贈賞理由

濱下武志氏は、東アジア近代史の分野で顕著な業績を挙げただけではなく、「地域としてのアジア歴史像」を斬新な方法と視角で分析した歴史学者である。西欧からみた世界史認識や、国民国家中心のアジア歴史観を大きく塗り替え、国内外で高い評価を獲得している。

濱下氏は、過去30年間、足しげくアジア地域を訪問し、資料収集、史跡の訪問、現地の人々との語らいに時間をかけてきた。同時に、中国、香港、台湾、韓国、タイ、シンガポール各地の若手歴史研究者の指導と育成にも並々ならぬ精力を注いできた。研究の主な対象は中国であるが、研究テーマは「華人のネットワーク」や「朝貢貿易体制」といったように、国境を超えていく。伝統的な「東洋史」が目指してきた特定の国の歴史(ナショナル・ヒストリー)ではなく、中国や日本を含むアジアを、地方=local、地域=region、広域地域=area、の三つのレベルで捉えなおす、まったく新しいアジア歴史像を構築してきた。

中国の海関(税関)に関する詳細な研究は、中国・西欧の貿易関係史だけではなく、北京の清朝政府と華南地域の経済活動の間の「中央-周辺」のダイナミックな関係をも視野に収めた斬新な研究であった。また、華僑・華人の交易・移住・送金に関する研究は、中国と東南アジアの間に形成されたユニークな地域秩序(華夷秩序と朝貢貿易)の研究に結実する。この研究は、国民国家の形成を軸とする従来の世界史認識、つまり、西欧に追いつく試み(近代化論)や、西欧の植民地支配に抵抗する姿(ナショナリズム論)によってもっぱらアジアを捉えてきた既存の歴史像を、地域の内部から捉えなおす画期的な業績であり、1991年度のアジア・太平洋賞大賞を受賞した。

濱下氏が関心を寄せるのは、国家間の関係や首都同士の交流ではなく、アジア各地の移民の生活実態や彼らの心情であり、香港のネットワーク都市としての発展であり、そして、鎖国時代の日本と中国、台湾、東南アジアの間の交易の中継基地となった沖縄(琉球王国)の歴史である。とくに、沖縄県教育委員会による琉球王府の外交文書『歴代寶案(れきだいほうあん)』の編集作業に長年にわたって協力した功績は大きく、海域アジアの地域間交流史の研究に新しいページをひらいた。また、交易や移民の歴史をとりあげるにあたって、アジア地域の歴史研究者と連携して共同研究を立ち上げ、ネットワーク作りと学術交流にも貢献してきた。

このように、濱下氏の研究と活動はまことにスケールが大きく、アジア全体を見すえた地域像の構築に先駆的役割を果たしてきたと評価できるものであり、まさしく「福岡アジア文化賞-学術研究賞」にふさわしい業績といえる。