贈賞理由

岸本美緒氏は、明清社会経済史を専門とする中国史家である。豊富な研究蓄積を誇る日本の東洋史学の正統な継承者として、緻密で実証的な学風を受け継ぎつつ、中国社会への内在的な視線とグローバルな視野を兼ね備えることによって、常に斬新かつ問題提起的な研究を行ってきた。日本内外の歴史学界において、その誠実な人柄と啓発的な研究業績によって、いわば「灯台」のような役割を果たしてきた研究者である。

岸本氏は、1952年に東京都に生まれた。1975年に東京大学文学部を卒業し、同大学大学院人文科学研究科(東洋史学専門課程)の修士課程および博士課程に進学。その後、東京大学やお茶の水女子大学において、研究および教育に従事した。

岸本氏の研究経歴は、清代・中国の物価史の研究から始まった。当初から特徴的なのは、人々がなぜそのような行動をとったのかを問う社会への内在的な理解に加えて、外国貿易に着目しつつ貨幣としての銀の流入がもたらす物価への影響を重視するグローバルな視野も有していたことである。この物価史研究は、『清代中国の物価と経済変動』(1997年)という大著となって結実したが、氏の問題関心は経済史の領域にとどまらない。二冊目の本格的な単著『明清交替と江南社会』(1999年)では、アメリカ大陸と日本からの銀の流入による交易ブームが社会変動をもたらし従来の秩序が崩れていった「明末清初」期(16世紀後半~17世紀前半)を取り上げた。同書では、社会的階層・民衆暴動・社会思想などの社会史的事象に光が当てられ、不安と混乱の時代に人々は如何に生きたのかが明らかにされている。

岸本氏の歴史研究が一貫して問いかけてきたのは、そもそも完全ではない人間から成り立つ社会において、如何にして「秩序」が形成されるのかという問題であり、中国史にとどまらず、「東アジアの近世」論という、より拡がりのある歴史像を提起した点も斬新であった。中国では紆余曲折を経つつ17世紀前半に誕生した満洲人王朝である清朝の支配のもとで一定の社会的安定がもたらされ、日本では16世紀(戦国・織豊期)の混沌の時代から17世紀前半(徳川期)の安定の時代へと移り変わった。このように中国のみならず日本や朝鮮を含めた東アジアの規模で、半ば同種の歴史のリズムが経験されたというのである。

岸本氏の研究業績は、中国史を専門とする海外の研究者にも高く評価されてきた。また、数多くの編著および共著における編集と執筆を通して、日本の歴史学界全体に大きな影響を与えてきた。近年においても、氏はこれまでの論攷を集成した三冊の明清史論集、そして「明末清初」期に関するこれまでの考察をまとめた単著『明末清初中国と東アジア近世』(2021年)を刊行し、旺盛に研究活動を続けている。さらに、教科書の編集・執筆、そして次世代への歴史教育への貢献なども高く評価される。東アジアの国際関係が困難な局面を迎える今日において、長期的な視野から、中国社会に生きる人々の姿を、<内>と<外>との両方の視点から見つめてきた岸本美緒氏は、まさに「福岡アジア文化賞 学術研究賞」にふさわしい。

3歳のころ
中国経済研究会の合宿(1980年ごろ)
日中の研究者と
台北の研究所にて(2018年)
北京での国際学会(2019年)
人文科学研究の審査報告

岸本美緒氏からのビデオメッセージ

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