贈賞理由

中根千枝氏は、日本を代表する社会人類学者である。

少女時代、中国大陸で生活したことによりアジアに関心を持つようになった同氏は、探検家ヘディン等の著書に触れ、民族研究を志すようになった。津田塾大学を経て、東京大学に進み、中国とチベットを中心に東洋史学を学んだ同氏は、1952年同大学院終了後、東京大学東洋文化研究所に助手として入所する。

1953年から3年間インドに滞在、アッサム地方でのフィールド・ワークに携わる。その豊富な調査結果を携えて渡欧し、ロンドン大学で社会人類学を修め、ローマではチベット学権威のトゥッチ教授にチベット学を学んだ。これらのフィールド・ワークに基づいて描いた『未開の顔・文明の顔』(1959)は、人々の異文化への関心を高めるとともに、世界的なスケールで調査と理論化を結び付けようとしたたくましい行動力が話題を呼んだ。

その後、研究はアジア全域にわたり、豊富な調査に基づいた洞察と説得力のある理論によってアジア諸民族の社会的特質をとらえ、日本における社会人類学の研究を飛躍的に進展させた。母系社会論、家族構造論、社会構造論は、同氏の代表的な研究分野であり、中でも著書『タテ社会の人間関係』(1967年)は、日本社会の本質を抽出したものとして高く評価され、その英語版“Japanese Society”は、英国で出版されたのを皮切りに米国、フランス、中国等世界各地で翻訳、紹介された。「タテ社会」という用語を一般化させるほど影響力の大きかったこの著書は、単なる日本論ではなく、広くアジア地域の社会構造に関する実証的比較研究の一環として書かれ、学界に金字塔を打ち建てたといえる。そして、研究者のみならず同氏の名を広く知らしめることとなった。

また、東京大学東洋文化研究所所長も務めた同氏は、その幅広い人脈と組織力を発揮して多くの研究プロジェクトを生み、数多くの若い研究者を育成した。一方で国際人類学・民族学連合の副会長を10年にわたって務める等、国際会議での活躍もめざましく、その高い国際性には定評のあるところである。

このように、中根千枝氏の学術研究における輝かしい功績は、人々のアジアの諸社会に対する理解に大きく貢献をなしたと評価できるものであり、まさしく「福岡アジア文化賞学術研究賞・国内部門」に相応しい業績といえる。