカッション
パネリストとのディスカッション
パネリストの中村尚司氏
パネリストの中村尚司氏

第1部:ヴァンダナ・シヴァ氏による基調講演

“この時代にとって本当の自由とは何か”

今、我々の自由は失われつつあります。アイデンティティやナショナリズムという狭い意味での自由ではなく、我々はもっと深刻な危機に直面しているのです。それは、気候変動や種の減少、水質汚染や水の枯渇など、生命に関わる危機です。こうした危機に伴い経済危機もはっきり見えてきました。

2009年にウォールストリートの金融崩壊があり、これまでの繁栄が一夜にして失われたのを我々は目にしました。これまでの成長、繁栄のアイデアは、今後上手くいかなくなるでしょう。この地球において、これまでの成長モデルには限界があるという真実に気付かなければなりません。なぜなら、それらは資源を消費するからであり、ゴミを生み出すからです。さらに政治危機は、市民からの自由を奪い、文化を崩壊し、恐怖や憎しみを世界中で生みだしています。

20年前、地球規模でグローバリゼーション推進する新しいプロジェクトがスタートしました。私が参加した国際会議で、元は軍事企業であった化学企業、農薬を製造している企業が、生きもの、生命に所有権があると主張しました。そして、農民が種子を保存するのは公正ではないと、自分たちの都合でルールを作ったのです。私はすぐにインドに帰り、種子を保存する活動を立ち上げました。これがナヴダニヤ運動です。

知識も命も生物もすべて共有材であり、地球からの贈り物です。しかし、企業は民主的なプロセスを経ずに自分たちだけで交渉し、貿易についての知的所有権に関する協定を作りました。以来、種子は知的所有権として所有されるようになり、一方で農民が種子を保有し、保存するのは犯罪だと彼らは主張しはじめたのです。

“ルールをつくるものが、すべてを支配する世の中”

forum1-middle1.jpgあるアメリカ先住民が「金(きん)を持っている者がルールをつくり、ルールをつくるものが金を持つ」という黄金則があると言っていました。これは、まさに自由貿易の本質と言えるのではないでしょうか。たとえば、TPPは企業によって支配されているものであり、“誰が”“何を”支配するのかを決めるものなのです。

企業は議会という民主的なプロセスを通さず、自分たちでルールをつくります。その結果、世界の種子は、たった5つの企業によって支配されています。ある企業は、現在世界で売られている種子の80%を管理し、98%の遺伝子組み換え種子を所有しています。ところが、食料を供給しているのは、巨大な農業企業ではなく、小規模農業が80%を担っているのが現状です。

インドではある大企業の参入により、コットンの種子の価格が、8000倍にまで上昇しました。その結果、農民は借金漬けになり、これまでに25万人もの農民が自殺しているのです。食料と農業が不安定化し、飢餓も飢饉もひどくなっています。農民に限らず、年間の食品の摂取量は、この15年間減少しています。世界中の至るところで、資源をめぐる闘いが広がっています。企業という仮想の存在が、水も川も空もCO2さえも所有すること目指し、地球上のすべての資源を保有しようとしているのです。こうした流れの中で、地球は生態学的な危機を迎えています。

“若者を中心とした、オルタナティブな新しい動き”

しかし、一方では新しい動きも世界中で起こっています。昨年、アメリカで若者たちが「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」という運動を立ち上げ、金融社会とは何なのかという疑問を投げかけました。毎日、3兆ドルもの資金が世界を駆け巡り、1ドルが何十倍、何百倍にも増えています。貪欲な資金が土地とモノと人々の食料を収奪し、1%の人が99%の資源を支配している社会は、公正ではないはずです。

こうした状況の中、新しいムーブメントが既に始まっています。若い人たちが、経済と雇用の機会を閉ざすことなく、より良い方向に進め、人々のための新しい経済を構築していこうという動きです。これまでと違ったオルタナティブ、既存のものに取ってかわる新しいものを作る動きが始まっているのです。

現在はすべての価値がお金に換算され、そしてお金は際限なく複製されています。ここから脱却して種子や生態系、地球全体を考えていく経済に根ざしていかなければなりません。そのために自由を奪っている企業の支配から脱却するべきなのです。本当の人間として生きるべきであり、市民としての自分の役割を考え直し、人間性について考えることが大切なのです。

お金は単なる手段であり、目的ではありません。これは重要なことです。消費者から脱却して地球の市民となること、欲と収奪の文化から脱却すること、分かち合いの優しい文化へシフトすること。私たちはこうした選択肢を持っているのです。

今日、この福岡アジア文化賞大賞を私に与えてくださった意味は大きいと思います。数世紀に渡って繁栄してきたアジアの経験を通じて、「アース・デモクラシー」をグローバルなレベルで展開することで、より良いアジアを取り戻すことができると私は信じています。

第2部:シヴァ氏とのパネルディスカッション

現代インド政治史が専門の竹中千春氏をコーディネーターにお迎えして、民と民との関係に注目した"民際学"を提唱する中村尚司氏を交えた意見交換を行いました。

オルタナティブな経済システムは可能なのか?

竹中氏:「大地の民主主義」の基調講演に、大きな感銘を受けました。正義と平和、地球と社会を長く持続していく持続可能性を提言されていましたが、人間として生きていくこと、多くの人々と生きていくとは、どういうことなのだろうかと考えさせられました。

forum1-middle2.jpg中村氏:シヴァ氏のお話では、これから私たちはシェアリングとケアリング、一緒に分かち合ってやっていくこと、互いにケアすることの大切さを強調されていました。

シヴァ氏が指摘されるように、私たちが「大地の民主主義」を捉え直さないまま、大企業が利益のために活動することを許していけば、いつか破滅に至ることでしょう。

日本ではアメリカより数十年も前に、企業の政治的権利を認め、政治献金を認めました。以来、企業の政治的意図が実現され、地震の多い日本に、こんなに多くの原発が作られてしまったのです。

