2022年(第32回)福岡アジア文化賞授賞式
開催日時
2022年12月22日(木)/18:45~19:55
会場等
福岡国際会議場 メインホール及びオンライン(アーカイブ配信)

 希望に満ちた壮大な音楽と、プロジェクションマッピングと連動したオープニング映像で、華やかに幕を開けた福岡アジア文化賞授賞式。新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、昨年は、海外の受賞者はオンライン参加となりましたが、今年は3年ぶりに全受賞者が会場に集い、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席を仰ぎ開催。感染予防対策を徹底し、招待者のみ出席の上で執り行われました。

 式典では、初めに受賞者が紹介され、大賞の林英哲氏、学術研究賞のタイモン・スクリーチ氏、芸術・文化賞のシャジア・シカンダー氏がステージに登場。会場は温かい祝福の拍手に包まれました。

 次に、主催者を代表して高島宗一郎福岡市長が挨拶。「時代の変革期を迎えるなか、持続可能で多様性のある社会の実現が求められているからこそ、アジア地域の多様な文化と価値を広く伝える福岡アジア文化賞の役割は、これまで以上に重要なものとなってくる」と述べました。続いて秋篠宮皇嗣殿下より、お祝いのおことばを賜りました。

 その後、福岡アジア文化賞審査委員会委員長である石橋達朗九州大学総長が、今回の選考経過を報告。受賞者の素晴らしい功績が映像で紹介され、高島市長と谷川浩道(公財)福岡よかトピア国際交流財団理事長より、賞状と記念のメダルが授与されました。

 受賞者スピーチでは、それぞれの受賞者から感謝と喜びの声が伝えられ、続くインタビューでは、和やかな雰囲気の中、活動や研究の歩み、大切にしてきた思い、これからの抱負などが語られました。

 再び受賞者全員が登壇し花束が贈呈された後、大賞の林英哲氏の太鼓演奏を上映。映像ではありましたが、その迫力あるパフォーマンスは見るものを圧倒し、第32回福岡アジア文化賞授賞式は感動のうちに幕を閉じました。

プロジェクションマッピングを用いたオープニング
受賞者登壇
高島市長による主催者代表挨拶
石橋九州大学総長による選考経過報告

秋篠宮皇嗣殿下おことば

 本日、第32回福岡アジア文化賞授賞式が開催されるにあたり、大賞を受賞される林英哲氏、学術研究賞を受賞されるタイモン・スクリーチ氏、そして芸術・文化賞を受賞されるシャジア・シカンダー氏に心からお祝いを申し上げます。

 一昨年は、COVID-19の感染拡大によって授賞式が延期になり、昨年はオンラインを併用した開催となりました。したがいまして、全ての受賞者をお迎えして開催される授賞式は3年ぶりのこととなります。今日、皆様と共に出席し、この場において受賞者それぞれの活動や研究について直接お話を伺うことができますことを誠に嬉しく思います。

 それとともに、感染症の収束が見られない中、授賞式の開催に向けて尽力をされた皆様に、深く敬意を表します。

 「福岡アジア文化賞」は、古くからアジア各地で受け継がれている多様な文化を尊重し、その保存と継承に貢献するとともに、新たな文化の創造、そしてアジアに関わる学術研究に寄与することを目的として、それらに功績のあった方々を顕彰するものです。

 私自身、アジアの国々をたびたび訪れ、多様な風土や自然環境によって創り出され、長い期間にわたって育まれてきた各地固有の歴史や言語、民俗、芸術など、文化の豊かさと深さに関心を持ちました。そして、それらを記録・保存・継承するとともに、さらに発展させていくことの大切さと、アジアを深く理解するための学術の重要性を強く感じてまいりました。そのいっぽうで、私たちはCOVID-19の感染拡大により、人と人との交流が制限され、各地の文化に直接触れることが難しい状況になり得ることを経験いたしました。これらのことから、本賞がアジアの文化の価値とそれらについての学術的な側面を伝えていくことは、大変意義の深いことと考えます。

