2023年(第33回)福岡アジア文化賞授賞式
開催日時
2023年9月12日(火)18:15~19:45
会場等
福岡国際会議場 メインホール
第33回福岡アジア文化賞授賞式ダイジェスト動画(YouTube動画)

 壮大な音楽と、ムービングライトの色鮮やかな演出と連動した映像で、華やかに幕を開けた福岡アジア文化賞授賞式。世界で活躍する受賞者を会場に招き、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、各界関係者、市民が一同に会して式はスタートしました。

 式典では、初めに受賞者が紹介され、大賞のトンチャイ・ウィニッチャクン氏、学術研究賞のカターリヤ・ウム氏、芸術・文化賞の張律(チャン・リュル)氏がステージに登場。会場は温かい祝福の拍手に包まれました。

 次に、主催者を代表して高島宗一郎福岡市長が挨拶。「持続可能で多様性のある社会の実現が求められているからこそ、アジア地域の多様な文化と価値を広く伝える福岡アジア文化賞の役割は、これまで以上に重要なものとなってくる」と述べました。続いて秋篠宮皇嗣殿下より、お祝いのお言葉を賜りました。

 その後、審査委員長の石橋達朗九州大学総長より、今年度の選考経過報告が行われました。そして、高島市長と谷川浩道(公財)福岡よかトピア国際交流財団理事長より、賞状と記念のメダルが授与されました。さらに、花束が贈呈され、観客から盛大な拍手が送られました。

 続いて、秋元加代子タイ舞踊団による祝賀パフォーマンスが披露され、平和と幸せをテーマにしたタイの民族舞踊で会場を魅了しました。

 受賞者の輝かしい功績が映像で紹介された後、受賞者スピーチではそれぞれの受賞者から感謝と喜びの声が伝えられました。続くインタビューでは、研究や活動の歩み、大切にしてきた思い、これからの抱負などが語られました。

 フィナーレでは会場から一段と盛大な拍手が送られ、第33回福岡アジア文化賞授賞式は幕を閉じました。

ムービングライトと映像によるオープニング
祝賀パフォーマンス
受賞者の功績紹介映像
高島市長による主催者代表挨拶
石橋総長による選考経過報告
谷川理事長によるメダル授与

秋篠宮皇嗣殿下お言葉

 本日、第33回福岡アジア文化賞授賞式が開催されるにあたり、大賞を受賞されるトンチャイ・ウィニッチャクーン氏、学術研究賞を受賞されるカターリヤ・ウム氏、そして芸術・文化賞を受賞される張 律(Zhāng Lǜ)氏に心からお祝いを申し上げます。

 そして今日、皆様と共に出席し、受賞者それぞれの活動や研究の一端について、この会場でお話を伺うことができますことを誡に嬉しく思います。

 「福岡アジア文化賞」は、古くからアジア各地で受け継がれている多様な文化を尊重し、その保存と継承に貢献するとともに、新たな文化の創造、そしてアジアに関わる学術研究に寄与することを目的として、それらに功績のあった方々を顕彰するものです。そして創設以来、アジアの文化とその価値を世界に示していく上で、本賞が果たしてきた役割には誠に大きなものがあります。

 私自身、東南アジアを中心に、いくつかの国々を訪れ、多様な風土や自然環境によって創り出され、長い期間にわたって育まれてきた各地固有の歴史や言語、民俗、芸術など、文化の豊かさと深さに関心を持ちました。

 そして、それらを記録・保存・継承するとともに、さらに発展させていくことの大切さと、アジアを深く理解するための学術の重要性を強く感じております。このことから、本賞がアジアの文化の価値とそれらについての学術的な側面を伝えていくことは、大変意義の深いことと考えます。

 本日受賞される3名の方々の優れた業績とその意義が、アジアのみならず、広く世界に向けて発信され、また、これらが国際社会全体で共有されることによって、人類の貴重な財産になることと思います。

 おわりに、受賞される皆様に改めてお祝いの意を表しますとともに、この「福岡アジア文化賞」を通じて、アジアの各地に対する理解、そして国際社会の平和と友好が一層促進されていくことを祈念し、授賞式に寄せる言葉といたします。

 

