贈賞理由

 アシシュ・ナンディ氏は、インドのみでなくアジアを代表する社会・文明評論家である。その思考の範囲は、個人の尊厳から集団意識、政治心理、国家論、文明論にまで及ぶ。幅広く鋭い学術研究にとどまらず、市民運動にも積極的に参加する行動的知識人であり、「インドの良心」とも称されている。

ナンディ氏は、1937年にビハール州バーガルプルに生まれた。10歳の時、インドとパキスタンが英領インドから分離独立した際に繰り返された暴力と惨劇を目撃する。それが、同氏の自己形成の原点となっている。大学では社会学を専攻したが、国立発展途上社会研究センターに迎えられてから、臨床心理学へと接近していった。同センターでの思索と研究をつうじて、臨床心理学と社会学とを統合させた独自の方法論を構築した。この間、諸外国の大学や研究機関に招かれて研究や講演を数多く行い、1992年から1997年には、同センターの所長を務めている。

同氏は、特定領域の研究者というよりも、幅広い諸問題について探究し思考する知識人である。その思考の立場は、二つの軸を持つ。第一は、個人が抱える問題と現実世界の政治・社会・文化が抱える問題との接点に自らを置き、問題の本質を考えることである。これは、臨床心理学の方法論からの発展である。第二は、積極的な非暴力主義であり、これは、かつて目撃した悲惨な現実を原点に、ガンディー主義を再生させようとする理想主義的な志向である。この二つは、膨大な数にのぼる同氏の著作を貫く底流をなしており、現在、インド国内や世界で力を増しつつある国家・民族・宗教などの集団的利害に中心を置く主義・主張に対しても、同氏はこれらを基軸として、本質的な批判を行うとともに、市民や社会と連帯する草の根的な運動にも参加している。

このようにアシシュ・ナンディ氏は、精力的な著作活動や非暴力主義の信念に支えられた行動をつうじて、政治問題、民族紛争等さまざまな問題を多面的に鋭く分析し、国境を越えた地球的規模の人類の共存・共生のあり方について提言を行うなど、世界に広く発信し問い続けており、まさしく「福岡アジア文化賞―大賞」にふさわしい。