贈賞理由

A.R.ラフマーン氏は、インドのみならず世界的にも高名な映画音楽の作曲家として、この分野の新しい可能性を切り開く優れた実績を残し、あらためて映画音楽という存在が注目されることに貢献してきた。映画のジャンルや内容に応じて、南アジアの伝統音楽、西洋のクラシック音楽、アメリカのヒップホップなど現代の大衆音楽を大胆に融合させ、甘美なメロディーを強烈なビートにのせた楽曲の数々は、氏が音楽を担当した名作映画の題名とともに、多くの人々の心に刻まれている。

1967年チェンナイ(旧マドラス)に生まれたラフマーン氏は、9歳の時に音楽家の父と死別。家計を支えるためにキーボード奏者としてさまざまな楽団で演奏し、その後英国トリニティ音楽院に特待生として留学し西洋音楽を学んだ。1987年から広告業界で作曲家としてのキャリアを開始し、多くのコマーシャル・ソングを手がけるなか、新鋭の映画監督マニ・ラトナムが氏の才能に注目して『ロージャ-』(1992年)の音楽監督に抜擢、同作の大ヒットとともに映画界に衝撃的なデビューを飾った。その後、『ボンベイ』(1995年)、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年)、『ラガーン』(2001年)など、日本でも知られる諸作の音楽を手がけ、新世代のインド映画を代表する人物として認知されるに至った。

21世紀に入ると諸外国の大作に参加する機会も増え、とりわけ『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)は世界的な大ヒットとともに、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞、米国アカデミー賞など数々の映画賞を獲得。ラフマーン氏自身もインド人初のオスカー受賞(作曲賞、歌曲賞)を果たし、その名声は世界的なものとなった。

また、映画以外にも活動の場を広げ、2002年に作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの依頼でミュージカル『ボンベイドリームス』を創作。英国公演の大成功を受けて世界を巡回し、2015年には日本でも上演された。自ら楽団を率いた世界ツアーを精力的に行いながら、基金設立による恵まれない人々への支援や、チェンナイに音楽学校を創設し後進の指導にあたるなど、社会貢献活動にも尽力している。

ラフマーン氏の音楽の大きな魅力は、映画を引き立てながら、楽曲自体も一度聴いたら忘れられない甘美なメロディーと強烈なビートを併せ持っている点である。チェンナイの大衆的な映画や音楽のなかで育った氏は、青年期にスーフィズム(イスラーム神秘主義)に傾倒し、宗教歌謡カッワーリーの巨匠、故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(1996年福岡アジア文化賞芸術・文化賞受賞者)からも大きな影響を受けた。アジアと西洋、伝統と現代を大胆にアレンジし融合させる氏のユニークな創作にはこうした体験も反映されている。

このようにA.R.ラフマーン氏は、その個性的な楽曲で映画音楽の新境地を開拓して、あらためてこの分野が注目される契機をつくり、インドのみならず世界的に高く評価されている。その貢献は、まさに「福岡アジア文化賞 大賞」にふさわしい。

レコーディング中のラフマーンと豪州ミュージシャン、オリアンティ
洪水被害者支援「Nenje Ezhuプロジェクト」コンサートにて
米国のジャズピアニスト、ハービー・ハンコックと

A.R.ラフマーン氏からのビデオメッセージ