贈賞理由

アン・ホイ氏は、現代の香港映画を代表する監督である。特にアジアの女性監督のパイオニアとしての功績は大きく、手がけるテーマの社会性、ジャンルの幅広さ、優れた演出力などの点で圧倒的な実績を残しており、世界の映画界の最も重要な人物のひとりである。

アン・ホイ氏(本名:許鞍華)は1947年、中国・遼寧省鞍山で、中国人の父と日本人の母との間に生まれ、幼少時に香港に移住した。香港大学を卒業後、英国にて2年間の映画専門教育を受けて香港に戻った。その後、武侠映画の巨匠キン・フー(胡金銓)監督の助監督を務めるとともに、テレビ・ディレクターとして数々のドキュメンタリーやドラマを手がけた。1979年に『瘋劫(ふうきょう)』(英題:ザ・シークレット)で映画監督としてデビュー。ツイ・ハーク(徐克)、パトリック・タム(譚家明)らの新鋭とともに“香港新浪潮”(香港ニューウェーブ)の旗手として創作活動を開始した。香港新浪潮は、ほぼ同時期に東アジア各地で巻き起こったニューウェーブとも呼応しあい、アジアの映画、ひいてはアジアの芸術・文化の興隆を世界に向かって強く発信することとなった。

アン・ホイ氏の作風は、第一に、ベトナム難民をはじめとする時事的な話題から高齢者の孤独、認知症、ジェンダーまで、つねに“いま”を強く意識した題材を取り上げる点に大きな特徴がある。とくに越境、流浪、故郷喪失といった、香港人にとって極めて切実なテーマが、多くの作品のなかで中心的な位置を占めている。『客途秋恨(きゃくとしゅうこん)』では、越境と故郷喪失のテーマを自らの切実な物語として語っている。

第二に、ホラー、コメディー、歴史叙事詩からラブストーリー、ホームドラマまで、特定のジャンルに固執せずに横断する幅の広さに特筆すべき特徴がある。実験的な映像表現を用いたホラー映画であるデビュー作『瘋劫(ふうきょう)』から、自らと同世代の中高年女性に焦点を当て、その日常生活を淡々と見すえた『おばさんのポストモダン生活』などの近作まで、どの作品においても高水準の演出力を発揮して豊かな感受性を体現するとともに、幅広い観客層から支持される平易な語り口と娯楽性を保っており、その点が卓越した才能の証左となっている。

このようにアン・ホイ氏は1980年代から今日に至る香港映画の発展に多大な貢献をしてきたが、その作品は社会的な問題に鋭く踏み込み、内容の普遍性とそれを支える演出力の両面で、世界の映画人のなかでも特に高い評価を受けており、まさに「福岡アジア文化賞―大賞」にふさわしい。