贈賞理由
厲以寧氏は、中国を代表する経済学者で、1980年代以来の中国の経済発展をもたらした改革を理論的に先導してきた。
厲氏は北京大学経済学部を卒業後、若手の経済学者として嘱望されはじめた1957年の反右派闘争中に右派分子として批判され、文化大革命期(1966-76年)には農村に下放される苦難を経験した。しかし1978年に名誉を回復され、始まったばかりの経済改革に対する大胆な理論的提言で注目されるようになった。
厲氏の経済改革への理論的貢献は、なによりもまず経済改革のカギが所有制の改革にあり、そのゴールが国営企業の株式化にあることを提起した点にある。1980年代半ばまで、経済体制改革については価格改革優先論が主流であったが、同氏は所有制改革優先論を掲げて、「価格改革は企業にとって競争環境をつくるにすぎず、所有制改革こそが利益、責任、刺激、発展の推進力に係わる問題を解決する」と主張した。この主張の正しさは、1988年に、急ぎすぎた価格改革が深刻なインフレをもたらし、経済改革自体を危機に陥れたことによって立証された。そして優先すべき所有制改革の目的は、損益に責任をもつ企業の創出にあるとし、そのために損益責任があいまいな国営企業の改革を「株式化」によって推進することを主張した。そのため同氏は「厲股○(人ベンに分)」(リーグーフェン/株式の厲)とも呼ばれた。こうした同氏の所有制改革の理論と政策提言は、現実の中国経済の改革と成長に大きく貢献し、国際的にも高く評価された。
厲氏は中国の国会にあたる全国人民代表大会の中枢機関である常務委員会の委員や諮問機関の政治協商会議全国委員会委員など数多くの要職を歴任し、財政経済政策の立案にも関与してきた。また、北京大学に創設された中国でトップレベルのビジネススクールである光華管理学院の院長を長く務めて、若手の経営者、経済テクノクラートや経済学者など、産官学にわたる数多くの人材を育成している。さらには日中友好21世紀委員会の中国側委員や中日関係史学会会長なども歴任し、日中両国の友好関係の発展にも貢献している。
中国経済の発展は21世紀の世界、特に日本を含めたアジア地域の経済にますます大きな影響を及ぼすとともに、継続的な発展への新たな挑戦とも言われる。厲氏の研究実績と幅広い活動は、その中国経済の発展に理論的道筋を与えたものであり、まさしく「福岡アジア文化賞―学術研究賞」にふさわしいといえる。