西洋の視点で見た時、アジア文化を研究することはオリエンタリズムとして理解されます。20前世紀末になると、この「オリエンタリズム」という言葉は、いわゆる政治的に公正なポストコロニアル研究においていささか軽蔑的なものになってきました。これは私の立場・見地ではありませんでした。私は、中世のオリエンテ・ルクスの「光は東から輝く」という考え方にこだわっています。当時、それは中世のスコラ哲学において、西洋では失われたが東洋でアラビア語に翻訳されたギリシャ古典文学を再発見するために、とりわけ、アラビア哲学を研究するべきであるという意味でした。
物事は中世の時代から進化してきました。福岡から見ても、アラブ・イスラム世界でさえも西洋です。そして今、‘ubi lux?’「光はどこから(来るのですか)?」という質問ですが、私の答えは、光は常に比較から生まれ、特に東と西、西と東を比較することから生まれます。私はキップリング(*1)の「ああ、東は東、西は西、両者は決して会うことはないだろう」という有名な言葉は間違っていると常に思っていました。東洋と西洋は出会うことができ、そして、両者は永遠に建設的な出会いの中で相会うのです。
これが私がオリエンタリストであり続ける理由です。私にとって、西洋は曖昧であり東洋は啓蒙されるという意味でも、その逆でもありません。しかし、暗闇と光という意味では、東と西は互いに相対的であり、それらがあるがままであるために互いが必要なのです。そして、アジアの入り口である福岡市がこの考えが認められた場所であることに感謝します。
(*1)キップリング…ジョゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling)。イギリス人小説家。