その結果、現在の困難な状態を引き受けざるをえなくなったのです。このことは私たちにいろんな反省材料を与えてくれます。

お金を銀行に預けたら価値が増えていくことについて、キリスト教では長い間禁止されていましたが、イングランド銀行が創設されたとき、はじめて利子という考え方が導入されました。ところが、イスラムの金融機関ではお金を預けると保管料を取り、お金を貸しても利子は取りません。もし、事業が成功したら、その成果をくれればいい、失敗したら共に失敗を引き受けるという考え方です。イスラムの金融の原理をもっと評価してもいいのではないでしょうか。

竹中氏:利潤を追求する企業の政治的な権利について、日本ではアメリカよりも早く認めていたとのことですが、利潤追求の資本主義と人々の権利を実現するための民主主義の関係を、どう考えるのか重要な問題です。イスラム精神に則った金融の考え方を取り入れた経済システム、オルタナティブは可能なのでしょうか。

シヴァ氏:幸福とは、私たちの地球が良い状態であり、それが持続可能な形で存続し、生態系を持続可能な形で管理することにあります。ところが現在、世界の生態系の70%が、もう少しで崩壊するところまできていると国連が報告しています。

私たちは仮想の経済の中で生きています。これに対抗するためには、仮想のお金、目に見えないお金と現物を分離し、規制することが重要です。国民が一生懸命働いて貯めた貯金や年金が、少数の人のギャンブルに使われているからです。このような危険な経済ではなく、実態に沿った正しい経済を、家の中に、国の中に、地球の中に作らなければならないのです。

自然の生態系のプロセスの中で、本当の富を管理していかなければ、私たちの社会をきちんと作り直すことはできません。本当の富というのは、私たちの社会であり、関係であり、種子と作物であり、お互いにケアするところにあるのです。

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ご来場のみなさまからのご質問

会場のみなさまから事前にお寄せいただいた質問にシヴァ氏に答えていただきました。

---ひとつめの質問です。金儲けは悪いことか?企業は悪なのか?
竹中氏:企業は雇用を生み出し、富を生み出すこともできるではないか?企業活動に可能性はないのか?というご質問です。
シヴァ氏:はじめにビジネスと企業を分けて考えたいと思います。ビジネスは社会での許可を得ている存在であり、一定のルールの中でお金を儲けることができます。こうしたルールを作るのが社会であり、それを政府が履行するのが民主主義です。
しかし、グローバリゼーションの中で企業がすべてを決定してしまう事態は問題です。無制限の、規制のない企業の欲望が世界規模で拡大し、あらゆる資源をあらゆるところで略奪しているのです。規制がある場合には雇用が生まれてきますが、規制緩和されると企業はより安い労働力の外国へ工場を移転していきます。
私たちはデモクラシーの中でビジネスが上手く機能する仕組みを定着させなければなりません。企業は本来のビジネスに帰る必要があり、社会のルールに従う必要があるのです。具体的には、まずコストの内部化をすべきです。地球のコスト、生態系のコスト、人々のコストなど、内部化されていない社会的コストを内部化すべきなのです。これによって真の富が増えると思います。いまは激動の時代、大いなる破壊の時代です。しかし、新しいアイデアが生まれてくるクリエイティブな時代でもあります。
---ふたつめは、有機農業は現実的ではないのでは?というご意見です。
竹中氏:有機農業では企業に勝てないのではないのかという質問です。
シヴァ氏:有機農業の役割は、大企業の農業と闘うことではなく、悪い食品、持続可能ではない作り方をしているものに対する、オルタナティブを提供することです。私たちに食料を与えてくれる資源を本当の意味で生かし、保存していくことです。
ナヴダニヤのデータによれば、生物多様性に配慮した有機農業の方が生産効率の高いこと、企業のやっている農業のやり方では長続きしないことが科学的に分かっています。つまり、持続可能ではない産業的な農業では、地球全体を養うことはできないのです。
---最後に、シヴァ氏のそのバイタリティはどこからくるのでしょうか?
シヴァ氏:私たちが行っているのはコミュニティづくり、自然と人々、作る人と食べる人の関係づくりです。ですから、社会やコミュニティ、息子や多くの人々が私のエネルギーの源になっています。

2012年学術研究賞受賞/チャーンウィット・カセートシリ氏

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タイトル
国際都市アユタヤをめぐる海域交流~日本からアラビアまで~
開催日時
2012年9月14日(金)/18:30~20:30
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
コーディネーター
新田栄治(鹿児島大学法文学部教授)
パネリスト
岡本弘道(県立広島大学人間文化学部准教授)
パネリスト
藤田加代子(立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部准教授)

世界中から多くの観光客を惹きつけてやまない、世界遺産にも登録されたタイを代表する遺跡、アユタヤ。

第1部では、チャーンウィット氏による基調講演。14~18世紀に琉球、中国からアラブ世界やヨーロッパにまで、海による貿易と交流を行っていた国際貿易都市アユタヤの繁栄のすがたをたどっていきます。

第2部では、琉球を中心とした海上貿易を研究する岡本弘道氏と、オランダを中心とするヨーロッパ貿易を研究する藤田加代子氏による見解を交えながら、チャーンウィット氏とは違った角度から、当時のアユタヤについて迫ります。

コーディネーターの新田栄治氏
コーディネーターの新田栄治氏
パネリストによる独自のアユタヤ観発表
パネリストによる独自のアユタヤ観発表
パネリストと笑顔で意見交換
パネリストと笑顔で意見交換

第1部:チャーンウィット・カセートシリ氏による基調講演

“東南アジアでもっとも豊かな王国、アユタヤ”

チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州に位置するアユタヤは、タイの首都バンコクから北へ約76kmにある、美しい古代都市です。1351年にウトン王によってアユタヤ王国が開かれてから、1767年にビルマ軍の攻撃により破壊されるまでの417年間、シャムの中心であり続けました。主な宗教は仏教ですが、庶民の間では、精霊崇拝いわゆるアミニズムも重要な支柱のひとつであり、仏教だけでなく、バラモンやヒンドゥー教の行事なども行われていました。

