贈賞理由

スパトラディット・ディッサクン氏は、タイ国の優れた考古学・美術史学者であり、同国を代表する人文科学の国際的知識人として知られている。

同氏はタイ歴史学の父といわれるダムロン親王の子息としてバンコクに生まれた。名門のチュラーロンコーン大学を卒業後、文部省芸術局に入る。父の影響もあって、はやくから国内各地の寺院・大小の遺跡・考古趾などに放置されたタイの文化財に関心を抱いていた同氏は、考古・美術等の専門研究を深め、文化財等の保存修復事例を学ぶためにヨーロッパへ留学、パリのルーブル宮学校でキュレータの資格を取得し、ロンドン大学考古学研究所で方法論を修めた。帰国後、タイ国内の考古学・美術史学の調査・研究を科学的手法により推進し、多くの研究成果を上げると同時に文化財の救済に積極的に取り組んできたのである。こうした実績に基づき、1964年にシンラパーコーン大学の考古学部教授に就任、研究指導の先頭に立った同氏は、同大の考古学部部長・大学院研究科長・学長等の職責をまっとうし、後進の育成に心血を注いできた。さらに国内各地の考古学資料・文化財等を保存・公開するための国立博物館の設立に尽力し、地域文化の振興に大きく寄与した。

学術研究では歴史の当事者であるタイ人の立場から考古学・美術史学の学問的確立に努め、特にタイ美術の時代区分および東北タイのクメール系遺跡の再評価を確定した。タイ人自身による研究成果は注目を浴び、同氏はタイ人文化史の厳密な学問的再評価を東南アジア研究のなかに位置づけた最初の学者となった。『タイ国の美術』や『スコータイ美術』など多くのオリジナルな学術業績は国際的に高い評価を受けており、1983年第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議では基調講演を行い、東南アジアを代表する考古学・美術研究の第一人者としてその地位を確固なものとしている。

1978年からは東南アジア文部大臣機構の考古学・美術研究センター所長として、東南アジア各国の伝統文化の保存のために多くのセミナーやワークショップを精力的に組織し、各国の遺跡から伝統音楽までの文化財等を扱う専門家の養成に努めてきた。多くの人材養成と地域ネットワーク作りは、ユネスコなどの国際機関からも高い評価を受けてきた。

このようにスパトラディット・ディッサクン氏は東南アジア人の価値観に立脚して、東南アジア考古学・美術研究を世界史の文脈のなかに位置づけ、固有の文化とその多様性を科学的手法により証明し、東南アジア研究を国際レヴェルにまで高めたその輝かしい功績は、人々の東南アジアに対する学術的理解に大きく貢献したと評価できるものであり、まさしく「福岡アジア文化賞-大賞」にふさわしい業績といえる。