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キドラット・タヒミックさん受賞スピーチ(@マニラ記者会見)

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8月8日、フィリピンのマニラにて開催された、キドラット・タヒミックさんの現地記者会見での受賞スピーチをまとめました(以下、事務局抄訳)。

  • 開催地/フィリピン、マニラ
  • 開催日/2012年8月8日(水)
  • 会 場/フィリピン文化センター

 

キドラット・タヒミックさん受賞スピーチ(@マニラ記者会見)

ちょうど5週間前、私は妻カトリーンとバギオで国際会議『Kapwa-3』を開催しました。その会議にはフィリピン全土から25もの先住民族、そしてアメリカン・インディアンやタイの山岳民族カレン族、日本北部のアイヌ民族など世界中から多くの先住民族が参加しました。

ある年配のアイヌの木彫師を空港で見送りをした時、彼はこう言いました。「私はフィリピンが大好きです。なぜなら、あらかじめ決められたスケジュールというものがないからね。」

1週間後、私は10人あまりの木彫り師とともに日本を訪れ、越後妻有アートトリエンナーレの出展作品として3つの茅葺き小屋を制作しました。下条地区のお手伝いをしてくれたグループの中に、ある年配の男性がいました。彼は重い岩などを積むのを手伝ってくれましたが、開会式に間に合わせるため「時は金なり、時は金なり、時は金なり!」といつも繰り返し、せわしなく作業に追われていたのです。

文化観察者としてこれは非常におもしろい対極的な考え方でした。どちらもそれぞれの情況にてらし合わせると理解できます。これらの対極的な世界を統合させ、バランスの崩れたこの地球において再び調和を取り戻すことは可能なのでしょうか?

2012tahimik_presconf5.jpg私はこの両世界にまたがって生きてきました。そのためでしょうか、今日の受賞記者会見には、政府要人から筋金入りの猛者として知られる文化人、経済的に安定したビジネスマンから貧乏な芸術家、学界の識者から直感力に優れたイフガオ族の人々など、本当に様々な方がゲストとしていらっしゃっています。

権威ある福岡アジア文化賞が、キドラット・タヒミックという人物に贈られたのは、必ずしも特定の専門分野において確固たるキャリアを築いたからではなく、この現代と古くから存在する世界、という二つの世界に同時に関わってきたからだと思っています。

私の経歴には、おそらく現代の生活スタイルがそうさせているように、キドラット・タヒミックがこれまでどのように順調に線路の上を歩いてきたのかが記されています。様々な業績、学位取得、映画賞受賞、有名な国際機関における職歴、NGOの創設、大学での教授、国際会議における発表等々、ここにいる多くの人々も成し得てきたことばかりかと思います。

初めて映画を製作した時、私はドイツの一流のインディペンデント映画監督、ヴェルナー・ヘルツォーク氏に編集中の作品を見せたのです。他の人が「話の展開をもっとはっきりさせると、脱線せずに済むよ」とアドバイスしてくれたのに対し、彼は新進監督の私に「キドラット、迂回するのが君らしいね」と言ったのです。

 


 

私の経歴書には、私の人生の迂回については触れられていませんが、キドラット・タヒミックがこの賞を受賞したのは、決められた線路の上を歩んだからではなく、広大無辺な迂回路を選んだからこそだと思っています。このような宇宙規模の回り道があったからこそ、今の私があると思っています。

フィリピンの言葉で、“Sumabay sa ibang daloy” (違った流れに乗れ、時には逆流に乗れ)という言葉があります。“Bathala na!”(宇宙的流れがもたらす慈恵を信頼せよ)という言葉もあります。

私は多くの生徒にそのような先の見えない回り道をしてみなさいと言っています。向こう見ずで大胆になるためだけではなく、人生において厳密な人間の計画が、必ずしも宇宙によって崇められる訳ではないからです。スターウォーズでもコンピューターマトリックスのかわりに、「フォースを信じよ」とジェダイの戦士達は諭されていますよね(笑)。

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私の若い頃の人生をふりかえると、非常に慎重だったと思っています。または、キドラット・タヒミックは非常に慎重な冒険家であるといいましょうか。大脳によるプランニングの変わりに“Kapakapa!”、つまり直感を頼りにして手探りで進んできたのです。人生においても映画製作においても。

