贈賞理由
王賡武氏は、アジアを代表する歴史学者であり、国際的な知的リーダーとし名高い。
同氏はインドネシアで生を受け、マレーシアで育ち、中国、シンガポール、英国で高等教育を受け、若年にしてマラヤ大学教授におされた。その初期の業績は、南洋華人の植民史、南海貿易、明朝と東南アジア特にマラッカ王朝との関係について独創的な解釈を示したことである。東南アジアの歴史学者が、内側からの視点に立って東南アジアの歴史を世に問う先鞭をつけたといえる。マレーシアで歴史学者としての地位を不動のものとしたばかりでなく、マラヤ大学を歴史学研究の国際的な拠点にすることに努力し、学界を指導し、後進を育成する上で大きな成果をあげた。
1968年、オーストラリア国立大学の極東史の教授に招かれ、同地に移住した後は、ナショナリズム、エリートについての鋭い考察を次々と発表し、中国と東南アジアの関係をより広い視野から歴史的に解明することに重点が移っていく。この時期、歴史学者としての幅広い地域を対象とした政治的国際関係に関する発言は、様々な示唆に富み、注目に値するものであった。また、同大学の権威ある太平洋研究学院長、オーストラリア・アジア研究学会長やオーストラリア人文アカデミー院長という重職をこなし、アジア太平洋研究の国際的な発展に多大の貢献をなした。
1986年、香港大学の学長に就任した後も、特に急激な社会変動の中での歴史的継続性ということに注意しながら、従来からの関心事である華人問題、アイデンティティ、国際関係について重要な論稿を発表している。学問的な貢献にもまして、その国際的な活躍は目覚ましく、爽やかな人となり、温厚でシャープな人柄とあいまって、相対立する人々、葛藤する文化の間の橋渡し役として、洋の東西を問わず深い信頼を寄せられ、いまや現代のアジアにとってなくてはならない知性の代表者として目されている。
このように、アジアの知性としての王賡武氏の学問的な業績は、アジアの歴史学界に燦として輝き、後世の道標となるものであり、まさしく「福岡アジア文化賞-学術研究賞・国際部門」に相応しい業績といえる。