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2013年市民フォーラムレポート

2013年大賞受賞/中村 哲氏

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タイトル
アフガニスタンに生命(いのち)の水を~国際医療協力の30年
開催日時
2013年9月14日(土)/13:00~15:00(開場11:45)
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
コーディネーター
清水展(京都大学東南アジア研究所所長・教授)
対談者
菅原文太(俳優・農業生産法人代表・いのちの党代表)

医療活動に始まり、過去10年ほどはアフガニスタンを襲う大干ばつに対処するため、土木技師として奮闘する中村医師。1,600 本の井戸を掘り、全長 25.5 キロの灌漑用水路を建設し、15,000 ヘクタールを超える農地を回復・開拓しました。現地での30年の活動から見えてきたアフガニスタン、日本、そして世界について、菅原文太氏と語りあいました。

スライドを使いながら現地の状況を説明
スライドを使いながら現地の状況を説明
熱い想いを語る中村哲氏
熱い想いを語る中村哲氏
アフガンからの留学生(九大)より花束贈呈
アフガンからの留学生(九大)より花束贈呈

第1部:中村 哲氏による基調講演

“温暖化の進行は他人事ではない。問い直せ、人間と自然の関係”

forum1-middle1.jpgアフガニスタンのことわざに「金がなくても生きていけるが、雪がなければ生きていけない」というものがあります。同国は農業国であり、雪解け水が恵みをもたらしてきたからです。多民族国家であり、部族ごとの自治性と割拠性が強く、中央からの指示が届きにくい風土であり、また貧富の格差は甚大です。1984年、ペシャワール会はパキスタンでハンセン病治療の活動を開始。言葉も宗教も習慣も違う土地で、患者の気持ちを理解することは生やさしいことではありませんでした。外国人が陥りやすい過ちは、自分たちに馴染みのないものに対して、単なる文化の違いなのに優劣や善悪で捉えてしまうことです。私たちは宗教も含めて現地の文化慣習を、そのまま受け入れることを鉄則としていました。

1979年のアフガン戦争で侵入したソ連軍が撤兵後、91年に湾岸戦争が勃発し、あらゆる国際団体が撤退します。私たちの活動は15年を経過し、自前の組織と病院を建設・維持し、日本からの補給があれば、診療を続けられる体制を確立。96年タリバン政権復帰後、大幅に治安が改善され、私たちも武装なしでの移動が可能になりました。ところが、2000年春に世紀の大干ばつが発生。1,200万人が被災し、500万人が飢餓線上、100万人が餓死線上に置かれました。飢えや乾きは薬や医療技術では治せず、無力感に捕らわれました。そこで飲料水源を確保するため井戸掘りを進め、1,600箇所を修復しました。

しかし、2001年ニューヨークでの同時多発テロの翌日、ブッシュ米大統領はアフガニスタン空爆を宣言。空爆下、首都の20数万人の避難民に1,800トンの小麦粉と食用油を配給。こうした活動は私一人ではなく、同胞のためなら命も惜しまない勇敢なアフガニスタン人によって支えられています。その後、タリバン政権が倒れて米軍が進駐すると、ケシ栽培が再び盛大に復活。数年で世界の90数%を産出する麻薬立国となりました。

今回の大干ばつは温暖化とともに現在も進行中であり、決して他人事ではありません。農業用水の確保のため、診療所より用水路建設を優先して着手しましたが、現地の人々が資金をかけずに維持できるかたちでないといけません。アフガニスタンと日本は取水技術に似たところがあると気づき、200数十年前に完成した筑後川の山田堰の斜め堰や、竹カゴに石を詰めて護岸に使う蛇カゴの技術を活用。数年間で田園が復活しはじめました。現地の農民の願いは、ただ2つだけ。三度のご飯が食べられることと、自分の故郷で家族と平和に暮らすことです。35年間、戦争と飢餓に苦しめられてきたのに、みんな暗い顔をしていません。どうかすると、我々の方が暗い顔です。金まわりがよくなれば幸せになる、武器さえあれば自分たちの身は守られる、という迷信もやがて崩れるでしょう。いま問い直すべきことは、人間と自然の関係ではないでしょうか。

