贈賞理由

ニティ・イヨウシーウォン氏は、タイが生んだ優れた歴史学者であり、同時にタイを代表する知識人でもある。同氏は1966年にチエンマイ大学に職を得てから、アメリカで博士号を取得する期間を除くと、現在まで一貫して古都チエンマイに腰をすえ、そこからタイ、さらには世界の人々に向けて刺激的な書物を著し続けてきた。

ニティ氏がめぐらす思索は、絶えず地方の文化や伝統に密着しながら、同時にそれは地方を越え、タイの国民国家の問題へ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、インドネシアなどの近隣諸国の文化や民族の問題へ、そして国を越えた、より普遍的な世界へと跳躍する。また、その研究のテーマは歴史家の枠を大きく越えて、時に中世や近代のタイであり、現在のタイであり、未来のタイであり、時間を越えて自在に駆け巡るのである。

ニティ氏は、1980年代から精力的にタイの歴史に関する研究書を次々と刊行してきた。それらは、従来の王朝変遷史を軸とするタイの歴史像や歴史観、欧米の歴史学にのっとった従来の歴史記述方法などをすべて塗りかえていくほどの画期的なものであった。例えば、代表作のひとつである『Pak Kai lae Bai Rua(鶏口と船帆)』(84年)、つまり「文学と貿易」は、19世紀のタイの詩歌や伝承文学の行間を読み解くことでタイ社会のブルジョア的発展を証明するという、まったく斬新な研究であった。同氏の歴史研究は、公文書、寺院文書、欧米旅行者たちの記録などの厳密な史料批判に常にもとづいているが、特筆すべきは、こうした史料を読み解くことで新しい歴史像を創りだしていく、その豊かな歴史構想力こそであろう。それは、タークシン王のトンブリー朝の歴史、ナライ王時代のアユタヤ朝の歴史の研究にも共通している。

その後、ニティ氏は時事評論の分野にも進出し、文化、政治、社会、経済などについて、その厖大な知識を駆使しつつ、ウィットと警句にみちた文章を代表的な雑誌や新聞に発表し続け、タイではもっともよく知られたオピニオン・リーダーとなっている。すでにそうした本も10指に余る。

ニティ氏はまた、思索や研究の成果をタイ語で書くという姿勢を貫いている点でも、タイ知識人のなかでは独自の地位を占めている。タイ語を通じてどこまで普遍的な世界に迫れるか、その方針はチエンマイを拠点に、タイの文化や国家を、そして世界を語る同氏の姿勢とも相通じている。

ニティ氏の著作はタイ語で書かれているが、その抜きんでた業績と活動に対しては、タイはもとより日本、欧米においても高い評価が与えられており、まさに「福岡アジア文化賞―学術研究賞」にふさわしいものである。