封建国家のアユタヤでは、人々は王、貴族、僧、平民という4つの階層に区分され、支配者と被支配者とに明確に区別されていました。そして、外国との貿易は、国王が独占していました。独占貿易によりアユタヤ王室は、年間約40万バーツの利益をあげたと言われています。この金額は17世紀での年間国家予算、150万バーツの25%に相当する莫大な金額でした。

また、アユタヤは3つの川が合流する中州に位置しているため、外敵からその身を守るのに適していただけでなく、非常に肥沃な土壌として、多数の人口を養うだけの米を生産することができました。このような自然の地形が、アユタヤ王朝成立の重要な要因であったといえるでしょう。東南アジア有数の穀倉地帯であり、また海からもそれほど遠くないために外国との貿易にも都合がよかったアユタヤは、陸上では農業、海上では貿易と、どちらも手中に収めたことで、当時の東南アジアでもっとも豊かな王国のひとつと成り得たのです。

当時の遺跡を見れば、その繁栄ぶりと高い文明の様子もうかがい知ることができます。現在は、旅行者に非常に人気がある一大観光名所となっているアユタヤ。アユタヤを訪れる旅行者数でもっとも多いのは、日本人だそうです。アユタヤ王国の歴史遺産は過去の繁栄と高い文明の証拠として、1991年に世界歴史遺産にも登録されています。

“海上貿易と当時の輸出入品”

forum2-middle3.jpgアユタヤの海港は、北部や東北部(現在のイサーン)の諸都市からもたらされる物資が一気に集積する場所でした。「東洋のベニス」とも謳われたアユタヤは、その名の通り、たくさんの運河がはしり、チャオプラヤー川を経由して北タイや東北タイから様々な物資がアユタヤにもたらされた結果、世界有数の重要な貿易センターとなっていきます。

14世紀中頃に建国されたアユタヤは、15世紀前半には非常に重要な国際的港市として世界的に知られるようになり、18世紀まで繁栄の絶頂が続きました。あらゆる方角から、とくに東は日本から、西はインド洋、アラビア海から、外国の船舶がアユタヤに貿易のためにやってきました。外国商人たちが特に欲しがったのは「森林産物」。「東洋のベニス」とも謳われたアユタヤは、その名の通り、たくさんの運河がはしり、それらを使って、北タイと東北タイから上質な森林産物が運ばれました。中国のジャンク船やポルトガル船、オランダ船、日本の朱印船などいろんな外国船が行き来していたといいます。

アユタヤの交易品では「森林産物」が人気でした。これらは労役の代わりに上納された品物で、国家が保管していました。もっとも人気だった輸出品は、蘇木(そぼく)、沈香、鹿皮、象牙、ラック、安息香、密蠟。特に日本人には、蘇木が人気で、それを染料の原料として利用していたといいます。また動物の皮、とりわけ鹿皮も人気で、なめし皮にして甲冑などに利用されました。このほかに、アユタヤからは錫、鉛、ココナツ油、米、ビンロウの実、エイの皮も輸出されました。

逆に輸入される品物は、主に贅沢品あるいは稀少品で、インドからは木綿布(染色され、模様がプリントされたもの)、中国からは絹、ペルシャの染織品、ペルシャのバラ水、オランダとフランスからはガラス器、中国からは上質の陶磁器が輸入されました。日本からは銅や銅器、金糸、和紙、漆器などが輸出されました。

“日本との深いつながり~泡盛から山田長政まで”

日本人のなかでアユタヤとの貿易関係を最初に確立したのは、琉球人(沖縄人)でした。それは15世紀の初めから16世紀のほぼおわりまで続きました(1425-1570)。琉球とアユタヤの貿易関係は、アンコール征服者であるボロマラーチャ2世(1424-1448)までさかのぼります。当時の記録によると、東アジア、つまり中国、朝鮮、日本ではアユタヤからの輸出品に対する需要が大きく、琉球はその仲介者として活動していたといいます。145年間で150隻ほどの琉球船が東南アジアの港まで来航し、そのうち58隻、つまり約40%がアユタヤにも来航しています。

沖縄の有名な飲み物、泡盛は、かつての琉球の飲み物であることは広く知られていますが、タイから輸入された米と伝統的なタイの酒から発展したものであるというのは、あまり知られていません。泡盛は、シャム起源の製品ですが、600年以上にわたって琉球で作り続けられてきました。琉球王国が日本に占領されたとき、泡盛は徳川将軍への献上品のひとつとなり、高貴な人々の飲み物として、洗練された琉球固有のものとなったのです。今日でも、泡盛はタイから輸入されたタイ米から主に作られています。そのため泡盛は、タイの酒に似た独特の香りと味わいを持っているのです。

また、16世紀末、日本の交易船が初めてアユタヤに来航したという記録が残っています。その後、交易品の保管場所として日本人の小さな居住地が作られ、やがて日本人町へと発展していきます。当時の日本人のアユタヤへの移住を盛んにした要因のひとつに、日本でのキリスト教徒への迫害があります。日本人キリスト教徒は、信仰の自由を得るために自由の地、アユタヤへと移住してきました。アユタヤと日本の貿易が盛んな頃には約1000人~1500人の日本人が住んでいたといわれています。

アユタヤに移住した日本人のなかで、山田長政は、最も有名な人物の一人と言えるでしょう。彼はアユタヤ日本人居住地の頭領に仕えた商人であり、日本人居住地の頭目として、シャム王へ忠誠を貫いたことで知られています。18年間のアユタヤ在住のあいだ、彼はアユタヤ と日本の間の偉大な貿易商人および外交関係の支援者として奔走します。チャオプラヤー川の東岸にあり、歴史遺産として保護されている日本人町跡には、、アユタヤと日本の交流に関わる歴史資料を展示している資料館とともに山田長政の像が立ち、その町並みを今も静かに見守っています。

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第2部:チャーンウィット氏とのパネルディスカッション

東南アジア考古学および比較考古学が専門の新田栄治氏をコーディネーターにお迎えして、近世アジア海域史、特に琉球王国をめぐる海上交流史の岡本弘道氏、近世海域アジア史・日蘭関係史の藤田加代子氏を交えた意見交換を行いました。

