贈賞理由
ナム・ジュン・パイク氏は、新しい芸術領域である「ビデオ・アート」の創始者として世界に知られる、アジアが生んだ偉大なアーティストのひとりである。
幼少の頃からピアノと作曲の教育を受けていた同氏は、東京大学文学部美学・美術史学科で主に音楽美学を学んだが、さらに現代音楽を学ぶために渡ったドイツで、前衛的な現代音楽家ジョン・ケージ氏を知ったことが大きな転機をもたらすことになった。後に、前衛芸術家集団「フルクサス」に参加し、既存の芸術破壊のための数々の衝撃的なパフォーマンスで注目を集めるようになるが、ちょうどその頃、電子音楽の研究中に、同じ電子技術の所産であるテレビ映像の可能性に誰よりも早く着目し、1963年、世界で初めて、テレビを使った個展を開催した。これは、後のビデオ・アートの原型となるもので、テレビが新しい芸術媒体となることを示唆する画期的なものであった。
やがて、活動の場をアメリカに移したパイク氏は、ビデオの普及に力を得て、ビデオ映像という新しい表現領域を芸術にまで高めるべく、あらゆる可能性を精力的に模索して行く。日本人技術者の阿部修也氏の協力で開発した新しいビデオ装置「パイク/アベ・ビデオ・シンセサイザー」を駆使して、“めくるめく色彩や変幻自在のフォルム”といった、ビデオ映像独自の特質を生かした独創的なビデオ・テープ作品を次々に発表して高い評価を獲得し、次第に、その斬新で革新的な映像芸術「ビデオ・アート」は他の追随を許さぬものとなって行く。そして、1980年代初頭には、ついにこの分野の世界的な第一人者と目されるようになり、「ビデオ・アートの父」と賞賛されるようになったのである。
また、展示空間に大小さまざまなテレビを設置するビデオ・インスタレーション、テレビやビデオを使って行為するビデオ・パフォーマンス、世界中を衛星で結ぶサテライト・アートなど、現在でも常に世界各地で新たなアート・シーンを創出しながら第一線で活躍を続けているパイク氏のたゆまぬ創作活動は、美術の領域のみならず、デザイン、建築、音楽、さらにマスコミュニケーションの分野にまで影響を与えると同時に、その新しい映像芸術の世界は、来るべき21世紀の新たな芸術表現のひとつのあり方を示唆している。
このように、ナム・ジュン・パイク氏は、最新のテクノロジーと美術を結びつけながら、その芸術の根幹に流れる東洋の精神を通じて、アジアの感性のすばらしさを世界に知らしめ、広く芸術・文化の発展に貢献した。これは、まさしく「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい業績といえよう。