プラープダー・ユン氏による市民フォーラム
開催日時
2021年10月2日(土)
会場等
福岡市総合図書館映像ホール・シネラ、 オンライン(LIVE)配信(YouTubeライブ配信)
共催
福岡市総合図書館/映像ホール・シネラ実行委員会

プレイベント 映画上映

©2003 bohemian films, Inc.

『地球で最後のふたり』LAST LIFE IN THE UNIVERSE

2003年/タイ・日本・オランダ・フランス・シンガポール/107分/35mm 

監督・脚本:ペンエーグ・ラッタナルアーン  脚本:プラープダー・ユン

 

タイのリゾート地を舞台に、互いの兄弟の死をきっかけに出会った国籍の異なるふたりが、つたない言葉を交わし、心を近づけていく過程を描いた静謐なラブストーリー。主演は、本作でベネチア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞に輝いた浅野忠信。ほか、出演者にシニター・プンヤサック、松重豊など。

 

第一部 講演・対談

タイ作家が表象した日本と日本人

 講演冒頭でプラープダー氏は「私は現代日本文化とともに育った世代のタイ人である」と切り出し、日本のポップカルチャーが多くのタイ人に影響を与えていると語りました。欧米でも多くの芸術家が日本の芸術・文化にインスピレーションを受けていると知った氏は、そうした経験から近代及び伝統的な日本の美に導かれ、日本文化への傾倒によって自身のアジア人としてのルーツを見出したといいます。
 
 続いて芸術・文化のプロパガンダ的要素に言及したプラープダー氏。芸術・文化の世界的広がりには何らかの政治・経済的図があるとしながらも、プロパガンダは人の心を完全に形作ることはできないと説きました。ここで氏は、かつて美術教師から「美しく見えるのであれば、間違いもそのままにしなさい」と教えられ、その間違いを『ハッピーアクシデント』と言われたエピソードを紹介。芸術がときに『ハッピーアクシデント』を引き起こし、異文化の影響が芸術の目的やプロパガンダを越えて、『可能性の窓』を開けるということを示唆しました。

 さらに、新型コロナウイルスによる未曽有の経験が、私たちに様々な啓示や気付きを与えているというプラープダー氏。芸術が職業としてだけでは存在できないこと、特定の人たちだけの活動でも機能しないことに気付いた氏は、芸術を一般大衆と結びついた社会的行為であると称しました。そして、このコロナ禍を人生について考える良い機会と捉え、願わくはもう少し生活に芸術を取り入れてほしい、自国の文化を誇りにしつつ他の文化にもオープンであってほしいと語り、講演を締めくくりました。

 講演の後は、宇戸氏・久保田氏(福岡会場)と画面越しの対談。プレイベントで上映した映画の話題を中心に、当時のタイの社会背景、日本や日本人のイメージ等について質疑が交わされました。このうち、映画の主人公たちの設定(言葉の壁)について問われると、氏は「意思さえあれば、言葉の障壁を超えられることを示したかった」と答えました。
 
 プラープダー氏の視点から見た、日本と日本人、芸術の意義、そして異文化に接するということ。第一部は、これらの氏の考えに触れると同時に、氏の思慮深さ、繊細さや表現の奥深さにも強く惹きつけられた時間となりました。

コーディネーター 宇戸清治(東京外国語大学名誉教授)
対談者 久保田裕子(福岡教育大学教授)

第二部 文学講座

世界文学としてのタイ文学

コーディネーター 福冨渉(株式会社ゲンロン所属)

 初めに福冨氏(オンライン出演)が、プラープダー氏作品の特徴やテーマについて紹介。続いて氏を中心に、事前に寄せられた参加者の質問に回答しつつ、作品の内容を掘り下げながら、氏が捉えている日本文化の独自性等について活発な意見が交わされました。

 話が盛り上がる中、宇戸氏が「真の旅人として、タイ文化に衝撃を与え続けてほしい」とプラープダー氏に提案すると、氏は「私はまさに旅人。今の仕事に満足していないし、今後も創作活動をより良くするために新たな可能性を探索し続けたい」と今後の活動についても言及。久保田氏からは、プラープダー氏のように小説にとどまらず映画・映像へと文学が横断的に表現されることが世界文学としての在り方ではないかと語られました。

対談の様子