---まずは、岡本氏に琉球とアユタヤ王国のつながりについてお話いただきます
forum2-middle2.jpg岡本氏:私は、琉球を中心としたアジアの海上貿易を研究していますので、東の日本の視点から見た琉球とアユタヤの交流を見ていくことにしましょう。
まず、琉球王国は中国の明、日本、朝鮮などに外交使節としての交易船を自ら派遣するなど、東南アジアでは常に広範囲な海域交流を行っていました。琉球王府の外交文書を記録した漢文史料「歴代宝案」によれば、派遣先で一番多いのは、やはりアユタヤです。1620年~1670年代にはアユタヤへ行った船は58隻と記録されていますが、記録に残らないものもありますから、実際にはもっと多い数だったと思われます。この派遣先は時代とともに変化していきますが、いつの時代でもアユタヤが中心でした。
あるとき、九州に見慣れない船が漂着しました。琉球は室町幕府から、その船と乗組員の送還を依頼されますが、パレンバン(インドネシアのスマトラ島南部にある都市)から来たというその港の場所がよく分からなかったため、とりあえずアユタヤへ移送しようということになりました。
“海上交易のハブ地点、アユタヤ”
つまり、パレンバンの場所はよく分からないが、一旦アユタヤへ返送しておけば、そこから先は何とかなるだろう、という考えだったわけです。このことからも、当時のアユタヤは海上交易のハブ地点としての役割を持っていたと考えられます。東南アジアではアユタヤの位置付けが特に大きかったわけです。
後に琉球はパレンバンとも交易を開始していますが、琉球はアユタヤを機軸としてアジア交易を行っていたのです。もちろん、漂着船は無事、帰還できたそうです。
また、琉球はアユタヤ、明、朝鮮、日本などに交易船を派遣し、各地で入手した産物を運んで売り、入港地の産物を仕入れて運ぶという中継貿易を東アジアで幅広く展開していました。琉球からアユタヤへは、中国産の青磁、染め付け、織物、日本刀などが輸出され、アユタヤから琉球へは、胡椒や蘇木(そぼく)、象牙、サイのつの、香料などがもたらされました。
なかでも、明へは14世紀末から15世紀前半のピーク時には毎年2~3回、16世紀以降も年に1~1.5回、交易船を派遣していました。一方、アユタヤは14世紀、成立直後の明へ頻繁に交易船を派遣しましたが、琉球の明への派遣が増えるとともに次第に減少します。これは琉球が、明の産物を仲介してくれるため、わざわざ明への朝貢貿易を続ける意味合いが薄れたことによるものです。アユタヤと中国の媒体として、その両者間を埋める役割を琉球王国が担っていたと言えます。
チャーンウィット氏:ひとついいですか?琉球がアヤユタ経由でインドネシアのパレンバンに漂流船を送り帰したという事例は、とても興味深いですね。貨物船や貿易船に乗せて、ついでに送り返したのかもしれません。イギリス人やオランダ人は、全ルートを独占し海域全体を統括していました。また、東アジアでは海上ルートをパート、パートで棲み分けて管理していたため、ここからここまでは誰々の責任というような協定があったのではないでしょうか。それに対し東南アジアでは、海域をみなで共有して使っていました。そのため、アユタヤ経由で返送というようなことができたのかもしれません。
---続いて、藤田氏にヨーロッパ人からみたアユタヤ像についてお話いただきます
forum2-middle1.jpg藤田氏:私は東インド会社などグローバル・ヒストリーが専門ですので、当時のヨーロッパ人の目から見たアユタヤ像を考えてみましょう。(ある会議風景を描いた油絵をスライドで見せながら)この絵はオランダ東インド会社(VOC)の依頼で1662年頃に描かれた、VOCの重役会議の様子を描いたものです。この会議室の壁には、アユタヤの絵が飾られているのがわかるでしょうか。世界初の株式会社であり、当時随一のグローバル企業であったVOCの中枢である重役会議室の壁に、アユタヤの絵が飾られているのです。これをとってみても、ヨーロッパにおけるアユタヤの重要性がみてとれます。
第13回福岡アジア文化賞学術研究賞受賞者であるアンソニー・リード氏は、15世紀から17世紀にかけての東南アジアを“交易の時代”と呼びました。“交易の時代”の典型的な港市であるアユタヤには、空間的な特徴が見られます。アユタヤの周りをぐるりと取り囲むように諸外国・諸民族の居住地が並び、自由に行き来する開かれた国際都市という概要を形作っていました。これに対し17世紀の長崎では、海上に出島を築き、厳しい貿易管理と異民族管理を行うなど、市民と外国人との交流が厳しく制限されていました。当時の“交易の時代”からは、随分かけ離れた状況だったことがわかります。
“可視の王権、不可視の王権”
アユタヤが自由な都市だったことは、王との謁見儀礼からも分かります。(王との謁見儀礼を描いた絵をスライドで見せながら)これは、アユタヤ王が自分の体を伸ばして外国の使者から親書を受け取っている場面です。謁見する使者は、思い切りへりくだる必要があるにも関わらず、この絵の使者は全然這いつくばった感がありません。また、アユタヤ王もそれに対して無礼だと怒ったりしていません。随分フレキシブルに応対していたのが分かります。もしかしたら、相手によって謁見儀礼そのものの変更も可能だったかもしれません。こうしたアユタヤ王の姿から、謁見儀礼の柔軟さや海外交流への積極的な姿勢が見て取れます。
一方、徳川時代のオランダ商館長による江戸参府を描いた絵では、200年間に数100回も行われたはずの拝謁シーンが一度も描かれていません。日本には、将軍と使者の、そういった場面を描いた絵すらないのです。これは日本では謁見儀礼が定型化され、外国人が恭順の意を表わす場として設定されていることを示しています。見える王権(可視の王権)と見えない王権(不可視の王権)とでも言いますか、謁見に関する基本的な考え方の違いや、背景にある政治哲学の違いが見えてきます。
チャーンウィット氏:藤田先生のお話によると、謁見儀礼ではアユタヤの王権は柔軟で、徳川将軍は大変に厳しいということでしたが、これを聞いて京都大学名誉教授の石井米雄先生の言葉を思い出しました。シャムの王は素晴らしい商人であり、より貿易に積極的だったのではないか、より互恵的な関係を他国と構築したかったのではないでしょうか、と仰っていました。