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第2部:菅原文太氏との対談

清水展氏(京都大学東南アジア研究所所長・教授)をコーディネーターにお迎えして、俳優の菅原文太氏との対談が行われました。

ペシャワール会の紹介DVDのナレーションを担当した縁で、交流を続ける菅原氏と中村氏。清水氏が人間と自然の関係を尋ねると、中村氏は「自然はコントロールなんて絶対にできません。いま活断層があるから原発は造らない、ないから造る、みたいに検討されていますが、そんなバカな議論はない。何が起こるか分からないのが自然ですから」と指摘。農業を実践する菅原氏は「戦前はいまより国土が豊かで、私も山や川で夢中で遊んだ覚えがあります。いまの子どもたちはそんな経験ができないから、かわいそうです」と発言。会場からのアフガニスタンの女性についての質問に中村氏は「現地では男性が外を、女性が内を担当します。女性を敵にしたら何も進められないのは、世界中で共通のこと(笑い)」とユーモアを交えて応じ、会場は笑いと拍手に包まれました。

コーディネーターの清水展氏
コーディネーターの清水展氏
自然について語る菅原氏と中村氏
自然について語る菅原氏と中村氏
対談者は俳優の菅原文太氏
対談者は俳優の菅原文太氏

2013年学術研究賞受賞/テッサ・モーリス=スズキ氏

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タイトル
草の根社会からアジアへと架ける橋~国境を越える日本の豊かな伝統
開催日時
2013年9月15日(日)/17:30~19:30(開場17:00)
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
コーディネーター
竹中千春(立教大学法学部教授)
パネリスト
伊豫谷登士翁(一橋大学名誉教授)

日本列島の人々は、古くから海を渡ってアジアの人々と交流してきました。この豊かな伝統こそ、未来に続く日本とアジアの架け橋の礎ではないでしょうか。民族や国家を越えた草の根交流を研究する旅を続けるテッサ・モーリス=スズキ氏が、町や村の人々が国境を越えて手を結ぶ「トランス・ローカリズム」の実践を語り合いました。

穏やかな口調で持論を説くテッサ氏
穏やかな口調で持論を説くテッサ氏
会場の様子
会場の様子
コーディネーターの竹中氏
コーディネーターの竹中氏

第1部:テッサ・モーリス=スズキ氏による基調講演

“緊張の時代にこそ、大切な民際関係”

forum2-middle1.jpg私はイギリスで生まれ、大学を卒業しましたが、自分のやりたいことが分からず、世界を見てみようと思って1973年、はじめて日本にやってきました。1年半の間に素晴らしい人々に出会いましたが、なかでも有名な環境学者の宇井純先生は特別でした。先生は「研究内容は、普通の市民と共有しなければ意味がない」が信条であり、当時の公害問題に対して「公害の被害者を研究するのではなく、公害の被害者と研究する」と言われ、私は本物の学者に出会ったと思いました。

その後、イギリスに帰り、日本と東南アジアの経済関係の論文で博士号を取得。オーストラリアの大学に勤め、これまで50回以上来日しています。初来日から40年、東北アジアでの最も大きな変化は、人々が越境し、交流する事例が増大していることです。最近は領土問題や歴史認識問題などで、日本と近隣諸国との間で緊張が高まっています。こうしたニュースにばかり接していると、日本と隣国に築かれた草の根レベルの架け橋が、見えなくなるのではないでしょうか。国際関係はよく注目されますが、民と民との“民際関係”は、注目されることが少なくほとんど知られていません。ですから今日は、この40年間に私が出会った、隣国との架け橋を作ろうとしている人々を紹介したいと思います。

まずは、長野県佐久市の「平和と手仕事 多津衛民芸館」。在野の思想家・小林多津衛氏の弟子たちが受け継いだ哲学は「自分の頭で考え、自分で判断すること」。住民たちは多彩なプロジェクトを展開し、今年は「農村発住民白書」を作成。活動は近隣諸国へも広がっています。夏には著名な韓国の歴史家を招き「朝鮮戦争休戦60年」記念のシンポジウムを開催。県内に移住した東南アジアの女性を支援する活動にも取り組んでいます。

“次代のために、見えざる架け橋を築く”

架け橋づくりは一人でも取り組むことができると教えられたのは、仙台市に住む金順烈(キム・スニョン)さん。在日コリアン2世の彼女は、アジアの農村女性とのネットワークを構築し、工芸作品の即売会を開催。仙台を拠点にマイノリティと日本人の交流グループを設立し、活動しています。 