大賞のトンチャイ・ウィニッチャクン氏への贈賞
学術研究賞のカターリヤ・ウム氏への贈賞
芸術・文化賞の張律(チャン・リュル)氏への贈賞

大賞受賞者によるスピーチ

未来の礎となる新たな歴史をつくり民主主義と正義を追求する

 福岡アジア文化賞大賞を受賞し、とても光栄に思います。本賞の受賞は、私の二つの基本的な信念であるタイと東南アジアの研究への献身が認められたものだと思っています。その信念の一つ目は、タイとその地域の歴史はより広い世界に関係があり、世界を豊かにするということです。二つ目は、歴史は強力な知識だということです。一方で、タイやその他の多くの国でのナショナリズムの歴史がそうであったように、歴史はその中で利用されることもありえます。しかしながら、今ある歴史とは別の新たな歴史は可能であると思っています。それは望ましい未来の基礎となると信じています。

 タイにおける民主主義や正義への献身を認めていただいたことにも感謝いたします。1976年のタマサート大学での虐殺事件で命を落とした友人たちが、日々私にこの現実を思い起こさせてくれます。この賞を彼らに捧げたいと思います。

 残念ながら、物事を忘れ去られることは、あまりにも当たり前になっています。私は福岡アジア文化賞の受賞の知らせを受けた時、2004年にタイ南部の村で起こったマレー族イスラム教徒たちの虐殺被害者の話を語るイベントに参加していました。それゆえに、私の受賞への喜びは深く謙虚なものでした。

 私にとって、知識を追求することと民主主義と正義への献身は、お互いに必要なものです。実際の生活で無関係に見える知識であっても、より良い未来へとつながる革新的な知識であるかもしれないのです。私は学問という象牙の塔と市井の両方の一員であることを誇りに思います。

 福岡アジア文化賞は、私たち全員に対して、人類の未来のために小さなことであっても、もっとやっていこうというインスピレーションを与えてくれるものです。

学術研究賞受賞者によるスピーチ

難民としての経験と思いやりを胸に平和で公正な世界を目指す

 福岡アジア文化賞の受賞は、とても身に余る思いであり、深く感謝いたします。この受賞は、移民・難民研究の学者として私の学術的な貢献への認知だけではなく、私たちグローバル・コミュニティが直面している問題の重大性への認知でもあると思っています。こうしている間にも、1億800万人もの人々が故郷を追われ、強制移住は、現代における喫緊の課題のひとつとなっています。私たちの未来、そして国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)を考えるとき、17の目標のうち14がなんらかの形で移住に関連していることがわかります。

 福岡アジア文化賞によって、私のような難民は、単に食い止めるべき危機でも、避けるべき社会的負担でもなく、より良い社会、より公正で平和な世界を築くために貢献できる人々なのだという先見性のある力強いメッセージを、世界に発信することになります。難民たちは誰よりも平和の重要性を理解しています。戦争の惨禍の生きた証だからです。私たちは家を、国を、そして家族を失っただけではなく、世界を失くしました。何も持たず、新しい家に入ることになるかもしれません。しかし、思いやりという恩恵を胸に携えています。暗く辛い時を過ごす中で、思いやりの欠如に対する悲しみや、思いやりの心が満ちていることに対する温かさを感じたことがある人たちだけがこの恩恵を持っているのです。

 変革は、新しい可能性を思い描く力とともに始まると歴史は示しています。福岡アジア文化賞は、平和と相互理解のために尽力する多様な方々を表彰しています。私たちが後世に残したいと思う世界に向かって、考え、想像し、そして願わくば共に努力するためのプラットフォームとなっているのです。

アジアで共に生きる人々の感情を映画を通して探求し続けたい

 この度は、福岡アジア文化賞の芸術・文化賞をいただき、身に余る名誉をかみしめたと同時に、大きな責任を感じています。受賞は私の過去の仕事に対する評価の証であると思います。今後の創作活動に対するより一層の期待と励ましでもあります。このことを肝に銘じて、これからも努力を惜しまず、精進して参ります。

 私は映画監督です。ある意味、虚構の世界で仕事をしています。幸いなことに、虚構の世界は、刻々と変化する現実の社会と双方向に関わりあっているものです。そして、たくさんの人と力を合わせて成し遂げるものです。ゆえに、この度の受賞は、私個人に与えられたものではなく、今日まで私と一緒に仕事をしてきたチームの皆さんに与えられたものだと心から思います。

 かつて、そして現在、私が仕事をしている中国、韓国、日本、モンゴルといった地理的空間は、即ちこの賞の名前になっている「アジア」に当たります。私は、アジアの人間です。当然、体の中におのずとアジア的「情愫(じょうそ)」が流れています。しかし、不思議なことに、体に染み込んでいるこの「情愫」こそ、時折自分ですらよく分からなくなり、遠い存在に感じることもあります。だからこそ、映画を撮る仕事をしているのだと思います。映画というものは、すでに明白なことを撮るものではなく、既知の事柄と未知のものとのなんらかの関係を見つけにいくものだと私は思います。

