神仏となった徳川家康―美術と建築からみる東照宮信仰
開催日時
2022年9月28日(水)/15:00~17:00
会場等
福岡市美術館 ミュージアムホール 及び オンライン(アーカイブ配信)
対談者
田中 優子氏(法政大学名誉教授)
コーディネーター
河野 俊行氏(九州大学理事・副学長・主幹教授)

第一部 基調講演

徳川家康は何故、どのようにして日光に神仏として祀られたのか

 江戸を主たるフィールドとして、広くビジュアル情報として残された歴史を解明し続ける日本研究者・スクリーチ氏。基調講演では、徳川家康が何故、どのようにして東照大権現として祀られるようになったのか、そして徳川家康を祭神に祀る日光東照宮について、美術と建築を通して歴史の深層に迫りました。

 スクリーチ氏は絵画や写真をスクリーンで映しながら、流暢な日本語で解説を始めました。1616年に死去した家康は、当初、現在の久能山東照宮(静岡県)の地に遺体が葬られたといわれます。富士山、三保の松原が近くにある美しい場所で、スクリーチ氏が実際に見た現地の様子も語られました。

 翌年、家康の遺体は日光に移され、社が建てられました。日光が選ばれたのは、江戸の真北に当たり、権力や守護を意味する重要な方角だったからです。家康が神仏化されたのは、先に亡くなった豊臣秀吉が豊国大明神として祀られた影響もありました。さらに約20年後、孫にあたる3代将軍の家光が大規模な改修を行い、多額の資金を投じて豪華な日光東照宮を建設します。建築様式の変遷や特徴について、京都にある秀吉の霊廟とも比較しながら説明しました。

 最後に、日光の特徴とされる灯籠について紹介。東照大権現の本地仏は薬師如来であり、病を治す仏である薬師如来の前では、昔から灯籠を使った儀式が行われてきました。そのため、日光には数多くの灯籠があります。最初に灯籠を献上したのは伊達政宗で、ポルトガルの銅製でした。家康の孫・東福門院(徳川和子)が献上したものや、鎌倉時代の有名な鬼彫刻の灯籠を模したものもあります。オランダからは、シャンデリア型など珍しい3つの灯籠が贈られました。これは、世界から家康が神様として認められたことを示す象徴ともいえます。

 誰もが知る歴史上の人物・徳川家康を、神仏という観点からひもとき、日光の建築や美術と合わせて描き出す興味深い講演となりました。

第二部 対談

江戸学の現在を語る

対談者 田中 優子(法政大学名誉教授、法政大学江戸東京研究センター特任教授)
コーディネーター 河野 俊行(九州大学理事・副学長・主幹教授、イコモス名誉会長)

 スクリーチ氏と長年交流があり、著書の共訳や解説を手掛けた江戸研究者・田中優子氏と対談が行われました。田中氏は、スクリーチ氏の著書の中から3冊を紹介されました。『大江戸視覚革命』は、江戸時代にオランダから入ってきた望遠鏡、眼鏡、顕微鏡などの視覚装置(レンズ)が人々の視覚に変化を及ぼし、新たな民衆文化を生んだ歴史について書かれた本です。他にも、松平定信をテーマにした『定信お見通し』、解剖学を斬新な視点で描いた『江戸の身体(からだ)を開く』を挙げ、内容の面白さを伝えるとともに、スクリーチ氏の研究を「文学が無視し、歴史が無視し、美術が無視してきた場所に、勇気を持って分け入ってきた」と評価し、その素晴らしい功績を称えました。

 スクリーチ氏は美術史、田中氏は文学という専門領域を越えて、研究を広げてきました。新分野を開拓する原動力について、スクリーチ氏は「仲間が非常に重要だと思います。アイデアを交換しながら討論し、自分の考えを広げていくことが大切」と話しました。田中氏は、湧き上がる好奇心のままどんどん本を読み、知識を積み重ねてきた経験を語りました。

 最後に、「江戸文明は東京だけではなく地方にもある」ことが伝えられ、博物館、絵画、古地図、庶民生活に関する資料などを通して共通点を探し、福岡の中で江戸とのつながりを見つけていく楽しみ方も提案されました。