“Bathala na”(宇宙的流れがもたらす慈恵を信頼せよ)、そして“Kapakapa”(直感的グループ分け)は、フィリピンの先住民の独特の価値観であり、問題解決の手助けとなってきました。我々が持つ原始的な自然の能力を最大限に引き出してくれるのです。

大工が設計の問題を解決しようとする時にも、エコノミストが世界銀行の融資の交渉をする時にもです。原住民の弓の射手が一瞬にして走っている鹿の速度、横風の速度を計算する時も、映画監督が脚本も予算もない中で映画を製作する時にも、“Kapakapa!”は暗黙の意図されない手段なのです。

私の経歴の中で、1972年にエコノミストとして活動していた経歴は書かれていますが、もっと大きな回り道には触れられていません。この年、キドラット・タヒミックはMBAの卒業証書を破りすて、新たに生まれ変わったのです。芸術的才能にかけたのです。ウォール街の夢に支配されているMBAという繭から飛び出て、キドラットは新たな自由を手に入れたのです。

 


 

そしてもう一つ記載されていない回り道があります。それは、私がインディペンデント映画監督として、今までハリウッド映画をあがめてきた人たちが真似をしてきた「セックス・暴力=利益」の手法を使わないと決めたことです。そして思い切って30年もかけて1つの作品に取り組んだのです。

さらに、50歳を迎えた頃に、ブルジョワな子ども時代を過ごした都市を離れ、“Stray on track(脱線する)”を選んだのも、私のもうひとつの回り道です。よく聞いてください、“Stray on track(脱線する)”ですよ。“Stay on track“(軌道に乗る)ではなく、“Stray on track”です。パトパト村でイフガオ族とともに生活し、古代より伝わる彼らの知恵を学ぶことを選んだのです。

そう、まさしく「脱線」したのです。あらかじめ決まっている出世コースにはまり込むより、脱線することを選んだのです。

私の親友であるイフガオ族の長老は、古代より民族に伝わる生態環境的知恵を授かっていました。イギリス英語とは違うアクセントで、彼はいつも“indigenous”(インディジェナス)という単語を“indi-genius”(インディジーニアス)と間違って発音していました。彼はしばしば、欧米化したフィリピン人の軽蔑的態度を嘆いていたのですが、その時も「私たちのインディジーニアスな文化を見下している」と言っていたのです。

ああ!なんと宇宙的な偶然の発音のまちがいでしょうか!

この長老はイフガオ族の文明の“genius”(高い英知)と“indigenous”(土着の、土地固有の)を合わせた1つの単語“indi-genius"をつくり出したのですから。

それから20年が経ちますが、私は大学の生徒やインディペンデント映画監督仲間にもこの言葉を使っています。例えば、「インディジーニアスなレンズを通して、卒業作品を撮りなさい。」などと学生にも言っています。

私の良き指導者であり、先住民の高い英知を持ったロペス・ナウヤック氏がイフガオのパトパト村から来てくれているので、お礼を言わせて下さい。彼のインディジーニアスのおかげで、私の壮大な回り道が間違いでなかったと確認できたのです。

 


 

そして、もう一人、この受賞に大きな影響を与えた人物に感謝したいと思います。私の妻カトリーンです。彼女の博士課程の研究分野はフィリピン先住民族の心理学についてでしたが、ドイツ人としての彼女の研究フレームは私が当たり前だと思っていたものを浮き彫りにしました。

2012tahimik_presconf6.jpg私たちのインディジーニアスな力は、固有の宝ですが、今日の小学校や高校の教科書の文化的領域の中で全く扱われていません。現在の授業プランは1904年に「トーマサイト」と呼ばれたアメリカ人英語教師団によって導入された植民地時代の公立学校のカリキュラムのままなのです。

私が小学生だった60年前でさえ、学校で学んでいたことを正しいと感じていませんでした。社会的に意味のある貴重な教え、すなわち競争ではなく仲間と共有していく学びを犠牲にしているような気がしていたのです。私の仲間である共同体、家族、そしてもちろん木々、動物、川や森などを尊重する全体論的な考え方が欠けていました。

これまでフィリピン人が世界と向き合う際に必要な最善策を分かち合う力を、教育が抑えてきたようなものです。

教育は私たちを繭、それもおそらく本来私たちのものではない繭に閉じこめているのです。アメリカの生活様式やスタイルを我々が真似てきたのは、そもそも教科書がそのような型に我々をはめ込もうとしていたからなのです。

