歴史における記憶と忘却:日本とフィリピンの関係から考える
開催日時
2016年9月18日(日)/11:00~13:00(開場/10:30)
会場等
アクロス福岡地下2階イベントホール(外部リンク)
参加者
200名

フィリピンは、アジア太平洋戦争の激戦地となり、日本兵・軍属は約50万、フィリピン側は110万人を超える犠牲者を出しました。戦争の災禍を越えて、今、両国の関係は良好です。戦争をはさんだ長い交流を振り返り、未来に向けた歴史の語り方・伝え方を考えます。

コメンテーターの藤原氏
会場の様子
コーディネーターの清水氏

第1部:アンベス・R・オカンポ氏による基調講演

“過去の何を記憶し、何を忘れるのか。未来に向けた歴史のとらえ方を提議する”

アンベス・R・オカンポ氏による基調講演の写真

この受賞を機にこれまでの人生を振り返り、歴史家になった理由、過去が現在と未来にとって必要な理由を考えました。皆さん、歴史学は自分に必要ないものとお考えでしょうが、我々が未来に向かううえで歴史は非常に重要なものです。私は子どものころ、1970年の大阪万博でフィリピンのパビリオンや、他の国旗に並んではためくフィリピン国旗を見て心躍ったことを覚えています。万博は、私の目を世界の文化の多様性や国のアイデンティティーへと向けてくれました。

私は幼少期にフィリピンで『隠密剣士』を見ましたし、私の伯父は親日家でした。しかし、日本の占領下で日本軍に身内を殺されたフィリピン人もいて、世代により日本観は違います。日本人は原爆投下を被爆者として覚えているでしょう。しかし、東南アジアでの日本軍の行動は言及されず、互いの記憶にギャップがあります。

日本とフィリピンの歴史をもっと遡ると、16世紀末には既にフィリピンに1000人超の日本人が住み、交易商人、職人、ボディーガードなどをしていました。また、ルソン壺、キリシタン大名の高山右近、日本に滞在したマリアノ・ポンセやアルテミオ・リカルテといった歴史上の人物の例が示すように、様々なレベルで深いつながりがあります。

役に立たないちょっとした情報も集めることによって、私たちはもっと歴史的なつながりを理解し、洞察を生むことになると思います。歴史の何を記憶し、なぜそれを記憶するのか。私たちは過去の記憶によって現在を理解し、未来について考えをめぐらすことができます。最後にフィリピンの国 民的英雄ホセ・リサールの言葉を紹介します。「過去の記憶を持って未来へ向かっていこう」。

第2部:パネルディスカッション

“反日感情を乗り越えて交流が続く二国間に必要なものとは”

藤原氏は、マルコス政権が倒れて間もない1989年、学会でオカンポ氏が人柄や服といったトリビアの詰め合わせのような独自の視点から国民的英雄ホセ・リサールを語る姿に驚いた、と第一印象を披露。過去を空想する ことを拒み、歴史の姿を捉えることに努めてきた、と氏について語りました。 質疑応答では、戦後の反日感情を乗り越えて日比関係が友好的になっている理由、ドゥテルテ大統領の反米的な発言の背景、日本とフィリピンがよ い関係を築いていくために気をつけたらよいこと、という会場からの質問にオカンポ氏は穏やかに語りかけていきました。藤原氏は、オカンポ氏のように「なぜだろう?」「知りたい」という好奇心を持ち相手のことを知ることが我々の将来を作っていく土台になるのだろう、と締めくくりました。

パネルディスカッションの様子

2016年 市民フォーラムレポート