贈賞理由

タシ・ノルブ氏は、ブータンの民間人としては初めて、音楽を中心に伝統文化の保存と継承に取り組んでいるパイオニアである。

ヒマラヤに位置する人口約70万人の王国・ブータンは、チベット仏教とともに古くからの伝統文化を育んできた。国は政策としてその伝統文化や自然環境を保つ努力をしているが、グローバリゼーションの波は徐々にブータン社会にも押し寄せ、人々の営みとして伝承される音楽についても、大きな影響を与えつつある。

音楽家・舞踊家である父のもとでブータン伝統音楽への深い関心を持っていたタシ・ノルブ氏は、外国音楽の強い影響を受けて伝統音楽が消えていくという危機感の中で、1987年にブータンで初めて、民間の伝統音楽グループ「タシ・ネンチャ」を結成した。当時、民族音楽・舞踊の保存と発展のため、王立の舞踊団は既に存在していたが、ブータンにおいて、このような目的のため個人がグループを結成して活動するということは、非常に画期的なできごとであった。

1990年代、「リグサー(流行歌)」が大衆に人気を博す音楽情況の中、タシ・ノルブ氏は一貫して伝統音楽の保存の重要性を説き、「タシ・ネンチャ」のディレクターとして、若い世代に継承する独自の活動を精力的に続けてきた。ブータンの伝統音楽において歌と踊りは不可分であるため、同氏は1995年から舞踊も同グループの活動に取り込んだ。ブータン中部地域を中心に、それまでブータン国内においては記録されてこなかった音楽や舞踊を保存するために、できうる限り厳密に再現する努力を続けている。また、伝統を保持しながらもその音楽性を高めるため、楽器の改良を試みるなど、伝統音楽の発展にも力を注いでいる。

また「タシ・ネンチャ」を率いて数度の海外公演を行い、ブータン伝統音楽、ひいてはブータン文化の特色を世界に発信し、民間の文化使節的役割も果たしている。さらにタシ・ノルブ氏は、ブータン人自身の手による初めてのドキュメンタリー『ブータンの民族音楽』を撮影するなど、映像作品による文化の記録・保存にも大きく貢献している。

現代文明の潮流の中で、急速に変容しつつある伝統音楽を守り継承する努力を、民間にあって情熱的に続けているタシ・ノルブ氏の活動は、「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい。