2019年(第30回)福岡アジア文化賞授賞式
開催日時
2019年9月10日(火)/18:30~20:00
会場等
福岡国際会議場 3F メインホール(福岡市博多区石城町2-1)(外部リンク)

 歴代受賞者の紹介映像が大きなスクリーンに映し出され、幕を開けた第30回福岡アジア文化賞授賞式。会場である福岡国際会議場メインホールには、秋篠宮皇嗣同妃両殿下ご臨席のもと、各国ご来賓や各界関係者、アジア文化の発展に多大な貢献をした受賞者を祝おうと多くの福岡市民が一堂に会しました。

 大きな拍手に迎えられ受賞者がステージに登場。まず初めに主催者代表である高島宗一郎福岡市長が登壇し、この賞を福岡市の交流と多様性を支える都市の財産として後世へ引き継いでいくことができるよう取り組みたいと挨拶しました。続いて秋篠宮皇嗣殿下よりお祝いのおことばを賜り、審査委員長の久保千春九州大学総長による選考経過報告を経て、高島市長と藤永憲一福岡よかトピア国際交流財団理事長より賞状とメダルが授与されました。最後に福岡インターナショナルスクールの子ども達からお祝いの花束を贈られると、厳かな雰囲気から一転、受賞者にも観客にも笑みがこぼれ、会場はお祝いムードに包まれました。

 第2部はサンドアーティスト伊藤花りん氏による祝賀パフォーマンスで開幕。受賞者による喜びのスピーチが行われた後は、インタビューの場も設けられました。

 最後に結城座十二代目結城孫三郎氏による伝統芸能「江戸糸あやつり人形」が特別披露されました。うち一つは受賞者の佐藤信氏が構成・演出、モデルの故・山口小夜子氏が人形デザインを手掛けた演目。和紙製の美しい人形が、まるで生きているかのように動き出す姿に会場中が引き込まれ、佐藤氏演出の世界へと誘われました。

 一段と華やかで感動的な雰囲気に包まれながら、第30回という節目にふさわしい授賞式は、幕を閉じました。

高島福岡市長による主催者代表挨拶
久保九州大学総長による選考経過の報告
サンド アーティスト 伊藤花りん

秋篠宮皇嗣殿下おことば

 本日、第30回福岡アジア文化賞の授賞式が開催されるにあたり、大賞を受賞されるランドルフ・ダビッド氏、学術研究賞を受賞されるレオナルド・ブリュッセイ氏、そして芸術・文化賞を受賞される佐藤信氏に心からお祝いを申し上げます。

 また、本賞がこのたび30回の節目を迎えられたことは誠に喜ばしく、これまで市民とともに本賞の発展に力を尽くしてこられた福岡市をはじめ、多くの関係者に深く敬意を表します。

 市と学界、民間が一体となって創設したこの「福岡アジア文化賞」は、古くからアジア各地で受け継がれている多様な文化を尊重し、その保存と継承に貢献するとともに、新たな文化の創造、そしてアジアに関わる学術研究に寄与することを目的として、それらに功績のあった方々を顕彰するものであり、創設以来、アジアの文化とその価値を世界に示していく上で、顕著な役割を果たしてこられました。これまでの輝かしい受賞者の方々には、アジア地域のみならず、世界各地で活躍しておられる方が多数おられます。

 私自身、アジアの国々をたびたび訪れ、多様な風土が作り出し、長い期間にわたって育まれてきた各地固有の歴史や言語、民俗、芸術など、文化の深さや豊かさに思いを馳せ、それらの保存・継承、更なる発展の大切さと、アジアを深く理解するための学術の重要性を強く感じてまいりました。その意味で、本賞は大変意義の深いものと認識しております。

 私は先月、家族でブータンを訪問いたしました。その間のごく限られた範囲での見聞ではありますが、訪れた場所によっては約2000メートルの標高差があり、そのような自然環境を背景にした文化の違いに関心を抱き、このような視点も含め、アジアの文化の多様性を考えていくことが重要であるとも思いました。

 本日受賞される3名の方々の優れた業績は、アジアのみならず広く世界に向けてその意義を示し、また社会全体でこれらを共有することによって、次の世代へと引き継ぐ人類の貴重な財産になると考えます。

