贈賞理由

中村哲氏は、パキスタンとアフガニスタンで、30年にわたり患者、貧者、弱者のための医療や開拓・民生支援の活動を続けてきた。現地での経験に基づく深い思索と発言・著作は、異文化の理解と尊重を求め、真の平和構築を目指す知的営為として、国際的に高く評価されている。

中村氏は、1946 年に福岡市に生まれ、1973 年に九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て、1984 年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任した。以来、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療に始まり、難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げた(『医は国境を越えて』)。また今世紀に入って頻発する干ばつに対処するためにアフガニスタンで 1,600 本の井戸を掘り(『医者井戸を掘る』)、クナール川から全長 25.5 キロの灌漑用水路を建設し(『医者、用水路を拓く』)、現在では 15,000ヘクタール余の農地を回復・開拓した。用水路工事は雇用を生み、難民の帰還を促すとともに、農地の回復は彼らが農民として平和に暮らすことを可能とした。その数は50万人を超える。

中村氏の活動は、ペシャワール会の現地代表として医療や国際協力の現場で自ら汗をかき率先垂範するだけにとどまらない。そこでの体験に裏付けされたイスラームに関する理解や現代世界に対する洞察を、ペシャワール会の会報や新聞、雑誌等に発表し、平和的手段による社会改革を広く市民に訴え続けている(『辺境で診る辺境から見る』、『空爆と「復興」』、『丸腰のボランティア』)。10 冊を超える平易で読みやすい著書は、アフガニスタンの現状をふまえた比較文化論であり、現地の人々の立場に身を寄せ、もう一つの別の視点から世界を見ること、考えることへと読者を誘う。

異文化への深い理解をもとに、自文化の相対化や内省を伴いながら、より良い社会のあり方を模索するという知的営為は、国際協力の基本姿勢である。現地の文化と人々を尊重することを最優先に続けられてきた中村氏の活動は、異文化理解と国際協力の理念の実践であり具現である。文化の振興と相互理解および平和に貢献するために創設された福岡アジア文化賞の精神を、30年にわたる活動で体現している中村哲氏は、まさに「福岡アジア文化賞-大賞」にふさわしい。

小学校時代 虫好きの少年だった
1991年1月ハンセン病多発地帯であるアフガニスタン東部に診療所開設のため徒歩で越境した(1991年)
顕在化したアフガニスタンの旱魃のため、医療活動と併行し2000年より飲料と灌漑用井戸掘削を始めた。写真は灌漑用井戸からの汲み出し水(2002年)

中村哲さんからのメッセージ(福岡記者会見より)