贈賞理由

チェン・ポン氏はカンボジアを代表する劇作家であり、また古典芸術研究の教授である。同時に脚本家・演出家・喜劇役者も兼ね、伝統文化再活性化の主唱者でもある。1975年からのカンボジアでは伝統文化が否定され、それまでの村落社会が破壊されたが、同氏はこれら村落を伝統文化の面から再構築する活動を推進し、悲惨な体験を受けた心病める人々を勇気づける精神復興を提唱、さらに有形・無形の文化財の保存修復のための人材養成に尽力してきた。

チェン・ポン氏は1930年コンポンチャム州に生まれ、苦学して1955年国立師範学校を卒業、中国留学後は、若くしてプノンペン王立芸術大学教授、クメール芸術家協会会長、国立演劇学校校長などの要職を歴任した。1970年には大阪万博にカンボジア舞踊団を率いて来日。1975年以降のポル・ポト政権下では、コンポントム州の集団農場で強制労働に従事させられた。ポル・ポト時代が過ぎ去った後、国内混乱で孤児となった子供たちを収容する芸術学校を開き、村落へ戻った楽士・舞踊士・影絵芝居伝承者などを集め、伝統民俗芸能者を育成する体制の確立に寄与してきた。さらに文化情報大臣に就任してからは、カンボジアの有形・無形文化財の保存を推進するプノンペン芸術大学(旧王立芸大)を1989年に再開。特に考古・建築の両学部の再開を通じて、アンコール遺跡の保存修復を行う若い専門家の指導育成に大きく貢献した。

チェン・ポン氏は1992年に政治から引退後、私財を投じてプノンペン市近郊の自宅にクメール精神文化研究所を創設した。現在、クメール的道徳と精神など目に見えない内発的価値を復活させ、瞑想によって汚れた精神や病んだ心を癒し清めようとする実践活動を行っている。同氏はこうした活動を通じてアジアの中におけるカンボジア文化の独自性を明らかにしようとする壮大なスケールの思想家であり、実践者でもある。

1993年、チェン・ポン氏率いるカンボジア影絵芝居と古典舞踊団のニューヨーク公演はカンボジア再生をアピールする意味で好評を博した。また国際交流基金の「アンコール遺跡シンポ」などの国際会議においても、同氏は「カンボジアの文化復興はカンボジア人の精神復興である」と唱えて、出席者に大きな感銘を与え、高い評価を受けてきた。また、同氏が民間伝承の民話や村踊りなどに基づき創作劇脚本を書き下ろし、各地で上演していることも特筆すべき貢献である。特に著作・公演・対話を通じてクメール的価値の再発掘に尽くした功績は大きい。

このようにチェン・ポン氏の業績は、カンボジアにおける伝統文化および古典芸術に現代的普遍性を付与し、アジアの伝統文化の保存を継承し、理論的実践的枠組みを提示・集成したものと高く評価できるものであり、まさに「福岡アジア文化賞-大賞」にふさわしい優れた功績といえる。