ご来場のみなさまからのご質問

会場のみなさまから事前にお寄せいただいた質問にチャーンウィット氏に答えていただきました。

---ひとつめの質問です。アユタヤにある仏像の頭が欠けているのは、ビルマが壊したのですか?
チャーンウィット氏:私はそうは思いません。タイ人の仕業かもしれません。アユタヤは度々ビルマから攻撃されているのは事実ですが、シャムからもビルマを攻撃していたと思います。攻めたり、攻められたりという歴史なので、ビルマ軍によるものかどうかは分かりません。
藤田先生のお話では、謁見儀礼ではアユタヤの王権は柔軟で、徳川将軍は大変に厳しいということでしたが、これを聞いて京都大学名誉教授の石井米雄先生の言葉を思い出しました。シャムの王は素晴らしい商人であり、より貿易に積極的だったのではないか、より互恵的な関係を他国と構築したかったのではないでしょうか。
---ふたつめは、タイではスコータイとアユタヤをどのように考えていますか?というご質問です。
チャーンウィット氏:先日お会いした秋篠宮殿下にも同じような質問をいただきましたね。時代的には、スコータイが先に起こり、後にアユタヤが起こったのですが、タイ人にとっては、スコータイは黄金の時代であり、桃源郷なのです。やや美化し過ぎている傾向もありますが、欧米を真似しなくても、我々にはスコータイという素晴らしい歴史があるじゃないか、というほど夢のある時代だったと考えています。
---最後は、山田長政について。今のタイ人にとってはどういう存在なのでしょうか?
チャーンウィット氏:タイの歴史教科書には、山田長政の記述はあまり出てきません。日本人が思っているほど偉大な人物だとは思われていないようです。タイでは"そんな悪いことをしていると、悪い日本人が来るよ"と言って子どもを叱る場合があります。その悪い日本人というのが山田長政なんですが。

2012年芸術・文化賞受賞/キドラット・タヒミック氏

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タイトル
キドラット・タヒミックの映画=宇宙~アジア・インディペンデント映画のパイオニア~
開催日時
2012年9月16日(日)/13:30~18:30
会場
エルガーラ大ホール
対談者
石坂 健治(日本映画大学教授、東京国際映画祭アジア部門ディレクター)

アジアの個人映画作家の先駆者的存在として、世界の映画文化に大きな影響を与えてきたタヒミック氏。

市民フォーラムでは、そんな氏の代表作でもある「悪夢の香り」「虹のアルバム 僕は怒れる黄色'94」「マゼラン」が上映され、その他に、石坂健治氏(東京国際映画祭アジア部門ディレクター)との対談や、タヒミックさんによるパフォーマンスもあり、内容盛りだくさん!台風が直撃する悪天候のなかお集まりいただいた多くのみなさまと、氏独特の”クレイジー・ワールド”を楽しみました。

対談者の石坂健治氏
対談者の石坂健治氏
お手製バンブーカメラで撮影
お手製バンブーカメラで撮影
ロビーに展示されたインスタレーション
ロビーに展示されたインスタレーション

タヒミック氏と石坂健治氏による対談

1977年制作の『悪夢の香り』を観賞後、東京国際映画祭アジア部門ディレクターである石坂健治氏をナビゲーターにお迎えして、タヒミック氏の映画制作に関する考え方や映画観について対談形式で語っていただきました。

ミスター・タイフーン、タヒミック氏の登場!

forum3-middle1.jpg石坂氏:台風の日に台風の映画(『悪夢の香り』のこと)を見ていただき、これほどふさわしい日はありませんね(笑)。私は長年、映画祭のディレクターを務め、タヒミック氏と一緒にイベントをやってきました。彼は他にはない独特のアーティストですが、実は相当なイベント屋泣かせです(苦笑)。日本人は事前に構成や時間割をキチンと決めますが、彼は必ず決め事をひっくり返すからです。今日も何も決めないで、Jazzセッションのように流れのままに進めようと思います。リラックスして監督の考えを聞いてみましょう。

(日本語で「台風~!台風~!」と言いながら、またフゥ~、フゥ~と息を吹きながらタヒミック氏登場)

タヒミック氏:"マガダン・ハーポン!"(こんにちは、という意味)。どうやら、私がフィリピンから台風を連れてきたみたいですね、ゴメンナサイ

石坂氏:これからはミスター・タイフーンと呼ぶことにしましょう。監督は本当に台風みたいで、いつもイベントを無茶苦茶にしますが、終わってみると、空気がみんな入れ替わったように世界が新鮮に見えるんですね~。

タヒミック氏:台風には清浄効果があって、空気の中の汚れや道路の邪魔者を吹き飛ばしてくれます。台風は破壊も混乱ももたらしますが、純粋な意味ではエネルギーそのものです。フィリピン人は眠っている繭のようなもので、その繭を破るためのエネルギーとして、映画の中に台風を使ってきました。

石坂氏:監督の映画『悪夢の香り』が、日本で初上映されてから今年でちょうど30年です。初来日された当時は、確かモンペをはいていたはずですが・・・そういえば、今日の衣装も素敵ですね。

タヒミック氏:モンペも快適で好きです。フンドシを履くことには、外国文化からの解放という意味合いも込めているんですよ。今日の衣装(マント)は、能登で買ったものです。稲妻がモチーフになったデザインで、とても気に入っています。(キドラット・タヒミックはタガログ語で静かなる雷という意味)

巨匠フランシス・F・コッポラとの縁

forum3-middle3.jpg石坂氏:『悪夢の香り』を欧米へ紹介したのは、あのフランシス・F・コッポラ監督ですが、彼が監督した『地獄の黙示録』は、実はフィリピンの森林で撮影されたものなんです。ちょうど『悪夢の香り』の製作と同じ時期、同じ地域で撮っていたそうですね。

