贈賞理由

タン・ミン・ウー氏は、グローバルな視点から祖国ミャンマー(ビルマ)の歩みを明晰な文章で描き出す、傑出した歴史家である。また、国際連合でカンボジアや旧ユーゴスラビアの平和構築に務めた経験を生かし、自国の国民統合の課題に取り組む、平和創造の実践家である。

タン・ミン・ウー氏は、1966年米国ニューヨーク市で生まれ、ハーバード大学を卒業し、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院で修士号(国際関係論・国際経済学)を取得した。1992年から国際連合の一員としてカンボジア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで平和構築活動に従事し、1996年英国ケンブリッジ大学にて博士号(歴史学)を取得した。

最初の大作『The Making of Modern Burma(近代ビルマ形成史)』(2000年)では、国民的なアイデンティティや近代国家の骨格が英国植民地時代の19世紀後半以降に形成されたと論じ、注目を浴びた。次の『The River of Lost Footsteps(消え去った足跡の川)』(2006年)では、家族や人々の歴史を辿りながら、祖国の歩みを多角的に描写した。最新作『ビルマ・ハイウェイ―中国とインドをつなぐ十字路』(2011年)では、成長大国の中国とインドに隣接するミャンマーの歴史を、辺境の国境地帯や社会の底辺の人々の視点から問い直し、過去・現在・未来を貫く独特のダイナミズムをもって論じた。同書は邦訳され、2014年第26回アジア・太平洋賞特別賞(毎日新聞社・アジア調査会共催)を受賞した。

歴史家タン・ミン・ウー氏の筆致は独特である。氏は第3代国際連合事務総長であった祖父のウ・タント氏の葬儀の折りに初めて祖国の土を踏み、以来、幼い頃から休暇のたびに家族で帰郷したという。この体験を拠り所にするように、自分の足で歩き、自分の目で見、自分の耳で人々の話を聞き、それらを土台に歴史を物語る氏の美しい文章には、穏やかに人々の心を開かせる力が秘められている。

タン・ミン・ウー氏は2010年より活動拠点を米国からミャンマーのヤンゴン市に移した。2012年にヤンゴン・ヘリテージ財団を設立し、貴重な歴史的建造物の保存に尽力し、持続可能な都市計画についてヤンゴン市に助言を行っている。また、テイン・セイン大統領の諮問評議会の評議員やミャンマー平和センターの特別顧問を務め、政府と諸民族との間で締結されたの停戦協定合意(2015年3月)の実現に大きく貢献した。

このように、タン・ミン・ウー氏は歴史研究のみならず、政府や市井の人々と語り合い、積極的に問題解決の道を模索する新しいタイプの知的指導者である。国際的にも、世界経済フォーラム東南アジア部会副議長としての活動や国際連合大学での講演など、国境を越えた市民や若者との討論を通して、ミャンマー発の柔軟な見解を発信し、高い尊敬を集めている。

今日のミャンマー社会には、グローバリゼーションの高波に晒されながらも、長い間の孤立を克服して明日に向かって歩み出した人々の強い希望が溢れている。その激動の中で、一人一人の国民の心に寄り添い、誇り高い国民の歴史を綴り、さらに国際社会と手を結ぶミャンマーの未来を築こうとするタン・ミン・ウー氏の歴史家としての果敢な取り組みは、まさに「福岡アジア文化賞 大賞」にふさわしい。

祖父に抱かれ、両親、アポロ11号宇宙飛行士と(1970年)
ボスニア紛争のサラエボで国連広報官として(1994年)
ミャンマーを訪問した米国オバマ大統領を案内(2014年)

【特別対談】タン・ミン・ウー氏×高島福岡市長