贈賞理由
コン・ナイ氏は、内戦とポル・ポト時代の弾圧を奇跡的に生き延び、今も活発に演奏・作曲活動を続けているカンボジアの伝説的吟遊詩人である。チャパイ・ダン・ヴァンという頸の長い弦楽器を弾きながら、古代インドの「ラーマーヤナ」に基づくカンボジアの一大叙事詩「リアムケー」の朗誦の他、日常の出来事、人々の感情、教訓、社会風刺までさまざまな事象を取り上げ、豊かな表現で謳いあげる。この音楽は、2016年にユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表」に登録され、カンボジア人だけでなく、世界の人々の心に深く響く優れた芸能として、価値が認識された。氏はその貴重な伝承者である。現在、その活躍の場は、カンボジア国内はもとより、イギリス、オーストラリア及びニュージーランド(以上、WOMAD 2007 - 08年)、日本(音の世界遺産「コン・ナイ」[2009年]、「障がいとアーツ」[2015年])、アメリカ(シーズン・オブ・カンボジア・フェスティバル[2013年])などへの出演にも広がっている。また、『A Cambodian Bard』(2006年)、『Mekong Delta Blues』(2007年)、『The Rough Guide to Psychedelic Cambodia』(2014年)などのCDによっても、多くの人にチャパイ弾き語りの魅力を発信している。2010年の世界人権デーでは、女性の権利を謳った新曲 「Woman」を披露した。
コン・ナイ氏は、1944年、カンボジア南部のカンポット州の小さな村で生まれた。4歳の時天然痘で失明し、13歳から叔父についてチャパイを習い始め、音楽家となった。無差別に大量虐殺が行われた1970年代後半のポル・ポト時代を奇跡的に生き延び、その後も内戦が続いたにもかかわらず、演奏活動に復帰した。1982年にチャパイのコンクールで優勝し、さらに地元カンポット州のコンクール、プノンペンのチャパイコンクール(1991年)でも優勝し、1991年から2007年にかけて母国の平和構築と文化復興のために文化芸術省の職員としてチャパイの演奏に従事した。2001年には文化芸術省によって「チャパイ・マスター」(日本の人間国宝に相当)に認定され、NPO団体カンボジアン・リビング・アーツの支援によるプログラムなどで次世代のチャパイ奏者の育成に取り組んできた(2003 - 12年)。
チャパイ弾き語りによく似た芸能として、日本には盲僧琵琶や平家琵琶の伝統があるが、旋律、歌詞両面において、チャパイ音楽の方が即興性が高い。民衆を飽きさせないため、当意即妙に歌詞を替えたり旋律を変奏するのである。そのためには作詞のための教養と知性や卓越した音楽性と技術が求められる。コン・ナイ氏の最近の活動には、ロックとの共演(プノンペン、世界人権デー 2010のイベント)、ジャズとの共演(シーズン・オブ・カンボジア・フェスティバル)、オーケストラとの共演(東京藝術大学、「障がいとアーツ」)などがあるが、伝統的なレパートリーの中で培われた即興能力が、こうした他ジャンルとの刺激的な協奏を可能にする柔軟性を育んだのだろう。
このように、コン・ナイ氏は、カンボジアの多難な歴史を生き抜き、貴重な伝統音楽・チャパイの弾き語りを現代に伝える優れた伝承者として、演奏、作曲、後継者育成、さらに国連の人権活動や障がい者支援の催しへの協力など、多彩な活動をグローバルに展開してきた。その貢献は、まさに「福岡アジア文化賞 芸術・文化賞」にふさわしい。