北方少数民族ウィルタ族出身の二人の兄妹は、戦前のカラフトで日本の臣民教育を受けましたが、終戦後、先住民で日本国籍のない二人は北海道へ渡ることができませんでした。1957年の日ソ国交回復によりようやく北海道に移住。移住後も差別に苦しみました。こうした少数民族の苦難の歩みは歴史のページから抜け落ちています。70年代に民衆歴史家が立ち上げた「オホーツク民衆史講座」の中で初めて自分たちの生い立ちと文化を語りました。その後、「空知の民衆史を語る会」が結成され、これは90年代の「東アジア共同ワークショップ」の活動へと引き継がれ、アジアの様々な地域から若者たちが集い、これまで1000人以上が参加しています。

現在、東北アジアに緊張と摩擦が生じているからこそ、こうした民際関係がより重要になってきます。次の世代のために、新しい見えざる橋を架け、戦争のない平和な社会を築くために、希望を携え、未来へ向けて歩みはじめましょう。

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第2部:パネルディスカッション

立教大学法学部教授の竹中千春氏をコーディネーターにお迎えして、伊豫谷登士翁氏(一橋大学名誉教授)を交えたパネルディスカッションを行いました。

“もう少しだけ、世界を平和にできるはず”

forum2-middle2.jpg日本研究家、歴史家、文化研究家・・・テッサ氏の幅広い研究活動には、いろんなワードが思い浮かぶという竹中氏は、「不思議の国のアリス」になぞらえ、「未知の分野へ軽々と進み、新しい発見をしてしまう」と紹介。

1990年代の共同研究プロジェクトが最初の出会いという伊豫谷氏は、テッサ氏の研究スタイルには「人々の営みや思いへの優しいまなざしと、不正義や不条理への激しい憤りがある」と指摘します。

これを受けてテッサ氏は、歴史研究の上で過去の人間の行動を裁くことができるか、という問題を取り上げ、「当時の事情をできるだけ詳しく調べ、状況を把握した上で、倫理的な判断を下すことできる」と主張。「ただし、私たちの行動も当然、将来の歴史家によって裁かれることになる」と明快なスタンスです。

世界平和の可能性について、会場からの質問には「草の根の交流は、お互いの顔をみて互いに人間として認め合うことが平和の基盤なります。そして、草の根と国家の間にあるメディアの果たす役割は重要です。様々なことが必要ですが、もう少しだけ、世界を平和にすることは可能だと信じています」と希望にあふれた解説を披露しました。

2013年芸術・文化賞受賞/ナリニ・マラニ氏

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タイトル
より良い社会の実現のために-世界とアートの可能性
開催日時
2013年9月14日(土)/17:00~19:00(開場16:30)
会場
アクロス福岡地下2Fイベントホール
モデレーター
後小路雅弘(九州大学大学院人文科学研究院教授)
ディスカッサント
小勝禮子(栃木県立美術館学芸課長)

宗教、民族、戦争、女性、環境など、私たちが直面している困難で普遍的な課題をテーマに、今日の世界とアートの可能性を語り合いました。

自身の作品を解説するナリニさん
自身の作品を解説するナリニさん
会場の様子
会場の様子
モデレーターの後小路氏
モデレーターの後小路氏

第1部:ナリニ・マラニ氏による基調講演

“女性の視点を生かす社会へ。平和のため、アートに活力を”

forum3-middle1.jpg私が初めて訪ねた外国、それは日本でした。12歳のときで、鎌倉の大仏を見たいと思いましたが、その印象は平和でした。私は理想とする平和のために、アートに力を注ぎたいと思っています。

機械的なライフスタイルの影響で、私たちの地球はどんどん変わっています。それを防ぐには、社会を女性化すること、女性の視点を持つことが、一層重要になっています。注目してほしいのは、インドではいまなお女性が、男性の支配や宗教的な正当性の支配下で、抑圧され苦しんでいることです。私は19歳のとき開いた初の展覧会の場で、年配のアーティストから「こんな制作活動なんかやめて、主婦になるべきだ」と言われました。今ではそう言われたことに感謝しています。なぜならこの言葉こそが、私に火をつけたからです。私は、女性アーティストに呼びかけ、1987年にインドで初の女性だけの企画展示展を開催し、3年以上も続けました。

80年代から始まった経済、政治的な変化の中で、アートが注目を集めるには、人々が参加できるアートが必要であり、ストリートでアートに参加できないかと考えてみました。当時、ボンベイは階級間の対立が激しく、スラムが一体どのようなものか、ブルジョアの人々に目を覚まして見てもらうことが必要だと思い、作品の中で、豊かな人々に貧しい地域を歩いてもらう試みも行いました。

