- 開催日時
- 2022年9月28日(水)/19:00~20:30
- 会場等
- 電気ビル共創館 みらいホール 及び オンライン(アーカイブ配信)
第一部 レクチャー・デモンストレーション
日本の太鼓、英哲の太鼓
ワールドミュージックとして初めて世界に認知された日本の太鼓音楽、その創成期から最先端をつねに走り続けてきた林英哲氏。第1部では、日本の太鼓の伝統と林氏が新たに生み出した表現の独創性について、英哲風雲の会メンバーの実演を交えながら本人が解説していきます。
一番古い日本の太鼓は古墳時代といわれ、太鼓とバチを持った埴輪が発見されています。現在、我々が使っているような太鼓は、5~6世紀に仏教や雅楽と共に伝わってきました。平安時代に豊作祈願の田楽とともに太鼓が広がり、室町時代には太鼓を打ちながら歌って踊る田楽法師が人気を博します。その後、能の世界で大型の太鼓が消えていくとともに、鼓が登場し、芸能として洗練されていきました。
江戸時代には火事の緊急信号として利用され、周波数が長くて遠くまで届く太鼓の音は効果的でした。その後、歌舞伎ではサウンドエフェクトとして、舞台袖で役者の動きに合わせて鳴らされました。
太鼓が舞台芸術として進化したのは戦後です。ジャズの影響もあり、太鼓をたくさん並べて打つ組太鼓が生まれましたが、あまり普及はしていませんでした。
こうした歴史を背景に、自分自身の歩みについて語った林氏。太鼓を始めたのは51年前、美術学校で学んでいたときでした。中学時代からドラムをしていたこともあり、新潟県の佐渡島に創設された太鼓チームに誘われ、厳しい合宿生活を送ることになります。長距離を毎日走り込み、自己鍛錬を続けながら、伝統的な祭りばやしを研究して舞台用の迫力ある曲にアレンジしたり、大太鼓を正面から打つスタイルを生み出したり、それまでの常識を破る太鼓芸能を確立していきました。ボストンマラソン完走後の太鼓パフォーマンスを皮切りに、オーケストラと数多く共演。1982年にグループが解散した後は、前例のないソロの太鼓奏者となり、演奏、作曲、指導などさらに活動を広げてきました。
脇役だった太鼓に光を当て、伝統を生かして「英哲の太鼓」を築いた林氏。新しい芸能を切り拓き、古希を迎えた今も挑戦を続ける姿が、大きな感銘を与える講演となりました。
第二部 スペシャルライブ
組曲「澪の蓮2022」
第2部では、林氏と英哲風雲の会メンバー4名によるライブ演奏が行われました。組曲「澪の蓮」は、林氏が創作した太鼓ドラマともいうべき劇的舞台作品。自身が影響を受けた芸術家をテーマにした作品の中で、4作目となる組曲構成の大作です。朝鮮半島の自然と文化を愛し、40歳の若さで世を去った林業技師・浅川巧の人生をテーマに、2001年に発表されました。国内ツアーはもとより海外公演でも演奏された記念すべき作品です。
市民フォーラムでは、記念ライブとしてスペシャルヴァージョンで演奏。林氏が舞台中央の大太鼓に向かって打ち始めると、会場は凛とした空気に包まれ、力強い太鼓の音が響きわたりました。英哲風雲の会の太鼓奏者との見事なアンサンブルによって壮大な世界が広がり、照明による光と影の演出も美しく、神聖で迫力ある演奏で観客を魅了しました。演奏後は多くの人が立ち上がり、拍手が鳴りやみませんでした。
拍手に応えて再び舞台に立った林氏は、15年ほど前にアメリカ・オハイオの芸術活動プロジェクトで子どもたちに太鼓を教えた経験を話し、その頃に作った曲を披露し、公演の幕を閉じました。