 また、本賞のこれまでの輝かしい受賞者の中には、アジア地域に限らず世界各地で活躍されている方が多くおられますが、このことは、本賞がアジアの文化とその価値を世界に示していく上で、顕著な役割を果たしてきたものと申せましょう。

 本日受賞される3名の方々の優れた業績は、アジアのみならず広く世界に向けてその意義を示し、また社会全体でこれらを共有することによって、次の世代へと引き継ぐ人類の貴重な財産になるものと思います。

 おわりに、受賞される皆様に改めてお祝いの意を表しますとともに、この「福岡アジア文化賞」を通じて、アジアの各地に対する理解、そして国際社会の平和と友好がいっそう促進されていくことを祈念し、授賞式に寄せる言葉といたします。

 

学術研究賞のタイモン・スクリーチ氏への贈賞
大賞の林英哲氏への贈賞
芸術・文化賞のシャジア・シカンダー氏への贈賞
大賞受賞者演奏動画の様子

大賞受賞者によるスピーチ

 人種を越えて人々を前向きにさせる太鼓の音を信じて

 本日は秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席を賜り、このような授賞セレモニーを催していただきまして本当にありがとうございます。この栄えある「福岡アジア文化賞・大賞」という栄誉を頂きまして、審査にあたられた関係者の皆さま、スタッフの皆さま、この賞を長く続けてこられた福岡市と、なにより福岡市民の皆さまに、心より厚く厚く御礼を申し上げます。

 私は日本の太鼓を使って、半世紀にわたって新しい表現を模索し続けてきましたが、自分の仕事が社会のどこにも響いていないような気がすることも多々あり、大袈裟に言えば闇の中を手探りで歩いて来たような、そのような歩みでした。まさか51 年後にこのように光を当てて頂き、励まして頂けることがあろうとは、夢にも思いませんでした。

 私は、若い頃、太鼓を打ちながら、不思議な体験をしたことがあります。太鼓の響きがまるで宇宙からの声のように感じられ、大音量の中で自分の生き方を全肯定されたような、不思議な感覚に包まれたのです。

 人間は生まれ出るまでは、母親の胎内で心音に包まれながら育ちます。その音は、私の打つ太鼓の音の周波数とほぼ同じだということを知って、戦慄するほど感動しました。その音は、人種とか肌の色の違いがないということ、そのような経験を通して、世界中の人種を越えたすべての人が生まれる前に体感していた、その音を今日的な音楽表現にできないか、と考えて歩き続けたのが私の道です。

 アジアでは古来、大太鼓は、大宇宙や、太陽や、天と大地などを象徴するものとして扱われてきました。そういう古代の人々の壮大なイメージも演奏によって現代によみがえらせたいと思いました。そのようにして始めた私の太鼓の奏法やリズムが、いつしか日本のみならずアジア諸国や、世界の国々にまで広まって行ったのは思いがけないことでした。

 この福岡アジア文化賞の大賞を9年前に受賞された医師の中村哲さんは、ご自身を「セロ弾きのゴーシュ」となぞらえておられましたが、物語のなかのゴーシュの弾くセロと同様に、太鼓の音も人々を慰め、前向きにさせる力があることを私は信じています。中村先生の命がけの活動や、偉大な功績には私などはるかに及びませんが、世の中の風が激しく吹きすさぶ現代であればこそ、困難に陥っている人々を前向きにさせたり励ましたりする音は絶対必要で、今後も微力ながらそのような表現を目指して歩んで行こうと思います。この「福岡アジア文化賞大賞」がなにより大きな支えになります。本日は本当にありがとうございました。
 

