贈賞理由

ククリット・プラモート氏は、現代タイを代表する知識人である。ジャーナリストとしての活動は1950年、評論、解説を重点とした「サヤーム・ラット」紙を創刊したことに端を発し、経営者として、また編集者、論説主幹として、活発な活動を続けながら、自らも連日健筆をふるい大衆の啓蒙に貢献した。

作家としての活動は、1951年の『王朝四代記(シー・ペンディン)』をもって始まる。以降1953年に『多くの生涯(ラーイ・チーヴィット)』、1954年には『赤い竹(パイ・デーン)』と矢継ぎ早に小説を発表した。これらの三大長篇は、いわゆる、「ククリット・プラモート三部作」と評されており、いずれもタイ現代文学の傑作として、きわめて高い評価を得ている。特に『王朝四代記』は、王室に近い貴族の家に生まれたという自らの家系を背景に鋭い観察眼と洞察力とを駆使して、タイ国の中枢である王宮の歴史をラーマ5世以来4代にわたって史実に基づき詳細に描き出したものであるが、単に歴史小説としてばかりでなく、当時の風俗文化に関する貴重な作品としても、同氏の最高傑作と評されている。また、『赤い竹』は、西欧十数ヶ国で翻訳され、大きな反響を呼び、同氏の名前を世界に知らしめた作品である。

知識人としての幅の広さと奥行きの深さは、その多彩な経歴に由来するといえる。同氏はオックスフォード大学経済学部卒業後、大蔵省に入り、その後、財界へ転出し、タイ国商業銀行の副頭取を経て、1941年タイ国立銀行の設立に伴い、同銀行の総裁秘書室長に就任している。1947年、政界に入るや、直ちに国務相に就任、翌年、時のピブン内閣商務副首相を務め、1975年には、第13代タイ国首相の座についている。このように、政治家としても、数少ない文民首相としての経歴を経るなど、第一級の人物であると評されている。

また、同氏は、音楽演奏家、舞踊家、映画・舞台俳優等々としても才能を発揮し、多分野にわたる活動を行っており、それらの活動は、タイ社会に貴重な、深い知的影響を及ぼしている。

このように、ククリット・プラモート氏の存在は、タイ国のみにとどまらず、アジアにおける知識人の一つの在り方を示すものであり、アジアの知性と文化の形成に果たした役割はきわめて大きく、まさしく、「福岡アジア文化賞創設特別賞」に相応しい業績と言える。