贈賞理由

タン・ダウ氏は、シンガポールを拠点に1980年代、90年代を通して活動し、東南アジアのアートシーンを今日の隆盛に導く主導的な役割を果たしてきた。同氏は街頭でのパフォーマンスや日用品によるインスタレーション(仮設的な空間造形)、観衆との共同作業や子供たちとのワークショップなど、斬新な表現形式を大胆に採用し、環境問題や人権問題などの極めて今日的かつ社会的なテーマを中核に、それまでの東南アジアの美術界には見られなかった新たな表現領域を切り開き、東南アジアの芸術・文化界に大きな影響を与えてきた。その意味では東南アジア現代美術界の真のパイオニアということができよう。

1943年、日本占領下のシンガポールに生まれ、英国統治下のシンガポールで中国式の教育を受けた後、1970年に英国留学。英国現代美術の発信源であったセント・マーティン美術学校やゴールドスミス・カレッジで、現代美術の手法や問題意識を身につける一方、自らのアイデンティティの問題を考え続けた。1988年に活動拠点を故国に移すと同時に、観光客で賑わう目抜き通りでのパフォーマンスを敢行し、同年、彼の回りに集まってきた若者たちを糾合して、シンガポール北部センバワンの農場に<アーティスツ・ヴィレッジ>を結成した。これはともに作品を制作し、展覧会を開催し、共同でパフォーマンスを繰り広げる芸術共同体である。この共同体は、先頭に立つ同氏のもとでシンガポールのアートシーンを席巻した。

このようなタン・ダウ氏の活動や作品は、シンガポールの若い世代の挑戦的なアーティストたちを惹きつけた。カリスマ的な影響力を発揮し始めた同氏は、その活動を通して、常に若いアーティストを励まし、刺激し、鼓舞し続け、<アーティスツ・ヴィレッジ>から誕生した世代が、今や東南アジアのアートシーンの中心作家となっている。

その後もタン・ダウ氏の活動は、マレーシア、フィリピン、インドネシアと広がり、今日、東南アジアにおけるもっとも代表的な現代美術家として高い評価を受けている。日本でも「タン・ダウ展」(1991年 福岡市美術館)、「美術前線北上中」展(1992年 福岡市美術館ほか)、「アジアの創造力」展(1994年 広島市現代美術館)などでたびたび紹介されている。

タン・ダウ氏の作品の魅力は、たんに前衛的な新しさや、社会的テーマの過激さの中にあるのでもなく、芸術作品としての質の高さにのみ求められるのでもない。中国系シンガポール人として、中国文化を意識した自己の体内にある文化とアイデンティティの問題を追求し続け、アジアにおける美術の真の独自性とは何かを常に問い続けていることにこそ、その魅力と特質がある。このようなタン・ダウ氏の芸術活動とその姿勢は「福岡アジア文化賞―芸術・文化賞」にふさわしいといえる。