タヒミック氏:そのようですね。20kmと離れていない場所でしたが、当時私は何も知りませんでした。『地獄の黙示録』は2400万ドルを投入した超大作だったわけですが、私の『悪夢の香り』はわすか1万ドルの制作費でした。後になってコッポラ監督の作品を見て、戦争の狂気を扱った点が素晴らしいと思いました。

一方、私は自分たちの同胞の強さを、村の長老や伝統を、また昔ながらの知恵を見直すことを、どう表現するのか考えていました。

私たちはマクドナルドやケンタッキーなどの媒体を通して、胃袋の中からグローバリゼーションに染まり、帝国主義的な外国文化に支配されてきました。しかし、フィリピン人も他国の人も、人として世界で尊敬されるべき同等の存在でなければならないと考えていたのです。

石坂氏:アジアフォーカス福岡国際映画祭のディレクターを務められた佐藤忠雄先生の名言に、アジア映画のいいところは、モノを壊さないところだというのがあります。『地獄の黙示録』では、森を燃やすなど破壊シーンがたくさんあります。後にコッポラ監督の会社は倒産するのですが、あれは森の神様の怒りに触れたのではないでしょうか。

タヒミック氏:コッポラ監督もお金がなくなったと聞きましたが、私は最初から一文なしで撮影を開始しました。多くの場所で上映もしましたが、大きな収益を上げることはできていません。しかし、彼にはとても感謝しています。

世界市民になるために、固有の伝統文化を見直せ

石坂氏:コッポラ監督がアメリカでの配給元として尽力した『悪夢の香り』は、グローバリゼーションという言葉もない時代なのに、いろんな要素が入っていますね。

タヒミック氏:アメリカのラジオ放送をはじめ、TVや食べ物、アイドルなどアメリカを崇拝するものや映画がどんどん入ってきました。そこでは、たとえフィリピン人を撮った映画だとしても、アメリカの影響を受けたメッセージや価値観を、観客に与えることが問題なのです。元々フィリピンにあったものではない精神構造や価値に接していると、私たちは私たちでなくなるのではないか、と心配になるのです。

forum3-middle2.jpgロビーの作品を見てもらえましたか?フィリピン北部、棚田が広がる山里にイフガオ族は暮らしています。彼らはイナビアンという風の女神、台風の女神を信じています。それに対するもう1つのシンボルは、誰だか分かりますね?そう、私も大好きなマリリン・モンローです(笑)

(そう言って、竹製のカメラを客席に向けながら)みなさん、カメラに向かって笑ってください!これはバンブーカメラです。このカメラでは自分自身の目と魂で見た映像や、風の女神の姿が撮れるのです。ハリウッドで大量生産された映画の対極にあるものとして、私たちの伝統的な女神は存在するのです。

物語を語るとき、何を語るのか、何を示していくのか、それが重要になっている時代なのです。他国の文化をコピーするだけでは、キチンとした世界市民にはなれません。つまり、『悪夢の香り』は、他の文化の方程式を真似るのは止めよう、という覚醒のための映画なのです。

石坂氏:『悪夢の香り』が発表された1977年は『スターウォーズ』の第1作目がスタートした年ですね。監督の初期の作品には、月やアポロ計画などがよく出てきますが、この2作品が同じ年の発表ということについては、どう思われますか?

タヒミック氏:『悪夢の香り』では、主人公が風の女神の力を借りて、宇宙へ昇って行ったというシーンを最後に入れています。この宇宙は比喩であり、アポロや新幹線はすごいなあ、という先進国への憧れを表現しています。しかしながら我々には、ヒーローとして宇宙飛行士ではなく、例えば風の女神がいるじゃないか、ということを言いたかったのです。

フィリピン映画監督との交流

石坂氏:この時代、フィリピン映画に秀作が多いのですが『マニラ 光る爪』で知られるリノ・ブロッカ監督とは、フィリピン大学で机を並べていたそうですね?

タヒミック氏:そうです。リノさんは社会的な問題意識を持った方で、貧困問題を多くの作品の中で取り上げています。彼は商業映画に軸足を置き、私はインディペンデントでやっていますが、2人とも興業収入の方程式に沿っていないのが共通点かもしれませんね。

石坂氏:フィリピン独立の英雄の生涯を描いた大ヒット作『ホセ・リサール』のマリルー・ディアス=アバヤ監督(第12回福岡アジア文化賞芸術・文化賞受賞)とも親しいと伺いましたが。

タヒミック氏:そうです、友人です。実は『ホセ・リサール』には私もエキストラ出演しているんですよ。彼女はいま、ガンで闘病中ですが、相変わらず強い精神で闘っています。この作品をきっかけに、自分の国の文化と未来を誇りに思う気運が高まったのです。

対談の最後は、この後上映される『虹のアルバム 僕は怒れる黄色'94』と、未完成の『マゼラン』についてご紹介いただきました。“『マゼラン』が完成する頃には、フンドシが世界で流行しているかもね、バンザイ!ふんどし!!”と叫びながら、ミスター・タイフーンは舞台を後にしました。

今回上映された3作品のご紹介

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悪夢の香りPurfumed NightMare
1977年制作/16mm/95分
ベルリン国際映画祭批評家賞受賞(1977年)
タヒミック氏の名を一躍世界に知らしめた作品。おかっぱ頭の貧しいフィリピン人青年キドラットは、宇宙飛行士を夢見て、憧れの地パリへと赴く。しかし、そこで彼を待っていたのは辛い現実だけだった。宇宙飛行士の夢が遠のくなか、ひとり故郷の村を想うタヒミックは・・・。
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虹のアルバム 僕は怒れる黄色'94Why is Yellow Middle of Rainbow?
1994年制作/16mm/175分
ボンベイ国際映画祭審査員特別賞受賞(1993年)
「なぜ虹の真ん中は黄色なの?」という子供との他愛ない会話からインスピレーションを得て制作された全7部後世の作品群のひとつ。黄色を反独裁者運動のシンボルとする政治プロテストの渦中にある息子たちを記録した、日記風ドキュメンタリー。
マゼラン
未完成の作品。現在制作中
マゼランに仕える奴隷(タヒミック氏)が、宇宙の力に導かれて、世界で初めて地球一周をしてしまう物語。2022年には、マゼラン世界一周500周年を迎えるため、この時期に合わせて、タヒミックさん演じる主人公が、ハリウッドの象徴であるモニュメントバレーをはじめとする世界各地に、イフガオの木彫り像をフンドシ姿で置いていく、という撮影プランを予定しているようです。