チェルノブイリ原発事故による放射性物質で汚染された粉ミルクが、インドに輸出されました。92年に女の子を産んでいた私は恐怖に捕らわれ、化学物質や放射性物質の子どもへの影響を心配する母親を表現した、暗いイメージの作品を制作しました。

98年5月11日、インドが地下核実験を実施し、我々は核兵器を持ち大国になったと人々には高揚感がみなぎりましたが、その後すぐに、パキスタンも核実験を行います。ガンジーが示した非暴力の道は、この核兵器で吹き飛んでしまったのです。5月11日は仏陀が生れた日なのですが、この日に核実験が行われたのは皮肉なことです。

99年〜2000年の半年間、私は福岡に滞在し、福岡の舞踊家と「ハムレットマシーン」を制作しました。この作品は福岡アジア美術館で、素晴らしい日本語の翻訳付で見られますが、ヒンドゥー教とイスラム教の対立、そして社会主義とグローバルな資本主義の間で、ハムレットのように揺らぐ当時のインドを表わしています。

最近、インドではレイプ事件が多発していますが、若い女性アーティストたちが街頭にテーブルと椅子を持ち出し、街を歩く男性を椅子に誘って語り合うパフォーマンスを展開しています。そこで女性アーティストは、男性に対して、なぜ女性をレイプしたいのか、レイプは女性の体を傷つけ、壊すものだと語りかけることで、コミュニケーションを深めようという活動です。現在、この運動は多くの人々に影響を与え、インド各地に広がっています。

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第2部:パネルディスカッション

モデレーターに後小路雅弘氏(九州大学大学院人文科学研究員教授)をお迎えして、小勝禮子氏(栃木県立美術館学芸課長)を交えたディスカッションを行いました。

“両性の考え方を、どちらも持つ私たち”

forum3-middle3.jpg後小路氏が、作品の根源的なテーマである暴力の捉え方について尋ねると、マラニ氏は「暴力は男性と女性の考えの不均衡から起こるもの。男性的な考え方と女性的な考え方、私たちはそのどちらも持っています」と明快に回答。

これを小勝氏が「生物学上の男性、女性ではなく、ナリニさんが言う女性性とは、暴力を容認しない、つまり弱者の側の思想ということですね」と解説。さらに、マラニ氏から「私の作業は暴力の描写ではなく、暴力に対する不安や懸念を描いており、そのため作品はどんどん複雑となり、リアル感も増えていくのです」と、創作の核心に触れました。

後小路氏がマラニ作品の複雑な重層性を指摘すると、「私が作品に散りばめた引用や意図を、すべて理解する必要はありません。むしろ、作品と向き合って素直に感じてほしい」と訴えました。

2013年芸術・文化賞受賞/アピチャッポン・ウィーラセタクン氏

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タイトル
“アピチャッポン・マジック”とは何か~自作を語る
開催日時
2013年9月15日(日)/13:00~17:00(開場12:00)
会場
イムズ9Fイムズホール
司会
石坂健治(東京国際映画祭アジア部門ディレクター)
対談者
梁木靖弘(福岡国際映画祭ディレクター)
上映作品
「ブンミおじさんの森」「真昼の不思議な物体」「The Anthem」

東南アジアの監督として初のカンヌ映画祭最高賞を受賞したアピチャッポン監督をお招きして、上映とトークショーを開催しました。受賞作の『ブンミおじさんの森』をはじめ、民話や伝説に基づく物語の中に個人的な記憶や前世のエピソードを挿入するスタイルの作品群が世界的に高く評価されている同監督に、自作の創作過程をじっくり語っていただきました!

自身の作品について語るアピチャッポンさん
自身の作品について語るアピチャッポンさん
対談者の梁木靖弘氏
対談者の梁木靖弘氏
司会の石坂氏
司会の石坂氏

アピチャッポン・ウィーラセタクン氏と梁木靖弘氏による対談

“真実の定義は難しい。見つめるのは、現実と虚構の境界線”

forum4-middle1.jpg石坂氏(司会):アピチャッポン氏は大変に若い気鋭の映画監督であり、現在43歳。福岡アジア文化賞の最年少受賞記録を更新しました。今日は監督の3作品を上映。この後、上映する短編フィルムは「The Anthem(アンセム)」。そして、監督の長編デビュー作「真昼の不思議な物体」は、足の不自由な少年と家庭教師の間で起こった物語を、何人もの人が語り継いでいくという内容です。それから、監督の代表作「ブンミおじさんの森」は、2010年のカンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞。東南アジアの監督では初の快挙です。

