贈賞理由
アピチャッポン・ウィーラセタクン氏は、制作・監督のみならず脚本・編集までを自ら行う気鋭の映画作家として、世界の映画界に大きな旋風を巻き起こしている。鬱蒼たる森を舞台に据え、民話や伝説に基づく物語のなかに個人的な記憶や前世のエピソード、時事問題に対する言及などを挿入する斬新な映像話法を用いた作品群は、国際的に高く評価されている。
1970年バンコクに生まれ、タイ東北部のコーンケン県で育ったアピチャッポン氏は、コーンケン大学で建築学を学んだのちに渡米し、1997年にシカゴ美術館附属美術大学大学院(SAIC)で美術部門(映画制作)の修士号を取得した。在学中より実験的な短編作品を次々と発表し、帰国後の1999年に自らの制作プロダクション「キック・ザ・マシーン」を設立して本格的に映画制作を開始した。
2000年の長編第1作『真昼の不思議な物体』は、旅の途上でカメラを向けた人々に「不思議な物体」の物語をリレー式に語り継がせるという、従来の脚本や監督の概念を覆す手法で注目された。ミャンマー人移民労働者の青年とタイ人女性が森の中で交流する第2作『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)でカンヌ映画祭の「ある視点」部門賞を受賞、さらに若い兵士が前世で人間だったという虎と密林で遭遇する『トロピカル・マラディ』(2004)で同審査員賞を受賞した。
そして2010年に『ブンミおじさんの森』で、タイ人初となるカンヌ映画祭最高賞(パルム・ドール)を受賞。深い森に住む死期の迫った主人公ブンミのもとに、亡くなった妻や猿に変身した息子が現れるという独特の死生観・人間観に満ち、かつて民主化運動の弾圧に加わったブンミの記憶や前世の逸話も挿入される本作は、デビュー以来10年の歩みが集成された代表作となり、日本でも一般公開されて人気を博した。
アピチャッポン氏は、映画制作と並行して1998年以来、美術の分野でも映像インスタレーションを中心に旺盛な創作活動を繰り広げており、近年の「プリミティブ・プロジェクト」では、映像インスタレーション、長編映画、プロジェクトの世界観を示した美術図書など、アートの諸領域を横断する複合的な創作を行っている。『ブンミおじさんの森』も同プロジェクトの一部に位置付けられている。
このようにアピチャッポン・ウィーラセタクン氏は、斬新な映像表現を生み出す若い世代の旗手として世界の映画界に大きな刺激を与え、ジャンルにとらわれない多彩な創作活動を展開している。その業績は、まさに「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい。
タイ語の発音に最も近いカタカナ表記は「アピチャートポン・ウィーラセータクン」ですが、代表作『ブンミおじさんの森』の公式HPをはじめとして、「アピチャッポン・ウィーラセタクン」の表記がすでに広く用いられているため、福岡アジア文化賞では「アピチャッポン・ウィーラセタクン」を採用しています。