贈賞理由

プラープダー・ユン氏は、タイを代表する作家の一人である。氏は1998年以降、精力的に小説を発表し続けているほか、評論家、脚本家、エッセイスト、翻訳家、グラフィックデザイナー、イラストレーター、写真家、ミュージシャンとしても活躍するマルチクリエイターであり、日本文化に造詣が深いタイ知識人でもある。

プラープダー氏は1973年にバンコクに生まれた。父は英字新聞社のオーナー、母は女性誌の編集長であった。中学を卒業後に渡米、ニューヨークのクーパー・ユニオン大学で芸術の学士号を修得し、兵役に就くため1998年にタイに帰国した。氏はその後、新聞や雑誌コラム、短編の執筆などを経て、大都会に蠢く風変わりな群像を描いた初の短編集『直角の都市』(2000年)を刊行した。同時に発売された短編集『可能性』(2000年)が、新奇な文体と表現技法、社会から孤立した都会人を描いた内容、実験的な装丁などで世間の注目を浴び、2002年の東南アジア文学賞を受賞した。当時のタイは経済発展に伴って都市中産階級が伸張し、映画、芸術、食文化等の分野で海外に「タイのアイデンティティ」を盛んに喧伝した時代であり、著名人を両親に持つセレブリティと、米国帰りの都会センス溢れるクリエイターであった氏を新世代の旗手であると見なす「プラープダー現象」とも呼べるブームが起きた。その後の氏は、多くの小説、エッセイ、外国文学翻訳を発表し、良質の作品を持続的に生み出せる本格作家であることを証明した。氏が脚本を担当し、日本の俳優が主演した『地球で最後のふたり』(2003年)など2本の映画は、日本を含む各国の国際映画祭で上映され注目を集めた。

都会派作家としてのプラープダー氏の思想的遍歴は、『新しい目の旅立ち』(2015年)で一つの到達点に至った。この作品は、氏が日本財団の助成金を得て訪れた、「黒魔術の島」と呼ばれる、地元の祈祷師や元教師の日本人が暮らすフィリピンのシキホール島での人間・自然観察と内観によって獲得した世界認識、オランダの哲学者スピノザの思想との対話、米国のナチュラリストであるソローが実践した森の生活への考察によって構成され、哲学的思索と文芸的技法の融合から、現代の都市人としてのアイデンティティを興味深く描き出した。

プラープダー氏は、日本の雑誌『EYESCREAM』に2004年から3年間寄稿したエッセイで等身大の日本人、日本文化を紹介し、思い込みや誤解があったタイの日本観に新たな視座を与えた。「日本は私の恋人である」と公言する氏の日本滞在は多数回に及び、大学の夏期講習で禅思想や『方丈記』など古典文学を学んだり、茶道に親しんだりしている。氏は、出版社と書店を経営したり、アジア太平洋出版者協会会長やタイ出版社・書籍販売業者協会副会長を務めたこともある。

プラープダー氏はアジア作家の中では邦訳数が多い作家の一人である。英、仏、伊、中国語訳もあり、氏に対する世界の関心は高い。氏の創作活動は、タイ文学・思想の発展に寄与するだけでなく、日本理解の更新にも貢献している。人類が人間と自然の調和を図る持続可能な生存様式を模索する中、アジアの一作家として今後の人類のあり方への哲学的考察を深めるプラープダー・ユン氏の功績はまさに「福岡アジア文化賞 芸術・文化賞」にふさわしい。

受賞決定時のメッセージ動画

功績紹介動画

授賞式での受賞スピーチ動画

受賞スピーチ全文

福岡アジア文化賞芸術・文化賞をいただくにあたり、心から感謝申し上げます。私の創作活動を認め、また長年の取組が正しかったのだと思わせてくださったことを、大変ありがたく光栄に思います。今回の受賞は、これまで私の作品に価値を見いだしてくださった多くの方々の支えなくしては、成し得なかったことです。私の作品に心を留めてくださったすべての方々のお陰です。また、私より遥かに卓越した岸本先生やサイナート様とともにこの場に立てることも、大きな栄誉であり喜びです。そして、私を支えてくれる最愛の家族にも心から感謝しています。まだ子どもであった私が芸術に興味を持ったころ、周りはクリエイティビティ(創造力)には否定的でした。絵を描くこと、映画を見ること、小説やコミック本が好きなことを後ろめたく感じさせられたものでした。ですから当時、創造すること・思い描くことには価値があると思わせてくれる大人が一人か二人でもいてくれたことは、この上なく意味のあることでした。「君には才能がある」「いいアーティストになる」と言ってくれた先生たちのことを決して忘れることはありません。今の私があるのは、そのような大人が希望をくれたからです。このような自らの経験があるからこそ、作品を通して特に若者に語りかけること、問題を抱えて疑心暗鬼になっている若い心にどうにかして希望を届けることを、常に大切にしてきました。この賞を私の国、日本、そして世界中の若者に捧げます。イマジネーション(思い描く力)は、現実を作る設計図だと私は確信しています。ですから、若者たちに励ましを贈りたいと思います。そしてより良き未来を思い描くことを諦めないでほしいと言いたい。希望はあるのです。

受賞者の写真

2歳の頃、曾祖母、祖母、祖母の妹、母、妹と一緒に
3歳の頃、幼少期の故郷タイ、サムットプラーカーン県にて
初監督フィーチャー映画Motel Mistの現場にて、バンコク(2015年)
日本にて(2018年)
The Sad Part Wasのイタリア語出版のプロモーションツアーのためトリノの出版社にて(2018年)
バンコクイベントのBetween Language and Cultureにて多和田葉子氏と(2019年)