贈賞理由
テッサ・モーリス=スズキ氏は、卓越したアジア地域研究者である。氏は、北東アジア社会についてのこれまでの認識を、グローバルな視座とローカルな視座から鋭く問い直し、斬新な思想的課題を提起し続けてきた。
モーリス=スズキ氏は1951年英国に生まれ、ブリストル大学でロシア史を学んだ後、バース大学で日本経済史の研究により博士号を取得。89年『日本の経済思想-江戸期から現代まで』を発表し、日本型の成長モデルが注目を集めた1980年代、新進気鋭の学者として登場した。
1981年ニューイングランド大学で経済史の講師、90年同大学准教授、92年オーストラリア国立大学アジア太平洋研究学院シニア・フェロー。97年同アジア太平洋研究学院日本史教授に就任。オーストラリア・アジア学会会長やアジア学アジアンネットワーク代表など要職を歴任し、日本研究やアジア研究を主導した。
1990年代半ばより、モーリス=スズキ氏は自らの関心を経済から政治や文化の方向に移し、カルチュラル・スタディーズの領域にも足を踏み入れて、「脱近代」と「脱植民地化」の視点から論陣を張った。特に、主著の『辺境から眺める-アイヌが経験する近代』では、近代国家の下で「辺境」に追いやられ、国民社会において「他者」として扱われてきたアイヌの人々の体験を、北東アジアの広がりを背景にみごとに描き出し、日本国内外から高い評価を獲得した。
知の創造には、研究方法の革新が必須である。これまでの実証研究においては、国家の公文書や重要人物の著作が信憑性のある史料とされてきた。だが、モーリス=スズキ氏は、こうした研究の限界を打ち破り、民衆的な記憶や経験を掘り起こすため、先駆的な研究方法を切り拓いた。現地を旅して関係者と対話し、その土地固有の資料・史料を発掘した。諸国で収集した様々な情報を結びつけ、国家や地域の枠組みを超えた広がりの中で、人々の新しい物語を紡ぎ出す氏の文章は、凛として美しい。
モーリス=スズキ氏のまなざしは、常に、社会の端にたたずみ、権力から遠く離れて生きる人々に向けられている。近年は学術研究と並んで、多文化主義を掲げるオーストラリアを足場に、アジア市民権ネットワーク代表としても活躍している。
民族や国家の境界を乗り越えて、人が人らしく生きられる社会を希求できるか。民主主義の時代、これは市民一人ひとりの問いである。国家の枠組みを超えた新しい地域協力のあり方を社会の端から構想し、アジアの人々の相互理解に寄与してきたテッサ・モーリス=スズキ氏は、グローバルな知識人としてまさに「福岡アジア文化賞-学術研究賞」にふさわしい。