 終わりに、受賞される皆様に改めて祝意を表しますとともに、この福岡アジア文化賞を通じて、アジア諸地域に対する理解、そして国際社会の平和と友好がいっそう促進されていくことを祈念し、授賞式に寄せる言葉といたします。

結城座十二代目 結城孫三郎 演目「獅子舞」「『夢の浮橋 ~人形たちとの源氏物語』より夕顔」

大賞受賞者によるスピーチ

 秋篠宮皇嗣同妃両殿下、ご来賓の皆様、市民の皆様、関係者の皆様、心より感謝申し上げます。この賞は個人の業績もさることながら、時代を超えた普遍的なもの―友情、協調、連帯、多様性における寛容の価値を称える賞という想いを強くしています。こうした理想があるからこそ、様々な国の市民である私達を駆り立て、最上のアジア文化の創造、発展、保存を称えるべく、この福岡という歴史的・国際的都市に毎年集わせているのです。私はこの自らの声を冷静に主張するコミュニティの一員になることを、心から光栄に思っています。

 私は太平洋戦争の終結から数ヶ月後に生まれました。私の両親は戦争の傷あとを子孫に受け継ぐことを良しとはしませんでした。もちろん戦争中の、信頼を失うような行いも聞いていましたが、敵味方双方を個人で見てみると、思いやりと誠実に満ちた行いが多かったことも知らされていました。私の日本の友人・鶴見良行氏を両親に会わせた時、母は日本語で挨拶して彼を歓迎しました。この母の振る舞いで、戦争の記憶がぬぐい去られたかのように、2人はお互いを人と人として共感し合うことができました。

 この美しい国を訪れるようになって40年。友情を通じてお互いの中に称賛すべき多くのものを見出しました。道義心、約束を守ること、敬意、寛大さ、思いやり、奉仕といったものです。これらの価値はあらゆる文化の中に存在し、日常の営みに意味を与えます。これらのおかげで私達は、人種や民族といった偶然の賜物から生じる小さな違いに埋没せずにいられます。人の友情と協調という不朽の価値が、人間の文明を破壊から救うのだと私は思いたいのです。

 平和を愛する全てのフィリピン人の名においてこの賞を受け、妻と分かち合わせていただきたいと思います。5月に他界した妻にこの賞を捧げます。

学術研究賞受賞者によるスピーチ

 日本列島の中でも九州は太古から世界に最も開かれた島でした。海は大陸を隔てるものですが、同時に大陸は海で繋がっています。孔子曰く「四海之内皆兄弟也」、つまり4つの海の中では全ての人が兄弟です。

 私は人生の大半をアジアの海域史と貿易の歴史研究に捧げてきました。この栄誉を賜るのに、“博多”という、いにしえの名高い港ほど相応しい場所はないと思います。

 学生だった頃、幸運にも台湾、日本、中国の人類学、歴史学の第一人者から親身な教育を受けることができました。後に教鞭をとるようになった時、恩返しをしたいと思い、アジア全域からやってくる留学生を迎えました。その後、学生の多くが大学の教員や教授となり、今では私の大切な研究仲間となっています。

 この賞を昔も今も親身に私のことを気にかけてくれているアジアの研究者の方々に捧げたいと思います。

 私生活でも教授としても海外からの研究者や若い学生を支援しようと努めてまいりました。歴史の資料や個人的知識、分析技術に関する考えなどを共有してまいりました。こういった努力は極めて重要で、世界的に継続していかなければならないと思います。

 歴史研究というのは一次資料を批判的に評価する作業に基づくものです。今、国際社会は集団利益を偏重するアイデンティティの政治や国家主義的、宗教的なイデオロギーに脅かされています。しかし歴史研究は、これらに対する健全な解毒剤であり続けることを私は切に願っています。

芸術・文化賞受賞者によるスピーチ

 秋篠宮皇嗣同妃両殿下、髙島福岡市長、ご来賓の皆様、関係者の皆様、全ての福岡市民の皆様、第30回という記念の年に、この賞に名前を連ねる一人として迎えていただき、心からのお礼を申し上げます。

