贈賞理由
白永瑞氏は、韓国を代表する中国現代史研究者であり、国境を横断して、民衆や市民の視座から「東アジア言説」の展開を主導する思想家でもある。
白氏は、1953年韓国仁川に生まれた。1981年にソウル大学校東洋史学科卒業後、ソウル大学校で文学博士号(東洋史)を取得、翰林大学校を経て1998年から2018年まで延世大学校教授として、現代中国学会や中国近現代史学会の会長、延世大学校国学研究院院長などの要職を歴任するとともに、韓国の知的世界に重大な影響を及ぼした、文学と社会評論を包括する雑誌である季刊『創作と批評』の編集主幹を担うなど、中国研究のみならず社会科学・人文科学における指導的な役割を担った。その間、ハーバード大学、台湾中央研究院、名古屋大学、九州大学などでの在外研究にも取り組む。
1911年の辛亥革命から1919年の五・四運動を経て国民革命として展開された「国民会議運動」に焦点を当て、それを支える学生運動に現れた大学文化を「社会変革的自我」の形成というレンズを通して究明したのが、白氏の博士論文に基づく『中國現代大學文化研究』(1994年)である。本書には、1970年代から80年代にかけて韓国の民主化に貢献した学生運動に深く関わった氏の問題意識が反映されている。1992年まで中国と国交がなかったため、蓄積が少なかった韓国における中国研究の第二世代リーダーとして、韓国の視点を活かしながら日中台における研究に匹敵するまで、その研究水準を引き上げるのに寄与した学術的功績は大きい。
そして、白氏の真価が最も発揮されたのが、氏の歴史研究に立脚して、日中台などの思想界を巻き込んで「東アジア言説」をめぐる議論を主導したことである。『共生への道と核心現場』(2016年)や『東アジア言説の系譜と未来:代案体制の道』(2022年)に表れた、氏の主張の核心は「実践的課題としての東アジア」である。不断の自己省察に立脚しつつ「東アジア人」としてのアイデンティティを模索する知的かつ実践的な過程として、「近代に適応しながらも近代を克服する」という二重の課題を担う東アジアを位置づける。しかも、政府や国家の関係としてではなく、民衆や市民が生活する「核心現場」の視点から東アジアを考察し、構想しようとする思想的な営為である。氏の主要著作は日中台でも広く翻訳され、知識人などの共感を獲得してきた。
米中対立の激化や北朝鮮の核開発などに起因して地域の緊張が高まる中、日韓関係が大きく変容する過程で歴史問題などが顕在化する。東アジア人としての白永瑞氏の思想的営為は、こうした困難な諸問題に取り組むための重要な指針を示しているという点で、まさに「福岡アジア文化賞 学術研究賞」にふさわしい。