タヒミックさんによるスペシャルパフォーマンス

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『マゼラン』の上映終了後、会場の後ろの扉から、大きなドラを鳴らしながらタヒミック氏が再登場!会場を練り歩きながら再び舞台へ上がりパフォーマンスが始まりました。

◆◇◆舞台パフォーマンスの要約◆◇◆

すべての学科を修めたので、大ヒット作の映画製作博士号を授与します。(と、修了証書を受け取る真似をするタヒミック氏)

さあ、イフガオの村に帰って、棚田でのセックスをテーマに映画を作ろう!お母さん、見て。博士号を取ったんだから、もう、働かなくてもいいんだよ。セックス+バイオレンスで大ヒット間違いなしさ!

お母さん、なぜ寂しそうな顔をしてるの?20年前、村を出て行くとき、先祖のために風の女神の映画を作る、棚田を支えた伝統の技の映画を作ると言っていたじゃないかって?でも、誰がそんな映画を見に行くの?棚田にランボーが現れて大暴れする方が、簡単にお金もうけができるんだよ、お母さん・・・

・・・ご先祖様の、あのおじいさんは、どんなふうに僕にお話を語ってくれたかな?そうだ、思い出した!

高速カメラがなくても、ソニーのビデオがなくても、物語は作れる。そうだ、僕にはバンブーカメラがあるじゃないか!これで棚田の物語を作ろう。風の女神、昔からこの地に伝わる多くのストーリーの映画を作ろう。ワァオ~!

最後は、タヒミック氏の息子がドラを鳴らしながら、フンドシ姿で舞台に登場。さらに奥様などご家族全員も太鼓を叩きながら踊りの輪に入ります。タヒミック氏は能登のマントを脱ぎ捨てふんどし姿に!にぎやかに演奏しながら、ステージ上で踊るタヒミック一家は、まさに台風そのもの。観客を巻き込んでのパフォーマンスに会場全体がひとつになりました。

2012年芸術・文化賞受賞/クス・ムルティア・パク・ブウォノ氏

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タイトル
ジャワ・スロカルト王家のガムランと舞踊~伝統の源(みなもと)から世界に向けて~
開催日時
2012年9月15日(土)/13:30~15:30
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
司会進行・対談者
田村史子(筑紫女学園大学准教授)
監修
藤井知昭(国際文化研究所所長)
楽器提供・協力
筑紫女学園大学

インドネシア、中部ジャワの王家に代々伝承されてきた、宮廷舞踊の後継者であるムルティア氏。氏が率いる宮廷舞踊・演奏団は、これまで日本を含む世界中の名のある芸術祭等で数々の公演を行い、喝采をあびてきました。

市民フォーラムでは、田村史子(筑紫女学園大学准教授)氏をナビゲーターにお迎えして、ムルティア氏による解説を交えながら、本場の宮廷舞踊やガムラン演奏をご鑑賞いただきました。普段は指導にまわられることの多いムルティア氏の実演が生で見られるとあって、多くの市民のみなさまにお集まりいただきました。

ナビゲーターの田村史子氏
ナビゲーターの田村史子氏
女性4名による宮廷舞踊家スリンピ
女性4名による宮廷舞踊家スリンピ
ガムラン音楽の演奏と歌
ガムラン音楽の演奏と歌

第1部:ガムラン演奏と女性宮廷舞踊スリンピ

ガムラン演奏による古典曲「ウィルジュン」と、女性宮廷舞踊スリンピによる「ウルシト・ルクミ」を鑑賞後、田村氏にジャワ伝統文化を含めた詳しい解説をいただきました。

“民族や言語が違っても根源はひとつ”

forum4-middle3.jpgアジアを含めて世界中の民族が違う言葉を話すように、それぞれ固有の、独特の音楽を持っています。最初にお聴きいただいたガムラン演奏による、古典曲「ウィルジュン」。ガムランの音色を聞いて、とても不思議な音、聞いたことのない音と感じられた皆様も多いのではないでしょうか。と同時に、何かとても懐かしいような・・・私は初めて聴いたとき、この音の中に母の胎内の音と大宇宙の音を同時に聞いた気がしました。

そもそも、人間はなぜ音楽を持っているのでしょうか。人間は言葉を持つ以前から歌ったり、踊ったりしてきました。宇宙の始まりや地球45億年の歴史の記憶が、私たちの中にあるはずですが、それは言葉では表わせないものです。それぞれの民族が違う音楽や踊りを持っていますが、その根源は一つだと思います。私たちは宇宙のどこかからやってきて、この地球に生れましたが、その長い長い歴史を音の中に表しているのではないでしょうか。深いところで音楽が共通しているのはそのためです。

インドネシアのガムランでは、バリのガムラン音楽が知られていますが、ジャワのそれはあまり知られていません。インドネシアには固有のアミニズム文化(精霊信仰)がありますが、バリもジャワもヒンドゥーの影響を受けています。日本が戦国時代の頃イスラム教が入ってきて、その影響を受けマタラム王家が成立します。その正統な末裔がスロカルト王家なのです。王家の中核には、伝統的なガムランと舞踊があり、聖なる宝物として受け継がれています。ジャワの王家は武力で領土を広げるのではなく、ガムランと踊りの力により王権が強められ、王国として盤石な体制を築いていったのです。

“今でも文化的中核を担う、生きた伝統”

forum4-middle5.jpg1945年にインドネシア共和国が成立して王制はなくなりましたが、今でも文化的な中核としての役割を果たしています。しかし、政治基盤がなくなったため、経済的には非常に苦しい状況に置かれています。伝統的なものというと、古いまま同じものと思われがちですが、ガムランは生きている伝統であり、古い伝統に従いながらも、常に新しい要素を付け加えて進んでいます。