 ここ福岡の地は1970年代・80年代と20年間に渡り黒テントによる全国公演をとおして度々お世話になった懐かしい土地です。テント を張った舞鶴公園や西公園、お世話になった沢山の方々と夜と徹して語り合ったことなど想い出は尽きません。演劇表現という分野は、その時その場所にだけ成立して、終わると跡形もなく消えてしまう、いさぎよいとも儚いともいえるような特徴を持っております。ですから私や同じ道を歩む仲間達にとって、想い出はかけがえのない特別なものです。情報技術の発達によって、鮮明な映像や音声を手軽に記録でき、地球上の様々な人と瞬時にして共有できる時代を生きています。けれども、それらの情報は自分の体と五感を通して記憶し、折に触れて語り伝える想い出のようには人間の経験や感情の核心を捉え蘇らせることはできません。今、ここに存在する人間への信頼を唯一の拠り所として活動を続けてきた劇場人として、テント演劇で国内外120都市を巡った20年間、アジア各地の演劇人達と友情を育んだ40年間の数々の想い出の中に、かけがえのない一つが加わった喜びと感謝を、友人・仲間達と分かち合わせていただきたいと思います。

 新しい時代への架け橋としてのアジアにいち早く着目し、30年に渡りその価値の発見・継承・創造と人々の絆のための取り組みを続けてきた福岡市に深い尊敬の念を表させていただきます。

受賞者インタビュー

質問:福岡の印象はいかがですか?

ダビッド氏:初めて訪れたのは32年前でしたが多くは変わらず残っていますね。トイレは綺麗で、歩道や公園も広いです。今回、騎士の称号を日本からいただいた気分です。日本に来るときは毎回、このメダルを持ってきたいと思います。

質問:社会学の興味深いところは?

ダビッド氏:生命を持ったもののように社会を見ることができるところです。その中には色んな人が住んでいて、社会が複雑になればなるほど、その中の構造もしっかりと見る必要があります。人間の複雑さを見ていく、そして問題があれば解決していく学問であるとも言えますね。

質問:アジアの知的文化的交流と相互理解に向けて重要なことは?

ダビッド氏:福岡市が取り組んでいることそのものが重要だと思います。つまり国が違う人達が集まること、文化の多様性を取り込むことです。自分が持っている独自の文化を基にして他の文化を知ることで、戦争も避けられるのではないかと思います。

 

質問:子どもの頃から研究者を志していたのですか?

ブリュッセイ氏:そうでもないです。子どもの頃は乗組員や船長になりたかったです。

質問:ずっと海に興味があったのですね。

ブリュッセイ氏:もちろん。歴史に興味はなかったのですが、50年前、将来の世界はアジアの世界だと思いました。でも不幸だったことは、勉強し始めた頃に中国で文化革命が起こり中国に行けなかったことです。しかし台湾の先生に勧められ日本に来ることができました。

質問:研究生活の中で、最も嬉しかったことは?

ブリュッセイ氏:学生時代が一番良かったです。特に日本では面白い経験がありました。小さい村の住職や学生のアルバイトでエキストラもしました。 高倉健の映画にも出ました。いつも悪いアメリカ人の軍人の役でした。

質問:若者たちにアドバイスをお願いします。

ブリュッセイ氏:側の人に関心を持つこと、それだけです。

 

質問:演出家・劇作家を志したきっかけを教えてください。

佐藤氏:60年間何度も受ける質問なんですが、実は覚えがないんです。しいて言えば子どもの頃、きょうだいや友だちから僕と遊んでいると面白くないと言われたんです。おままごとで入り口を決めて違う所から入ると違うと言われてうるさいと怒られたんです。 多分それが始まりだと思います。

質問:この後特別披露される十二代目結城孫三郎様の演目の構成・演出を手掛けていらっしゃいますが、結城様とはどういったご関係ですか?

佐藤氏:結城座は300年の伝統がある劇団で、20代の頃からお父様である十代目に可愛がっていただきました。伝統的な団体には珍しく新しいことを意欲的に取り組んでいらっしゃって、お父様と一緒にマクベスや、色々な新しい演目の演出をさせていただきました。また孫三郎さんとは同い年で、演劇の中で一緒に悪いことをしようとする仲間の一人なんです。

 

インタビューに答える受賞者の皆さん