学術研究賞受賞者によるスピーチ

 歴史ある国際交流の地・福岡で江戸研究を認められた感謝を込めて

 秋篠宮皇嗣同妃両殿下、福岡市長、そしてお集まりの皆さま、こうして2022年の福岡アジア文化賞の学術研究賞を受け取ることになりましたことは身に余る光栄です。

 多くの世界的に有名な研究者がこれまでにこの賞を受賞されています。私自身がそうした先輩たちの仲間入りができるとは思っておりませんでした。昨年、私は30年間勤めたロンドン大学を辞め、京都の国際日本文化研究センター(日文研)での仕事に就くために日本に参りました。これは私の人生のなかでも、大きな転換点でした。初めての転職、そして日本への移住と、大きな変化があった一年でしたが、その時期を締めくくるかのように、この賞を頂くことになったのは最高の喜びです。

 私が江戸の研究を始めた1985年頃は、江戸といえばまずは「鎖国」という言葉が思い浮かんだものでした。もちろん江戸時代には様々な制約がありましたが、「鎖国」という言葉は江戸を定義するに相応しい言葉ではありません。この言葉自体がかなり国際的な用語なのです。「鎖国」という言葉は実はオランダ語からの訳語であり、元のオランダ語は英語からの、そのまた元の英語の言葉はドイツ語とラテン語からの訳語でした。

 福岡は過去何世紀にも渡って国際交流の地として知られています。まずは大陸への架け橋として、そして東南アジアとの交流の地として、さらにその先にはヨーロッパもあります。今日ではグローバル・ジャパニーズ・スタディーズと呼ばれる分野に携わってきた者にとって、福岡の人々からこの賞を受賞できたことは、格別に光栄だと思っております。ありがとうございます。
 

芸術・文化賞受賞者によるスピーチ

 アートで固定観念を覆し若い世代に信念を伝える

 福岡アジア文化賞の歴史に名を連ねることができたことを大変光栄に思います。アジアの歴史と伝統、革新に敬意を表する、この重要な賞の創設に、福岡市市民の皆様が信念を持ってくださったことに心から感謝いたします。秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席に深く感謝申し上げます。私はこれまで受賞された方々の偉業を辿り、尊敬するとともに、感謝いたします。また、スクリーチ教授と林様の受賞にお祝い申し上げます。

 1980年代半ばから、私の作品は中央・東南アジアの写本絵画の伝統を、現代の国際的な芸術の実践と対話させることによって「ネオ・ミニアチュール(新細密画)」として知られる視覚芸術の形態を開拓してきました。30年以上に渡って私は新しい手法と技術を通した研究・拡大に取り組んでまいりましたが、それはヨーロッパ中心の美術史を多様化させたいと思う私の熱望から生まれたものです。

 幼い頃、私は父の寛大で優しい心に触発されました。父は私に、リスクを冒しても自分の限界を押し広げ、やり続け、作り続けることを教えてくれました。私は父から他者に関心を持ち、目的を持って人生を送ることで想像力を培うことを学びました。私の師匠、書籍、学者、詩人、アーティストたちからも学ぶことで創造的に育まれることができ、私は幸運でした。

 芸術は生き、存続し、感動を与えます。まるで人生そのもののように乱雑で複雑です。それは知識の構築に関わるものです。私たちの文化、歴史、そして価値観をどのように近づけ、再現し、再演するかによって私たちが信じるものは変化し、進化します。もし私たちが表現、ジェンダー、人種、移民、馴染みのないものに対する固定概念を覆すために、アートやメディアを利用すれば、私たちが次世代に伝える信念は若者を触発し、私たちが生きる複雑且つダイナミックな世界を反映することになるでしょう。このような精神の模範が福岡アジア文化賞であり、私はこの賞を、アジアの知識、歴史、革新性を認識し称える、若い世代に捧げます。
 

受賞者インタビュー

太鼓を通して新しい表現を模索してきた過程は、どのようなものでしたか。
林氏:太鼓はもともと祭りのお囃子、踊りや歌の伴奏役として、伝統的に郷土芸能の中で使われてきました。太鼓だけを取り出して演奏の主役とするのは、私が19歳のときに所属したグループが最初に始めたことです。前例がなかったので、皆さんに楽しんでいただける舞台芸能として成立させるためには、創作を加える必要がありました。手探りでスタートした頃が、一番大変でしたね。

