贈賞理由

辛島昇氏は、南インド史さらには南アジア史の研究者として、アジアを代表する学者である。同氏の出現によって、南インド史は書き換えられたといっても過言ではない。その問題関心は、厳密な史料批判に基づく実証研究を通じて、南インド社会の歴史的発展過程の全体像を解明することにある。

対象とする10世紀から17世紀の歴史研究は、寺院の石碑や壁面に刻まれた刻文を基本史料とするが、その読解は困難であり、従来の研究の多くは、公刊された少数の刻文史料のみに依拠していた。しかし同氏は、インド人研究者と協力して未出版の刻文史料を渉猟するとともに、タミル語刻文の厳密な読解と電算機による史料情報の統計処理をもとに、新たな歴史的事実の解明に努めてきた。その一例をあげると、チョーラ朝末期の12~13世紀にすでに土地私有制が成立していたとの論証がある。これは、南インド史のみならず南アジア史全体への画期的な発見であり、また旧来のアジア社会停滞論史観への確実な批判である。

このほか氏は、南インド史上における国家行政、制度、社会、経済、生活空間などの広汎な問題にわたって優れた研究成果を提示した。その業績のゆえに、1985年にはインド刻文学会会長、また1989年以降は国際タミル学会会長に推挙されている。人文社会科学の領域で、日本人研究者が研究対象国の学会会長職に就任する例は希有であり、同氏の研究業績への評価の高さを端的に物語る。

また辛島氏は、歴史家としての眼に、長期の留学を含む生活者としての眼を加えて南アジアをとらえ、現在生起しつつあるカースト、民族、宗教などの問題についても卓越した洞察を加えてきた。地域研究者としての同氏の重要な一面である。さらに南アジアと東南アジアの史的関係の再検討をめざして、関係各国の研究者に呼びかけて国際研究プロジェクトを組織し、推進しつつある。国内においても、日本南アジア学会の設立、また『南アジアを知る事典』などの編纂にあたっても中心的な役割を果たしてきた。わが国における南アジア研究の進展も、同氏の存在を抜きにしては語りえない。

このように、辛島昇氏の南インド史研究への国際的な寄与、また南アジアと日本との相互理解の増進、さらにわが国における南アジア地域研究の推進への貢献はまことに大きく、まさしく「福岡アジア文化賞―学術研究賞・国内部門」にふさわしい業績といえる。