贈賞理由

ジェームズ・C・スコット氏は、東南アジア農村社会において、小農や小作農が生存の保障を求めて国家や地主の過重な介入や収奪に抵抗する心情と論理、それに起因する社会動態のメカニズムを、詳細な文献研究と2年におよぶマレーシア農村でのフィールド・ワークによって明らかにした。その知見は、アジアという地域を超え政治学の領域を超えて、「モラル・エコノミー論争」と呼ばれるような、学際的議論を呼びおこした。

その後の研究展開で、権力に対する面従腹背の姿勢は、奴隷制や農奴制やカースト制をはじめ、支配と抑圧の中にある従属階級の人々に広く見られる抵抗の基本形態であり、権力関係の及ばない舞台裏での言動の批判力と変革への可能性を明らかにした。さらには貧者の生活を改善しようとする社会工学的な国家プロジェクトが繰り返した失敗を回避するためには、地域に根差した実践的な知識と慣行を理解し尊重すべきことを、理論的考察と事例研究を通して説得的に示した。

東南アジアから始まり、近現代世界における権力の支配と人々の反発が織りなすダイナミックな関係を分析してきたスコット氏の知的遍歴は、最新刊『統治から逃れるための技術-東南アジア山地のアナーキズム史観』(2009)で再び東南アジアへと回帰した。国家の徴税や労役徴発を嫌って山地に逃れた人々が、自由と自律を守るために柔軟で流動性に満ちた社会と文化を作り守ってきたという大胆な主張は、侃々諤々の議論を引き起こしつつある。

スコット氏は、1967年にエール大学で博士号を取得し、ウィスコンシン大学教授を経て1976年よりエール大学の政治学教授および農村社会研究所所長として、多くの後進を指導育成してきた。また、近代国家における支配と被支配の関係を、生存の維持、支配と抵抗、日常の政治、アナーキズムなどの概念を核として精緻に分析した。支配されてきた弱者の価値観と意味世界に焦点を当てた深い洞察に基づく研究は、政治学のみならず、文化人類学、農村社会学、歴史学等を包摂する豊かな学際性を有する。

このようにジェームズ・C・スコット氏の研究は、東南アジア地域研究と政治学を出発点として越境し隣接諸学を刺激し、挑発し、生産的な議論を誘発してきた。この貢献は、まさに「福岡アジア文化賞-学術研究賞」にふさわしい。

バスケットボール選手として活躍していた若き日のジェームズ氏(下段左から2番目の背番号4)(1954年)
ミャンマー農村でのフィールドワーク(2007年)
ミャンマーでのフィールドワーク、雪山にて(2010年)