贈賞理由
ベネディクト・アンダーソン氏は、世界的に著名な政治学者、東南アジア地域研究者であり、活発な研究活動は、論文集のタイトル『言葉と権力』が示すように、文化と政治にまたがる独特な研究領域を開拓・発展させてきた。その知的影響力は、社会科学・人文科学の諸分野を越え国際的に大きな広がりを見せている。
アンダーソン氏は、ケンブリッジ大学でヨーロッパ古典語を修めたのちコーネル大学で博士号を取得したが、インドネシア独立革命のエスプリとその変容を描いた博士論文は『革命時代のジャワ』として出版されている。若くして創刊した学術誌『インドネシア』はインドネシアに関する学際的地域研究誌として国際的評価を確立している。
長年にわたりコーネル大学で教鞭を執り、研究・教育・出版組織としてのモダン・インドネシア・プロジェクト及び東南アジア・プログラムの運営・発展に尽力し、東南アジア研究の世界的中心としてのコーネル大学の地位を確固なものとした。インドネシア語のみならず、タイ語、タガログ語の習得に努め、地域言語を理解した上での比較地域研究の先駆者となった。スハルト政権下の人権侵害に対して批判的態度を表明し続けたように、自らの信念に基づき行動する知識人でもあるとともに、知的刺激に満ちた教師である同氏のもとからは、これまで国籍を問わず多くの研究者・教育者が育っている。
アンダーソン氏の国際的名声を不動なものとしたのは、これまでに世界17の言語に翻訳されている『想像の共同体』である。同氏はその中で、ナショナリズムの起源を世界史的過程のなかに位置づけ、「イメージとして心に描かれた想像の共同体」にすぎない「国民」(ネーション)が、きわめて多様な社会的、政治的、イデオロギー的パターン(「ナショナリズム」)と合体しながら、様々な「国家」において接合・変形されていく過程を比較歴史的に分析している。その分析手法と洞察力は、ナショナリズム研究に新局面を拓いたものとして国際的に高く評価されている。冷戦の終焉やグローバリゼーションの波の拡大に伴う「国家」の概念の見直しにあたり、国民国家の批判的検証を試みたこの著作がもつ意義はますます大きい。その後の同氏のナショナリズムについての論考は、『比較という亡霊』にまとめられている。
このように、東南アジア、特にインドネシア研究において多大な学術的・教育的足跡を印し、さらには文化と政治に関する研究、ナショナリズム研究において卓越した業績を残し、これらの分野で第一人者として学界を先導するアンダーソン氏は、「福岡アジア文化賞―学術研究賞」の受賞者として真にふさわしいといえる。