贈賞理由

レイナルド・C・イレート氏は、19世紀末から20世紀初頭のフィリピン革命を中心とする歴史研究において常に先導的役割を果たしてきた。同氏は、底辺あるいは周縁に置かれた者たちの声に耳を傾け、抵抗する民衆の心の内を深く理解することをとおして、エリートでなく民衆を主役とする新たな革命史像を鮮明に提起した。また歴史研究を、文学や宗教学、文化研究などの研究分野と関係づけ、学際的研究の領域として拡大し活性化してきた。

主著である『キリスト受難詩と革命』(1979年)でイレート氏は、東南アジアで最初の反植民地・民族解放の運動と革命が広範な民衆の支持と参加を得ることができたのは、宗主国であるスペインがもたらしたカトリックの教えにほかならないことを明らかにした。一般民衆がイエス・キリストの受難の物語を手本とし、それからの類推で、300年におよぶスペイン支配を悪と捉え、カリスマ的な指導者にしたがって立ち上がっていった経緯が、共感をこめて生き生きと描かれている。

さらに近年では、革命指導者ボニファシオの評価と、革命に介入・弾圧してフィリピンを植民地としたアメリカの役割をめぐる論争を通じて、アメリカ人研究者らのオリエンタリズム(欧米の自文化中心主義的な見方・考え方)を痛烈に批判し、知識・思想・精神における脱植民地化の動向を進めるうえで大きな貢献をしている。アメリカからの独立後、半世紀以上を経た現在も続く、植民地支配の強い影響や束縛から脱し、しかし偏狭で排他的なナショナリズムに陥ることなく、誇りうる歴史と文化の自画像を描き出そうと苦闘するイレート氏の研究は、日本を含めたアジア各国の研究者に対しても大きな刺激と励ましを与えている。

批判的知識人の責務を自覚しながら、日本およびアジア太平洋地域の数々の大学や研究所で教育研究活動に当たり、後進の育成と刺激的な研究を進めるイレート氏の活動は、「福岡アジア文化賞―学術研究賞」に真にふさわしいといえる。