だからこそ、この先祖より伝わる高い英知が、我々が本来持っている最良のものを組み合わせることがきる方法だと私は考えてきました。

この英知は先住民の長老たちが我々に伝えてきた伝統です。教科書では扱われていません。世の中すべてが最適化、利益優先、国際競争力向上、という至上命題のもと進められてきました。

このような流れにおいては、ロペス・ナウヤック氏や、今日ここに来てくれた我が同士であるイフガオ族の長老などが持っている、先住民の知恵は尊重されてきませんでした。どういうわけか国際教育においてはこのような先住民の知恵は隅に追いやられてきたのです。

けれど、教育省が正式な形で古代から伝わる知恵を主流の文化に取り入れるべく指導を行っているのを知り、嬉しく思っています。

 


 

2012tahimik_presconf3.jpgこの70年間の人生において、私は処女作「悪夢の香り」を制作したことで、私が何を脱ぎ捨ててきたかを理解することができました。理想的とされるグローバルな人間になろうとしていたこと、アメリカンドリームを追いかけることによって何を失っていたのかが、わかったのです。

新たな指導者に出会うことにより、ずっと気持ちが楽になりました。彼らはオックスフォード英語もタグリッシュ(フィリピン英語)も話せませんでした。つまり、彼らは崇められている米国的基準という主流には属さないインディジーニアス(先住民の高い英知を持った)な人たちだったのです。イフガオ族のシャーマン達が常識として持っていた環境的知恵の方が、経済入門講座で教える先生よりもずっと理にかなっていました。

問題解決の際には宇宙に対して暗黙の信頼を寄せるのだと、彼らがその完璧な計画を口にした時、心の奥底にある、存在しているとわかっていた何かを思い出すことができたのです。ハリウッド映画的に言えば、キドラット・タヒミックは「フォース」を信頼し始めたのです。私たちの古代より受け継ぐ英知を否定することが、『悪夢の香り』となるのだと気が付き始めたのです。

ベルリンでの映画デビュー後、私は妻とともに、ミュンヘンを出てバギオに戻ることにしました。(賞の受賞など経済的な誘惑もありましたが・・)だからこそ私の長男は、土着的英知にあふれた教育をうける機会に恵まれたのです。別れ際、あるドイツ人映画監督は私にこう言いました。「キドラット、君ならここバイエルンで素晴らしい映画監督になれたのに・・・」と。彼は新米映画監督だった私を見誤っていたのかもしれません。

数年が経ち、よりハッキリしてきたことが、「指導者や崇拝する人の真似をするな」「アメリカを崇める映画監督になろうとして時間を無駄にするな」ということでした。バギオに戻ったことは、自分の文化圏で芸術家として開花するきっかけであり、私は母国で土着的な創造的才能を育むことができたのです。

 


 

2012tahimik_presconf4.jpg1階のインスタレーション作品をご覧になれば、竹製のカメラがたくさん展示されているのに気付くと思います。あの竹製カメラはいわば象徴です。映画監督という観点で言えば、私たちの世界に目を向け、諸問題を解決しようとする場合において、竹製カメラはその地域の物語を伝える、もっとも有効な手段になります。もっと大きな文化的意味で言えば、近代化される世界において、私たちが直面する問題に目を向け始めていることの象徴なのです。

例えば、棚田を作ったイフガオ族は、そのような問題をそのままにすることなく、古代からの知恵や環境に関する知恵をうまく使いながらバランスのとれたシステムを保っています。今やバランスを失った世界が、そのバランスを取り戻すには、彼らの知恵がとても重要だと思っています。

今回は、私が受け取る賞金よりも、先住民の素晴らしい文化に出会うことができた回り道の方がはるかに重要です。そのことがメディアに大きく取り扱われることを願っています。私はこれからも宇宙的流れがもたらす慈恵を信頼しながら、インディジーニアスな価値観を次世代の芸術家や映画監督達と共有し、伝えていくことに献身していきたいと思います。

私は宇宙的な流れにそって生きる決意を新たにしました。大使、フィリピン文化センターの関係者、そしてここにいるすべての皆さんが、その証人となってくださり嬉しく思います。

福岡アジア文化賞という栄誉を授かり、感謝の意を表します。そして今日ここにいる、イフガオ族の長老、私の妻カトリーン、息子たち、公的の訓練を受けなくても古代からの知恵を持ってすべての知識を習得してきた芸術家たちと、この受賞を分かち合いたいと思います。

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