贈賞理由

キドラット・タヒミック氏は、制作・監督のみならず脚本・撮影・編集・出演までを自ら行う個人映画作家のアジアにおける先駆的存在として、世界の映画文化に大きな貢献を果たしてきた。「第三世界」としてのフィリピンに生きる者の自覚と矜持を独特のユーモアに包んで描く作品群は、国際的に高く評価されている。

1942年バギオに生まれたタヒミック氏は、フィリピン大学卒業後、アメリカのペンシルバニア大学大学院で経営学の修士号を取得。パリの経済協力開発機構(OECD)の研究員となったのち、帰国して自主制作映画作家としての道を歩みはじめた。1977年の第1作『悪夢の香り』は同年のベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞し、翌年にはアメリカで公開されるに至った。

純朴なジープニー(乗り合いタクシー)運転手がアメリカ企業によって愛車とともに突如パリに派遣され、大都会で右往左往する珍騒動を、フィクションとドキュメンタリーを混在させる斬新な映像話法で描き、笑いのなかに先進国の独善と近代化の裏面を揶揄する『悪夢の香り』は、氏の名を一躍世界に広め、後進のアジアの映画作家たちに大きな影響を与えることになった。

続いて、フィリピン人の発明とされる玩具のヨーヨーを月面で実行するという妄想に取りつかれた青年が、家庭の日常品でロケットを組み立てて月旅行を成功させる『月でヨーヨー』、息子の成長を記録した個人映像から激動のフィリピン現代史を浮かび上がらせる『虹のアルバム 僕は怒れる黄色’94』などの個性的な作品を次々と発表。その後もインディペンデント映画作家の旗手として、自主制作と上映を続けている。

また、自作上映と併催して先住民イゴロト族のグループと踊りや寸劇のパフォーマンスを行い、美術の分野でも、埼玉県飯能市の竹寺や新潟県の越後妻有にしばしば長期滞在して、インスタレーションや映像作品を創作するなど、ジャンルを越境するアーティストとして幅広く活躍している。1986年にはバギオ・アーツ・ギルズを創設し、若手アーティストの育成にも尽力している。福岡でも、大濠公園でのパフォーマンス、福岡アジア美術館での展示と上映を行っている。

このようにキドラット・タヒミック氏は、先駆的なアジアの個人映画作家として多大な成果を挙げて後続世代を先導し、現在もなお多彩な創作活動を展開している。その貢献は、まさに「福岡アジア文化賞―芸術・文化賞」にふさわしい。

6歳の頃、家族とともに(1949年)
師で親友である、土着民族の長老ロペス・ナウヤック氏とともにイフガオ族の棚田にて(1999年)
彼の文化的シンボル、竹製カメラとイフガオ族のふんどしで都会を歩きながらの撮影 (2002年)