林さんの活動には、一貫した強い芯を感じます。その原動力は何ですか。
林氏:太鼓を職業にするのは困難が多く、肉体的にも非常にきつい面があります。それでも続けてこられたのは、太鼓はお母さんのお腹の中で誰もが聞いていた音であり、いろんな意味で人間を鼓舞、煽動してくれるからだと思います。世界中で演奏をしていると、涙を流して聴かれる方が結構おられます。自分自身が打つ音に励まされ、感動してくださるお客様の声にたくさんの力をいただいています。

今後実現したいことがあれば、ぜひ教えてください。
林氏:今では世界中で太鼓を打つ人が増えてきました。アメリカの大学にも太鼓クラブができ、スタンフォード大学の音楽学部では和太鼓が授業になって、プロの打ち手も出ています。そのような人達にも指導をしていますが、これまでは、きちんと体系化した太鼓のメソッドがなかったので、日本文化を表現しながら新しい表現ができるよう、指導法を本に書くなど形にしたいと思っています。
 

数ある学問の中で、日本を対象に取り組もうとしたのはなぜでしょうか。
スクリーチ氏:大学で日本語を専攻したのがきっかけです。当時はちょうど日本の高度経済成長期で、これから日本語ができる人が必要になると言われました。そのとき応援してくれたのが父でした。父が終戦直後に軍人として3年間日本に暮らした際、苦しいときでも堂々と生活する日本人に感動して、日本を大好きになったそうです。その父から日本のことを考えるように言われたことが、私の出発点となりました。

視覚的な資料をもとに、江戸文化を研究する魅力はどのようなものですか。
スクリーチ氏:江戸時代の言葉は現代日本語と違って分かりにくい面がありますが、美しい絵や彫刻は誰もが感動を共有できるところです。研究の出発点として、目から得られる刺激から考えたいと思いました。なぜなら日本学を専攻していた大学生のとき、ロンドンで開催された江戸美術展を観て、目から鱗が落ちたからでした。江戸美術をやりたいと思いましたが、イギリスでは指導できる教授がいなかったので、アメリカに留学して博士課程に入りました。

今後はどのようなことにチャレンジしたいですか。
スクリーチ氏:これからは全国の東照宮について研究したいと思っています。東照宮を選んだのは、非常に総合的なモニュメントであり、建築、彫刻、絵画、巡礼地など多くの魅力があるからです。東京から京都に移り住み、日光は少し遠くなったと感じていますが、現在は日光だけではなく全国の東照宮ネットワークについて勉強しているところです。

 

細密画という伝統絵画に、デジタルアートを取り入れたのはなぜですか。
シカンダー氏:私はアーティストとして、新しいテクノロジーの想像力に惹かれていました。そして、私が研究を続けていたアジアの伝統絵画は、非常に知性的で古さを感じさせないものだと思い、これらを融合することで、アートを予期しないものに展開していけると考えたのです。また、歴史をさまざまな視点から取り入れ、どのようにストーリーを伝えていくか、ということも大事にしています。

お父さんについて、象徴的なエピソードを教えていただけますか。
シカンダー氏:私が子どもの頃、父はよく本を読んでくれました。文章をそのまま読むのではなく、自分の想像力を交えた物語を伝えてくれたのです。まるで劇画のようなイメージで、音や体の動きも含めながら。本によって想像力を培うことができたのは、父のおかげです。大人になった今も、本を通じて私はいろんな刺激を受けており、羽を持ったかのように、飛び出すことができるのです。

芸術を通して、次の世代に何を伝えたいですか。
シカンダー氏:芸術とは、私たちがストーリーを伝える手段です。そして未来の人々のための場所をつくっていくことが必要になってくると思います。あなたは何者なのか、社会の中でどのように表現していくか、自分自身に問いかけ、強い信念を持つことで、自分だけでなく、自分以外の人生にも影響することに気づいてほしいです。また、広く興味を持って関わることで、芸術を変える力があることも伝えたいです。