 これからも、私は映画創作の道を歩み続けますし、ひたすらこの道を進むだけです。ただし、今まで以上に、より謙虚で、より誠実に歩んでいきたいと思います。

受賞者インタビュー

研究を深めていく中で、地図に着目した経緯をお聞かせください。
トンチャイ氏:当初の目的は、なぜ人々が国家に執着するのか、君主制にこだわるのかを理解することでした。タイの歴史を違う視点で振り返り、新しい歴史をつくる必要があると考えました。政治的な思想にあまり頼ることなく、過去を見る方法を模索する中で、地図の研究がトリガーになると気づいたのです。国家は、本当に些細な紙切れに書いた地図によって始まったことを認識し、本にまとめました。

日本で印象に残ったことがありましたら、お聞かせください。
トンチャイ氏:アジア経済研究所で働く機会がありましたが、理想的な研究環境でした。特に、日本の図書館間貸借システムは世界一だと思います。おかげで、研究の傍ら数冊の本を書き上げることができました。また、日本からは多くのことを学びました。日本は西洋と交流しながら、高度な教育と学術研究に取り組んできました。自然科学、社会科学、人文科学を総合した独自の東南アジア研究は世界に類を見ません。

これからの民主主義に期待することや、伝えたいことは何でしょうか。
トンチャイ氏:この10年の間に、東南アジアの民主主義は後退したように感じます。社会の複雑さが増すにつれ、その必要性は高まっています。すべての社会にとって、民主主義はなくてはならないものなのです。

政治学を志した理由やきっかけをお聞かせください。
ウム氏:初めから政治学を専攻しようと思ったわけではありません。私は1975年に難民となりましたが、政治は私たち難民に、優しくありませんでした。大虐殺から生き延びた私には、「なぜ私たちの身にこのようなことが起きたのか」という疑問がずっとつきまといました。大学の学部生後期に、政治学を学ぶ機会があり、教科書で東南アジアの歴史について読んだとき、カンボジアの人々の存在が無視されているように感じました。長い間フランスの植民地であり、カンボジアに関する研究はカンボジア人以外の人々によって書かれてきました。私たちの歴史はどこに存在するのか。私たちは一体どういう存在なのか。その答えは見つかりませんでしたが、政治学は私に、何が失われ、どこでそれを探すべきかを教えてくれました。

研究を通して、何を成し遂げたいとお考えですか。
ウム氏:政治学と出会い、多くのことが忘れられている現実に気づきました。そこで、自分たちの歴史を自らの手で書かねばならないと決心しました。虐殺があった、難民になった、ただそれだけではないのです。この思いが研究の羅針盤であり、自分たちの経験の複雑さや人々の届かなかった声に光を当て、その存在を目に見えるようにしてきました。トラウマは歴史的な忘却によって生じます。だからこそ、歴史の中で失われたもの、人々の声を教科書の中に見出せるようにしたいのです。

スピーチの中で登場した「情愫」という言葉は、日本語ではあまりなじみがありません。張監督が思う「アジア的情愫」とは、どのようなものでしょうか。
張氏:「情愫」というのは、内心、非常にピュアで美しい素朴な感情のことです。「初心」と言い換えることもできます。出発や初心、人と人の適切な距離感や、調和がとれた関係。私はずっとこれらを探し求めてきました。中国の偉大な哲学者である孔子の言葉を引用すると、「温良恭倹譲」という状態です。人と人、グループとグループ、国と国の関係が非常に良いことを意味しています。謙虚で、穏やかで、慎ましい関係を表す言葉です。

生まれ育った中国だけではなく、韓国や日本といったアジアの国々で映画を撮ろうと思われたのはなぜでしょうか。また、今後どのような映画をお撮りになりたいですか。
張氏:監督になってから、映画を撮る場所をいろいろと探しています。私が生まれたのは中国の北部ですが、現代の世界を見てみると、社会は互いに融和して共生しているようです。福岡で過ごしたこの数日間、中国語や韓国語を耳にしました。皆が共に生きているのだと感じます。映画には、自分の、そして仲間の喜怒哀楽が盛り込まれます。自分と仲間、それぞれの喜怒哀楽を共有することが必要だと思うのです。そうでなければ、互いの隔たりが大きくなってしまい、感情も遠く感じるのではないでしょうか。こういったことを表現していきたいと考えています。