次はスリンピという女性宮廷舞踊による「ウルシト・ルクミ」についてご紹介します。「金のお知らせ」という意味をもつ「ウルシト・ルクミ」は、ムルティアさんが福岡アジア文化賞を受賞したことにインスピレーションを受けた、ガムラン演奏団のサプトディニングラット団長が作詞作曲した新譜になります。これまでムルティアさんが守ってきた王家や、この受賞をきっかけ未来に向かう希望などが詩的につづられ、これにムルティアさんが踊りを振り付けたものです。

踊りの途中で戦いのシーンがありましたが、あれは伝統を壊そうとする様々なものとの戦いを表現しています。財政的に苦しい王家のなかで、実際に王宮にホテルを作り事業に乗り出そうという動きがあったのですが、それに対して、伝統を崩壊しかねないとして、ムルティアさんは反対を貫きました。「闘う王女」として、連日インドネシアで報道された経緯も舞踊で表現されたのではないでしょうか。

第2部:対談とムルティア氏による実演

第2部は、引き続き田村氏とムルティア氏による対談形式をとりながら「ジャワ宮廷舞踊の成り立ち」について、ムルティア氏の実演を交えながらご解説いただきました。

---まずは、ジャワの宮廷舞踊についてお話いただきます
forum4-middle1.jpg田村氏:スリンピ(女性による舞踊)では、踊り手の裾から花びらがこぼれ、ちょっと驚かれた方もいるかと思います。バリとジャワは近いようで、実は違いがあります。
どちらもヒンドゥーの影響を受けていますが、ジャワ文化ではイスラムの神秘主義と融合したより内面的な文化が培われてきました。バリでは花を外側の見えるところに最初から飾りますが、ジャワでは花びらを裾の中に隠して踊ります。踊りの途中で裾から花びらがこぼれることで、内に秘めた思いがハラリとこぼれる、という情景を表しているのです。日本的な感覚に近いものが感じられます。
かつて宮廷には、踊り手と楽団が100人ずつもいたそうです。ガムランは、歌詞と踊りと演奏を含めたものですが、踊り手は、結婚すると原則としてやめるそうです。なぜならマタラム王家は、初代の王様が海の女神と結婚して作られた国であり、その物語を踊るものが宮廷舞踊であるからです。
ムルティア氏:ジャワの宮廷舞踊には9人で踊る“ブドヨ”と、4人で踊る“スリンピ”があります。宮廷舞踊の基本はブドヨであり、初代の王と、海の女神との出会い・結婚を表現するもので、伝説によると1586年に女神から与えられたものだと伝えられています。今ある踊りは、すべてそれを基本にして作られたものです。ブドヨは王の瞑想、精神的な修養のために踊られるものです。王は体の9つの穴を閉じて欲望を退け、瞑想します。方位を表す4つの色、赤・白・黄・黒の力を1つに集中し、精神力を高めていくのです。
---舞踊はどのように勉強していくのでしょうか?
forum4-middle2.jpgムルティア氏:宮廷舞踊は、宗教儀礼の中で踊られるもので、結婚したら踊らないという伝統を守らなければなりません。ようやく成熟した踊り手に育ったところで結婚してしまうケースもあり、常に次の世代を育てるのが大変なのです。
田村氏:若者を育てるために、ムルティアさんは協会を設立して理事長となり、そこで舞踊を教えられています。ムルティアさん自身はどのようにして学びましたか?
ムルティア氏:現在の王は13世ですが、私の母は12世の王の妻であり、踊り手でもありました。踊りの環境が身近にあったので、私は幼稚園に入る前から踊っていました。実際に王宮では8歳から踊り始めましたが、その前からガムラン音楽は体に染み込んでいました。
---ではここで、女性舞踊の基本を実演を交えて教えてもらいましょう
ムルティア氏:舞踊は単なる踊りではなく、ガムランと一緒に、歌詞の言葉とも一緒になって、私たちを創造してくれた神への祈りを込めて踊るものです。(女性舞踊の基本を示しながら)このように脚を開き、膝を曲げ、手の親指を中に折ります。それから肘が体の横にくるようにして構え、体重をなめらかに右から左へ移動し、頭の向きを決めます。手の動きは様々あり、すべて意味があり、名前がついています。
◆◇◆手先や足の運びなどを実演するムルティア氏◆◇◆
田村氏:私も24歳から宮廷舞踊を勉強していますが、切れ切れでは教えてもらえません。1週間に1回程、1時間半程一緒に踊りながら、全体で覚えていくのです。
---では、ガムランと舞踊の関係はどのようなものですか?
forum4-middle4.jpgムルティア氏:ガムランと舞踊は、絶対に切り離せない関係です。まず曲が作られて歌手が歌う旋律に歌詞がつけられます。それから踊りの振り付けが決められるのです。
田村氏:ガムランの話も聞いてみましょう。王宮では、常にガムランが演奏されているそうですね?
ムルティア氏:現在は54名の演奏家、そしてお世話をする人がいます。儀礼のための演奏は、毎週月・水・木・土に行われますが、演奏家に大きな負担がかかっています。
ガムランの演奏曲は儀礼ごとに決まっているため、演奏の音を聞けば、何の儀礼がどこまで進んでいるのかが分かります。例えば、王宮から使者や山車など何かが出て行くときの音楽、王様が出ていくときの音楽、兵士が行進に付き添うときの音楽、王族の結婚式の音楽などです。
(と言って兵士の行進の真似をするムルティア氏
田村氏:王女様が弓矢を持って街を練り歩く姿は、日本でしか見られませんよ(笑)。ジャワでは絶対にありえないことです!今回の市民フォーラムでは、ジャワの素晴らしい芸術を多くのみなさまに知っていただき、大変にうれしく思います。経済的基盤の弱い中で、伝統を守り続けてきたムルティアさんの功績は大変に大きいものです。

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笑いにあふれた対談後は、再びガムラン音楽による「瞑想の曲」の演奏と、男性舞踊クロノをご披露いただき、ムルティア氏による市民フォーラムは大喝采のうちに幕を閉じました。

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