梁木氏:このフォーラムのタイトルに“アピチャッポン・マジック”という言葉が使われていますが、こんな言葉があるのですか。

アピチャッポン氏:この言葉をいただいて光栄に感じています。そもそも映画そのものが光と影で描き出すマジックですから、これは私の作品だけではなく、すべての映画に言えることでしょう。

梁木氏:監督の出現は映画を変えたと、私は思っています。100年と少し前にヨーロッパではじまった映画に、アジアの監督が大きな変革をもたらしています。

アピチャッポン氏:映画自体まだ歴史が浅く、若い媒体ですし、特に技術的な進歩はまだまだ期待できます。3Dや高精細画像の技術も生れたばかりで、私自身、その可能性にワクワクしています。映画のさまざまな可能性を切り開いていく旅は、決して終わることのないネバーエンディング・ジャーニーです。

梁木氏:映画のはじまりは2通りあって、演劇を映画で再現したものと、現実を切り取るドキュメンタリーものです。監督は原初の映画を作っていると感じますが、それこそが変革者と言われる理由だと思います。

アピチャッポン氏:従来の映画は、物語を伝えるための媒体になっていますが、映画には映画自体の可能性があり、私はそれを追求したいのです。私の映画では物語を読んでいるような気分にはならないでしょう。

“考えるのではなく、感じて理解する”

梁木氏:最初から答えがあるものとして見ると、監督の映画は分かりにくい。誰かが超越的な視点や立場で語り、答えを用意してはいないから。監督の映画は「自分の立ち位置を変えると、映画が理解できるよ」と言っているかのようです。

アピチャッポン氏:私の映画は、私が見聞きするものを観衆と共有したいという思いで作っています。一緒に旅をしているような感覚です。多くの映画では監督が観客より上位にいます。観客は監督が各場面に用意した様々な伏線を探りながら映画を見ます。ストーリーも、監督が予定した結末が実現すると感動して、満足できるようになっています。私の映画では私と一緒に歩き、探しているような気持ちを体験できるものを目指しています。 はじめて私の映画を見た人には分かりにくいと思いますが、それは人間関係と同じで、初対面の人をすぐに受け入れるのは難しく、受け入れるのに2時間くらいはかかります。一人の人間を理解するには、考えるのではなく感じることが必要です。

梁木氏:監督の映画では夢とか幻とか、頭の中に浮かんだイメージや、生や死さえも並列に並べられて区別がありませんね。

アピチャッポン氏:タイでは、目には見えない力が存在し、一本一本の木にも精霊が宿っていると信じられています。何が真実なのか定義することは難しい。例えば信仰を持っている人にとって神がいることは真実ですが、持たない人にとってはそうではありません。私は心をオープンにして、現実とフィクションのボーダーラインを見ることにしています。

梁木氏:物に心が宿る。日本も同じですが、日本の監督は、そういう感覚の映画からは遠ざかっているようです。

アピチャッポン氏:そう感じてもらえるのは、私が意識的にやってきたからですが、日本の映画監督にもいらっしゃると思います。

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今回上映された3作品のご紹介

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『ブンミおじさんの森』
2010年制作/35mm/114分
第63回カンヌ映画祭最高賞パルム・ドール(2010年)
タイ人初となるカンヌ映画祭最高賞(パルム・ドール)を受賞。深い森に住む死期の迫った主人公ブンミのもとに、亡くなった妻や猿に変身した息子が現れると いう独特の死生観・人間観に満ち、かつて民主化運動の弾圧に加わったブンミの記憶や前世の逸話も挿入される本作は、デビュー以来10年の歩みが集成された 代表作となり、日本でも一般公開されて人気を博しました。
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『真昼の不思議な物体』
2000年制作/35mm/83分
山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞受賞(2001年)
タイ国中を旅するなかで出会った人たちに、物語の続きを創作してもらうドキュメンタリータッチの作品。マイクを向けられるタイの人々が語る「不思議な物体」の物語が交錯して描かれます。
『The Anthem』
2006年制作/35mm/5分
タイの映画館へ行くと必ず上映前に流れるタイ国歌(the Royal Anthem)にインスパイアされて制作されたショートフィルム。これから映画本編を観る人をリラックスさせる作品です。

福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

福岡アジア文化賞授賞式の様子や各種イベントのレポートを含めた2013年度の事業報告書を、PDF形式でダウンロードいただけます。

2013年福岡アジア文化賞年次報告書ダウンロード

各種イベントレポート

2013年度の市民フォーラム以外のイベントレポートをご覧いただけます。