贈賞理由
ムハマド・ユヌス氏は、独自の発想をもとにグラミン(村落)銀行を創設して、貧困根絶活動に新たな局面を切り拓いた、アジアのみでなく世界を代表する実践的な経済学者である。
ユヌス氏は、1940年にチッタゴン市で生まれ、ダッカ大学大学院を修了後、アメリカに留学、1969年にミドルテネシー州立大学助教授に就任した。しかし独立を達成した祖国の再建に貢献するため、1972年に帰国。国家計画委員会経済部会副部会長に迎えられたが、志との違いの大きさに活動の場を見いだせず職を辞し、32歳の若さで故郷のチッタゴン大学経済学科教授兼学科長に就任した。
1974年、サイクロンの来襲による多大な犠牲とそれにつづく飢きん、そして貧困と闘いつつも、わずかな元手すらも高利貸しに依存せざるを得ない農村女性を取り巻く悲惨な状況から受けた衝撃を契機に、学究生活に閉じこもることなく貧困根絶という実践活動に身を投じていった。その動機は、自らが専攻してきた経済学への深い疑問とともに、「貧困の悪循環」からの解放を語るさまざまな学説が、現実に対して無力であるとの自覚であった。
ユヌス氏は、バングラデシュの貧しい農村にあって、さらに貧しさがしわ寄せされる女性を対象に、1976年に無担保小口貸付というリスクに満ちたまったく新しい試みを開始する。その試行を通じて見いだされたものは、貸付をうけた女性たちが、創意工夫を重ねて新たな収入源さらには小ビジネスを創出し、期日には責任をもって完済する姿であった。これが貧困根絶につながることを確信した同氏は、1983年にグラミン銀行を創設する。同銀行は現在では、女性ひいてはその家族の貧困からの脱却と自立を支える組織として、国内村落の過半にあたる約4万の村々で、約240万人を対象に無担保小口貸付を行うまでに成長した。その活動はマイクロ・クレジットの名のもとに国際的にも広がり、それを範としたマイクロ・クレジット・バンクが60か国以上の国々で設立されるに至っている。
「貧困こそが人類のあらゆる努力を汚し、侮辱するもの」「貧しくても人は自助努力をし、責任感を持って行動する」という強い信念、そして問題の所在を的確に見抜く経済学者としての洞察力、これらを同時にあわせもつユヌス氏の一連の創造的な活動は、開発と貧困根絶に挑戦する有力なモデルとして世界に大きな影響を与え、まさしく「福岡アジア文化賞―大賞」にふさわしい優れた業績である。