贈賞理由
ヌスラット・ファテ・アリー・ハーン氏は現在、世界で最も華々しく活躍しているパキスタンの代表的歌手である。生家は600年にわたってインド亜大陸のイスラーム宗教歌謡カッワーリーを伝えてきたグワーリヤル派の家柄で、父も叔父も名高い音楽家であった。氏がカッワーリーを本格的に学び始めたのは父の死後だったが、1965年にグループを率いる主唱者としてデビューして以来、徐々にカッワール(カッワーリーの歌手)としての頭角を現し、今日では「カッワーリーの帝王(シャハンシャー)」と呼ばれるに至っている。演奏会だけでなく、本来の姿である国内の聖者廟での奏楽を続ける中、1979年にはインド亜大陸で最も権威あるスーフィー聖者ムイーヌッディーン・チシュティー廟(インドのアジュメール)内で歌うことを許されるという栄誉を得た。同氏は卓越した歌唱力と音楽性を備え、また、ウルドゥー語や母語のパンジャービー語のほか、ペルシア語などさまざまな言語による神秘詩を自在に歌い分け、数千曲ともいわれるレパートリーの広さは他に類を見ない。1987年にはパキスタン政府から音楽部門での大統領賞を受賞、その他数多くの賞を獲得している。
一方、1985年夏、ロンドンで開催されたワールド・ミュージックの祭典「WOMAD(ウォーマッド)」に参加し、大きな反響を呼んだのをきっかけに、ヌスラット氏はジャンルを超えた幅広い音楽活動を展開し始めた。スキャット風な即興など数々の実験的な試みを導入して、カッワーリーに新しい息吹を与え、地域やジャンルを超えてさらに広く親しまれるものにした。1985年と1988年のパリ公演も大成功をおさめ、欧米でもその豊かな音楽的感性は熱狂的な支持を得た。日本には1987年、国際交流基金の招聘で初来日し、「第5回アジア伝統芸能の交流」のセミナーや公演に参加して以来、来日公演は3回を数え、確実にファンを増やしている。大規模な公演を成功裡にこなす一方、日本版CDも多数出している。
ヌスラット・ファテ・アリー・ハーン氏はこのように、カッワーリーの伝統の継承と発展に大きく寄与し、南アジアが誇る伝統音楽文化を世界に知らしめたばかりでなく、伝統にとらわれない柔軟性と芸術的感性によって革新をもたらすなど、東西文化の相互交流と発展に与えた影響は計り知れないものがあり、まさしく「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい業績といえる。